第20話 アンナと強化の大聖女
泡沫の禁書庫にはアンナが言った通り、この星が誕生して以来この星で繰り広げられてきた全ての物語が収められている。ある程度年代順に並んでいるとはいえ、同時代に繰り広げられた物語ですら無数にあるのだから、特定の個人の情報をこの禁書庫で探すのは現実的じゃない。よっぽどの強運か膨大な時間をかけないとそんなことムリだ。
そうわかっていても、俺はアンナについての情報をこの泡沫の禁書庫で必死に探し集めた。アンナが抱えている問題について知る手がかりは、俺にはもうここにしか残っていなかったから。そして、アンナが自分から言い出さないからって、見て見ぬ振りをすることは俺にはできなかったから。
レインにも背中を押してもらった日から毎晩、俺は泡沫の禁書庫に通い詰めて、睡眠時間を削って世界の記録の海を泳いでいった。そして運がいいことに俺はアンナがひた隠しにしている過去――10年前に彼女が失った親友についての記憶に辿り着いた。
それが分かった途端、俺と、相談に乗ってくれたレインは全てを理解した。アンナが本当にしたいこと、そしてそもそもなぜ、アンナは時空の大聖女の補佐官になったのかを。それがわかると、今度は切羽詰まったアンナが強硬手段に出ることは簡単に予測できた。これまでアンナが目的のためにしてきたことを思えば。
だから、俺とレインは一芝居打つことにしたのだった。
「な、なんで……薬はちゃんと効いたはずじゃ」
「私の【時間停止】の魔法を使ったらあなたの用意していた薬品を差し替えるなんて朝飯前なのよね」
「だからってあんな劇薬に変えることないだろ。12時間も昏睡してたんだぞ! ……って、そんなことはまあいいや。アンナ、お前は10年前に教会に使い潰されなくなった親友――先代の”強化の大聖女”が死ぬ運命を変えたかったんだよな。そんな過去を変えるため、アンナは10年間かけてゼロロス教会の神官になり、時空の大聖女であるレインに接触した……」
「……ええ。ケイン様のお見通しの通りですよ。そうじゃなければ、誰が教会の犬になんかなるもんですか。私から一番の親友を奪った、ひとでなしどもの集団の手足なんかに」
もう全てがどうでも良くなったのか、投げやりな調子になってアンナは吐き捨てる。いつも被っていた猫なんてもうとっくにかなぐり捨てられていた。
「最初に会った時からアンナは他の教会関係者とは少し違う気がしていた。でもそれは、私と同じように本当にゼロロス教会を憎んでいたからだったんだね」
レインの言葉を聞いた瞬間、アンナはきつい視線でレインのことを睨みつける。
「一緒にしないでくれます? 私、最初っからあなたのことが嫌いだったんです。あなたが教会から受けた抑圧なんてせいぜい軟禁ぐらいでしょ。長い間羊飼いが見つからないのをいいことに自由奔放にしてくれちゃって。しかも羊飼いもケイン様みたいな恵まれた良識ある男で。あなたはゼロロス教会に何一つ分かっちゃいない!」
そう叫びながらアンナの頬には涙が流れていた。その勢いに思わず気圧される俺とレイン。それから、アンナは”強化の大聖女”との物語を語り始めた。
アンナと先代の”強化の大聖女”――シオリは王都から少し離れたそこそこの規模の商業都市で生まれ、物心ついた時からなにをするにしても一緒だった。どちらかの部屋で一緒に寝ることも珍しくなく、彼女達の関係は親友と言う枠を優に超えていた。そんな2人は、将来は王都で自分達の店を開き、2人でつつましいながらもずっと一緒にいることを誓い合ってさえいた。でも、そんな2人の関係は何の前触れもなく、一夜にして絶対的な権力によって引き裂かれた。
ある日。商業都市にゼロロス教会の使者団がやってきて有無を言わせずにシオリのことを連れ去っていった。シオリが”強化の大聖女”だというだけの理由で。王国内で絶対的な権力を持っている教会の言葉に大人たちはシオリの両親も含めて逆らおうとはしなかった。皆、口をそろえて
「力を持っているならばお役目を果たさなくてはならない」
と諦めるだけだった。
でもそんな理屈は、当時まだ十代前半だったアンナは納得できるわけがなかった。いや、その時大人だったとしてもアンナに納得できる話じゃなかった。でも、その時は特殊訓練を受けた経験もなければ魔法を使えるわけでもない、「ただの非力な少女」でしかなかったアンナは、教会お抱えの屈強な戦士達の前では無力だった。物の数分で蹴散らされ、アンナが地面に這いつくばっている間にゼロロス教会はシオリを攫って行ってしまった。
それから1年後。アンナはシオリを追いかけて王都へとやってきた。当時は場所としてのゼロロス教会がそこまで整備されていなかったから、まだ14歳の少女でしかなかったアンナがゼロロス教会の敷地内に忍び込むことは難しくなかった。
そしてシオリに割り当てられた屋敷を特定したアンナが窓越しに目の当たりにしたのは、変わり果てた最愛の人の姿だった。
シオリは薄暗い部屋の中で椅子に縛り付けられていた。ぷにぷにとしていたはずのシオリの手足は見る影もなく痩せこけ、血管が浮き出ている。口元はだらしなく半開きでよだれを垂れ、目は焦点が定まっていない。美しかったシオリの黒髪は今やストレスのせいか真っ白になって、手入れもされずにぼさぼさだった。
そしてそんなシオリの目の前にいたのは薄汚い白衣を纏った狂気の光を目に宿した老博士。そう、彼が、シオリにとっての”羊飼い”だった。ゼロロス教会は老博士に羊飼いとして協力させる代わりに、シオリで好き勝手に実験することを許していたのだ。そして、魔法が通じない狂気の科学者に当人であるシオリが抵抗することなんてできるはずもなかった。
そんな変わり果てたシオリをアンナは一刻も早く助けたかった。でも、シオリを攫われた時の二の舞になってはダメだ。そう考えたアンナは、今度は綿密にシオリを救い出す作戦を立てた。協力者を集め、逃走ルートを何パターンも用意し、準備万端でいよいよシオリ救出作戦を決行しようとしたその矢先だった。
「なんでも"強化の大聖女"が亡くなったらしいよ」
王都に流れた噂話に、アンナは顔面蒼白になった。
間に合わなかった。そのことがただただ辛くて、自分が情けなくて自分で自分がイヤになって、数ヶ月もの間、アンナは何もできなくなっていた。




