第16話 ナナミの独白
今回、◇◆◇の前後でナナミ視点→第三者視点に変わります。
ケインとの「初デート」の日の朝。本音を言うと、私はギリギリまで行くかどうか迷っていた。
男の子と付き合って人並みの幸せを手に入れる、そのことに漠然とした憧れがあったことは嘘じゃない……と思う。でも、勢いとはいえ、幼馴染に対して「彼氏になってくれない?」なんて言っちゃったのは内心、顔から火が出るんじゃないかってくらい恥ずかしくなっていた。結局その場の雰囲気で恋人になる流れになっちゃったけれど……。
それから二週間、ふとした瞬間瞬間にケインを「彼氏」「男の子」として見ることができるか考えてみた。けれど、その度にムリ、という結論に落ち着いた。別にケインのことが嫌いなわけじゃない。ケインはお互いにたった1人しかいない幼馴染。でもだからこそ、それ以上にもそれ以下の関係になることなんて想像がつかなかった。だから、今朝ようやく重い腰を上げてケインに会いに行くのも、タイミングを見計らって恋人の話は無かったことにするつもりだった。なのに――。
「ナナミは優等生だからイマイチ「はみだし」きれない。でも、そんなのきっと息苦しいと思う。だから、もっとナナミにははみ出してほしい」
ケインにその言葉を言われた途端、私の中で何かが氷解したような気がした。
考えてみると、私は王都に出る前から「優等生」「ケインにとってのお姉ちゃん」を大人から期待されるままに演じてきただけだった。頭の出来が並みよりも少しよくて、魔法の才能もあって、村の大人たちは私のことを「神童」として褒め称えてくれた。そして村一番の神童は王都に出て聖女になるものだ、と言われ、言われたままに自分の進路をそう選択した。なぜなら、聖女になればもっとみんなが褒めてくれると思ったから。
でも結局、私はただの自己承認欲求の強い、面倒くさい女子でしかなかった。見返りを求めることを固く禁じる聖女育成学校の教えに触れた瞬間、はじめて自分の中で芽生えた「大人」の言うことに対する違和感と反発。でも、まだ自分のことが正しいと信じて疑っていなかった私は綺麗ごとの論理で武装した。さも自分が正しいかのように。
でも、ケインはそんな自分でも見えていなかった私のことをちゃんと見てくれていた。ちゃんと見た上で、自分に素直に生きろと言ってくれた。その瞬間、私の中で「私のことを褒めてくれる対象」・または「面倒を見て大人の好感度を稼ぐ踏み台」と心のどこかで見ていたケインの見方が180度変わった。
ケインは私のことをずっと見てくれていた、私のたった1人の幼馴染。そう思うと、これまで他者に抱いたことのない熱い感情が湧き上がってきた。これまでどんなにかっこいい異性を見ても抱かなかったときめき・それでいて一緒にいることで得られる安心感。この矛盾する感情こそが恋愛感情で、今、私は恋が出来てるんだ、そう思えた。それが私には無性に嬉しかった。でも。
そんな私の確信はたった数十分で覆る。ブティックでケインの見せた涙。それが、私の知らない誰かと関係があることは容易に予想できた。でもなぜか、私は嫉妬心が一切わいてこなかった。ただ、ケインを慰めたいという欲望が湧いてくるだけだった。
そのことに私は焦った。
――今私が抱いてるのは本当に恋愛感情なのかな。
不安になった私はいろんなことを試してみた。恋人つなぎ、ケインが今一番時間を共にしている女性の話を聞く。その1つ1つに、本来恋人なら感じるはずのドキドキや嫉妬心を、私はどうしても抱けなかった。だから私は、最後は強硬手段に出た。
それが接吻。もちろん私にとってはじめてのファーストキスだから、そう安売りしたいものじゃない。でも、ケインにならそれを捧げてもいいと本気で思った。この、一線を越えた行為で恋人らしいドキドキを感じること、それが、私にとっての最後の生命線だった。なのに―――。
ケインとのファーストキスをした直後の私の脈拍はいたって正常だった。この瞬間、私は悟った。私がケインに抱いているこの気持ちでさえ、恋愛感情ではないんだと。私はケインに恋愛感情を抱けないんだと。
「あははは、全然ドキドキしないね」
この台詞を言ったとき、私は泣き出したくて仕方なかった。生まれて初めて抱いたここまでの特別な感情が恋心じゃないんだったら、恋心って何なんだろう。仮に今抱いているのが恋心じゃないとして、私は今ケインに抱いている感情以上のものを他の誰かに抱くことなんてできるのかな。いや、私はこの先ずっと恋心なんて抱ける気がしない。と、いうかケインを差し終えて他の異性と付き合うとか今の私には考えられなかった。
一方で、心のどこかではほっとした自分もいた。丘に来る直前に聞いたケインとレインさんの話。それを話すケインは心から愛おしそうで、その笑顔を壊したくない、とも思ってた。ケインの幸せが結局は私の幸せ。そんな特別で、唯一無二の相手の笑顔を自分の恋愛感情を優先させることで壊すくらいなら恋愛感情なんて抱かない方が結果的に良かったんだ。そう納得してしまえる自分が、やっぱり優等生ぶっててイヤになった。
「心の底からその人には笑っていてほしいと思える大切な幼馴染。それが、私にとってケインだったんだよ。だから――これからも幼馴染でいてね。私、ケインを守るために頑張って聖女になって、戦い抜いて見せるから」
この台詞は、本当は唯一無二の幼馴染への特別な感情を、恋愛感情から「幼馴染に対する感情」と再定義するための決意表明だった。その時、泣かないように堪えようとしたけれど伝ってしまった涙は、多分ケインには見られていない。
その日の夜。ケインと別れて聖女育成学校の寮に戻ってきてから。
「――訓練でもしよ」
誰に言うともなしに私は呟く。今は他のことをして気を紛らわせたかった。ケインに死んでほしくない、というのは事実だし、そのために強くなるのはケインが異性として好きじゃないのだとしても、私が心から望むところだった。
◇◆◇
ナナミとケインが密会した数日後の真夜中。静まり返った聖女育成学校の中で1室だけ明かりが灯されている部屋があった。
「識別番号34-773―――ナナミ・テルミドールは時空の羊飼いとの接触後、聖女としての自覚を持ち、より真剣に訓練に取り組んでいます。この調子ならば34-773は2121年までにはAランク聖女としてミネルヴァ作戦に投入でき、史実よりも王都陥落を数日遅らせることが出来る予定です。これも全て補佐官殿が34-773のモチベーションを上げてくださったお陰ですが……浮かない顔をされてどうされたんですか? 」
この育成機関の教官である眼鏡の女性は、ナナミに関する極秘書類の束から目を上げて真正面に座った、足を組んだまま椅子に腰かけた金髪ショートカットの修道女の方を見る。その修道女は修道女としてはしたないことも気にせずに足を組んだまま難しい顔をしていた。
「――ここで時空の大聖女が聖女に嫉妬してくれたらコントロールしやすくなっていたのに、と思ってたけど……あの2人の距離感をまだ見誤っていたか。……もう時間がないのに」
「時間がない? 確かに、あと5年で戦争ですものね……もっと抜本的な対策を打たないと」
「あ、ああ、うん。そういうこと。あくまで私の任務は時空の大聖女とその羊飼いをやる気にさせることだからね」
うっかり漏らした失言を教官はいいように解釈してくれたらしい。そのことに修道女は胸をなでおろしつつ、適当に合わせる。
――まあいずれにしろ34-773を手駒にする計画が頓挫したなら次にとれるのは羊飼いを直接オトすことぐらいか。あの子には少し悪いけどね。
頭の中ではそのようなことを考えつつも、そんな考えはおくびにも出さず修道女は微笑みを浮かべる。
「じゃ、これからも聖女育成の方は頼んだよ。戦争はすぐそこまで来ているんだから。一緒にこの国を守るため、出来ることはなんでもしよう! 」
「はいっ!」
眼鏡の教官は修道女の熱に影響されて力強く答える。そんな教官を修道女は内心冷めた目で見ていた。
――こんなどうしようもない国を本気で守ろうなんて馬鹿馬鹿しい。こんな国、私が目的を叶えたら滅びちゃえばいいのにね。
そう、修道女――アンナは心の中で吐露した




