第21話 大聖女使役計画
そんな廃人同様の生活を送るアンナの元にある人物から手紙が届くようになったのはシオリの死から4ヶ月後のことだった。
アンナの計画にもともと資金援助を申し出ていた人物からの手紙は絶望に打ちひしがれていたアンナに一筋の光を見せた。
手紙にはもう暫くしたらこの国に時空の大聖女がその力を覚醒させること、アンナはそれまでにゼロロス教会内部に入り込み、時空の大聖女の側近になれれば彼女の持つ"時間の巻き戻し"の魔法によって最悪の結末をやり直せるかもしれないことが書かれていた。
資金提供者だった手紙の送り主がどういう意図でその手紙を送ってきたのかはアンナにもわからない。でも、そんなことはどうでも良かった。シオリがいないなら自分の人生はもう終わっているも同然だ。そんな人生ならシオリを助け出せるかもしれないという一縷の望みのために全てを投げ捨てたところで失うものなんてない。
それからアンナは自分の名前も性格も捨て、「敬虔で人懐っこい信者アンナ」として教会内部に入り込んで行った。最初はただの信者だったアンナは凄まじい勢いで上級神官の信頼を獲得していき、ゼロロス教会直属の神官となった。
「自分を偽って教会にこびへつらう日々は苦痛なんてものじゃありませんでした。だって、自分の大嫌いな相手に、私の最愛の人を奪った張本人に、まるで忠犬のように尻尾を振ってないといけないんですよ? 何度も私はおかしくなりかけました。でもなんとか踏みとどまった。自分を精神的にどこまで追い込むことになったとしても叶えたい夢があったから。
ゼロロス教会に入ってからはとんとん拍子でした。希望通り補佐官候補生に潜り込み、補佐官になるための特殊訓練を受けました。羊飼いに言うことを聞かせるためにそこで私達は格闘術・薬物・洗脳技術といったありとあらゆる知識を詰め込まれました。その訓練の日々は肉体的にも精神的にも過酷を極めるもので、殆どの候補生が脱落していきました。それは聖女候補生なんかとは比べ物にならないくらいに。それでも私は全ての感情を遮断して訓練を淡々とこなしていった。
そしてようやく掴んだんです、念願の時空の大聖女担当の補佐官と言う立場を。ここまで来てしまえばあとは大聖女以外に対しては戦闘力皆無な羊飼いをどんな手段でもいいから手なずけ、羊飼いを使って間接的に時空の大聖女に強引に時間を巻き戻せばいいだけ。そう思ってました。なのに」
そこでアンナは言葉をいったん切り、ひときわ鋭い目つきでレインのことを睨む。アンナに睨まれて、レインは居心地悪そうに俯いていた。
「私が補佐官になった時、レイン様には羊飼いが見つかっていなかった。それが分かった時は絶望しましたね。それから何年待っても時空の大聖女と対を成す羊飼いは現れなかった。その間、時空の大聖女を遠目で見ながら何度も直接時空の大聖女を屈服させて魔法を使わせたい衝動に駆られました。でもそんなことをしたところで大聖女の魔法で返り討ちに合うに決まっている。だから私はその気持ちをずっと隠してきた。色々な我慢を自分の中で無理やり押さえつけながら、ギリギリのバランスを保って、私は天真爛漫な補佐官を演じ続けたんです。いつか現れる羊飼いと言う最後のピース、それが埋まる日が来ることを願って。
だから教会上層部から時空の大聖女に対応する羊飼い――ケイン様が見つかったことを聞いた時、心の底から嬉しかったんです。ケイン様に対してついつい何かしたくなっちゃったのは、もしかしたら演技だけじゃないのかもしれない。ただ言えることは1つだけ。これでいつでも時空の大聖女に魔法を使わせることができる、そう思ったのに」
そこでアンナは金色に縁どられた懐中時計を取り出した。時針・分針・秒針のシンプルな時計の中にまた3つの針を備えた小さな時計盤が配置されている。
「数日前、1通の手紙と共に協力者からこの時計が送られてきたんです。これは大聖女の魔法に左右されずにシオリを救うためのタイムリミットを示した時計です。彼曰く、時間を巻き戻すには時間制限があって、大聖女の魔法による撒き戻しとかを度外視した絶対的な時間が経過しすぎるとそれ以前の時間には巻き戻せないんだそうです。そしてそのタイムリミットは時空の大聖女が大きな魔法を使う度に減っていき、もうシオリが生きていた時間に戻るにはもう数日しか時間が残されてない。
そうわかった途端、私は再び焦り始めました。もう手段とか選んでられない。どうにかしてケイン様を自分の言いなりにさせて、ケイン様を使って時空の大聖女を動かす、だから私は強硬手段――ケイン様を薬漬けにして洗脳することを選んだ。少しの間でいい、それで時間が巻き戻ってくれるなら他のことはどうだっていい。そんなおざなりな計画だから、結局失敗しちゃったんでしょうね」
自嘲したような笑みを浮かべるアンナ。と思った次の瞬間。
アンナはいきなり土下座をしてきた。
「もうなりふり構ってられません、だから――お願いします、時空の大聖女様! 時間を10年前に戻してください。そして、シオリを助け出させてください。1回でいいんです、私にできることだったら何だってしますから!」
思いもよらないアンナの行動に、レインは困ったような顔をして俺のことを見てくる。
「……時間を巻き戻すっていうのは、それによって全く関係ない人の幸せを摘み取ったり、生まれてくるはずだった命を奪ったり――場合によっては傷つかなくて済んだ人を傷つけることになりかねないんだぞ、そういうことをアンナは分かってるのか?」
レインに変わってアンナを説得しようと口を開くけれど、アンナは即答してくる。
「……名前も知らない他人のことなんて知りませんよ。私は心から愛する1人のためならこの国がどうなったっていい。レイン様だってそうでしょ? 」
アンナの指摘は的を射ていた。かつてレインは妹1人を救うために世界全体の時間を巻き戻した。そして俺の娘は生まれてこなくなり、出会わなかったはずの俺がナナミと再会したせいで彼女が不要に傷ついた。そのことをレインは普段は忘れたように接してくれるけれど、彼女なりに気にしていることは知っている。
レインにまた同じような罪を重ねさせることなんてできない。そう思って俺がまた口を開こうとした時だった。
レインが手で俺のことを制してくる。
「ありがとう、ケイン。でも……断るのは自分の言葉でするよ。ごめんね、アンナ。これまでずっと気付かなくて。こんなこと言ったところで何にもならないけれど、アンナの思いには同情するよ。私にも一人だけ、心から愛する相手がいるから。似た者同士なら一層、私にできることなら力になってあげたいと思う。でも……ごめんね。アンナのために大聖女の魔法を使うことなんて出来ないよ。時空の大聖女の力は、スノウのためだけにしか使っちゃいけないから」
ケインの言葉にアンナは顔をゆっくりと上げる。その瞳にはさっきまでの強い意志は消え、弱弱しい笑いを浮かべていた。
「あははは。最初から分かってました。ド直球に頼んだところで大聖女様が私の頼みなんて聞いてくれないことくらい」
それだけ言うと、アンナはがっくりと肩を落として俺達の前から去っていた。
やりきれない思いを抱えながら、俺達は暫くその場に立ち尽くしていた。




