第15話 聖女の護りたいもの
「ど、どうかな」
着替え終わって試着室のカーテンから顔を覗かせたナナミの瞳は、自信なさげに揺れている。でも、そんな仕草が演技に見えてしまうくらい、今のナナミは綺麗だった。
ナナミのために選んだコーデは若草色のふわりとしたワンピース。シンプルだけど、そんなシンプルさが優等生で奥ゆかしいナナミに良く似合っていた。
「すごくかわいいよ。だから自信持て」
俺の言葉にナナミはぽっと頬を赤らめる。
「ケインに女の子みたいに扱われるなんて、なんだか少し不思議な気分」
「ナナミが俺に彼氏になれ、って言ってきたんだろ」
「まあそうだけど……。こういうクサい台詞言うのとか、女の子のファッション考えるのとか慣れてたりするの?」
「いや。レインとは前回がはじめてだったしな」
「でも、こんな女もののブティック行くなんて言う発想は男だけだと出てこないんじゃない? 」
そう言われて、俺の脳裏にとある人の微笑みがちらついた。
ナナミの言っていたことは半分図星だ。俺がまずブティックなんて提案したのは世界が巻き戻る前、妻との会話を思い出したからだった。
『いつか子供が大きくなったら、3人で王都に買い物に行きたいよね』
そんな話をした時があった。その時、妻が目を輝かせながら言及していたのがこの店だった。
そんなことをしみじみと思い返すと同時に、もう妻や娘とこのように買い物に来ることはできないんだな、という喪失感がじわじわと俺の心の中に広がっていく。慌ててその感情を押し込めようとするけど、自然と一筋の涙が流れてきてしまう。
――もう諦めは付いたはずなのに。それに、今はナナミとのデートなんだ。こんなのナナミに失礼過ぎる。
そう頭ではわかっていても、涙は止まってくれない。その時。
不意にナナミが俺のことを抱擁してくる。その懐かしい温かみに、俺は久しく忘れていた感情を掻き立てられる。それは、言葉にできない安心感。
「私のことが可愛すぎて泣いちゃった、ってわけじゃないよね」
怒るような気配もなくナナミが優しい口調で聞いて来る。
「……ごめん」
「いいのいいの。ケインはそういう人じゃないってわかってるし」
「なら、なんでこんなに優しくしてくれるんだ?」
「だって私達、恋人とか以前に幼馴染でしょ。ついこの間までは、こんなこと日常茶飯事だったじゃない」
そう言われて思い出す。俺の中ではナナミと別れて5年の月日を過ごして、時間が巻き戻されて一度だけ再会して、また別々の1ヵ月を生きて、と、毎日をナナミと一緒に過ごした日々ははるか遠くのもののように感じる。だから忘れていた。けれど。
ナナミにとってはたった一ヶ月ぽっきり前の話。と言ってもそれでもかなり前だけれど、
ナナミにとってはまだ不自然じゃない幼馴染への接し方なんだ。一緒に村にいた頃、俺が傷つくとナナミはよくこんな風に抱擁して俺のことを慰めてくれた。
「それに、ケインが悲しい思いをしているのは許せないし。ケインにはいつも笑っていてほしいな」
「それは恋人としてか? 」
俺の問いにナナミは首を横に振る。
「うんうん、それ以前に幼馴染として」
そう微笑むナナミが今の俺には天使のように見えた。
「さて。ここからは恋人っぽいことしますか」
俺が泣き止んだ後。ぱんっ、と切り替えるように手を叩く。
「なんかごめんな。貴重な時間を無駄にしちゃって」
「いいのいいの。久しぶりにお姉さんっぽいことできてちょっぴり嬉しかったし。聖女育成学校だとみんな競争競争で世話を焼かせてくれるケインみたいな子いないからねぇ」
「へえっ、そうな……って、俺って言うほどナナミに世話焼かれてないだろ!」
俺は叫ぶけれどナナミはいたずらっぽく笑って答えない。くそぉ。
「でも、悪いと思っているならさ」
そう言うなり、ナナミは徐に右手の指を俺の指と絡めてくる。
「恋人っぽく、恋人つなぎして歩こ? 」
その手は長いこと握っていなかった、でも懐かしさを感じさせる、幼馴染の女の子の小さな、温かい右手だった。
手を繋いだまま俺達は王都の街をどこに行くともなくぶらつく。「せっかくの休日なんだし、もっとデートスポットらしい所行かなくていいのか?」と俺が聞いたら、ナナミは「いいのいいの、こういうこともしてみたかったし」と言ってきたので、俺の方からそれ以上聞くことはしなかった。
活気に溢れる下町を歩きながら俺達は前に会った時は十分に話せなかったいろいろなことを話した。ナナミは聖女育成学校での出来事。俺はアンナ・スノウ・そしてレインと出会ってからのこと。大聖女周りの話はややっこしくなりそうだから避けたけれど、ナナミは俺の話を慈しむような目をしながら聞いてくれた。
お昼も露店で食べ歩きをしながら、王都の街並みを歩く。そうこうしている間に、気付くとだいぶ日が傾きかけていた。
「ねえ、一か所だけ行きたかった所思い出したんだけど、付き合って貰っていいかな?」
唐突にナナミが切り出してくる。
「もちろんいいけど……一体どこに行くんだ? 」
「それは着いてからのお楽しみ」
いたずらっぽく笑いながらナナミは人差し指を口元に添えるナナミ。その芝居がかったナナミの態度に少しだけ違和感を感じつつも、俺は何も言わずにうなづいた。
ナナミに連れられて俺が辿り着いたのは街のはずれにある小高い丘だった。そこに辿り着く頃には、天はすっかり茜色に染まっていた。
「こんなところに一体なにが……!? 」
丘の頂上に着いた途端。俺は何が起こったのか、すぐにはわからなかった。
唇に感じるぷるんとした柔らかいナナミの唇の感覚。でも、気持ちよいとは感じず、ただただ困惑だけが俺の頭を埋め尽くす。
俺達はどれくらいキスをしていたんだろう。数分間か、あるいはほんの数瞬だったか。俺が困惑しているうちにナナミは唇を離す。その唇はほんの少し湿っていて、夕日を反射して煌めていた。
「あははは、やっぱり全然ドキドキしないね。ケインはドキドキした?」
「するわけないだろ。別にイヤってわけじゃないけどさ」
「だよね。やっぱ私達はお互いに幼馴染で……恋人としては見れないや」
そう呟くナナミはどこか寂しそうだった。
「でも、ケインをドキドキさせられなかったのは女子としてちょびっとだけ自信なくしちゃうなぁ」
「まさかナナミ、今日は最初からこうするつもりだったんじゃ……」
頭によぎった予想を口にするとナナミはゆっくりと首を横に振る。
「うんうん、それは違うよ。最初はケインとお付き合いすることに不安もあったけれど、付き合っていればケインのことを男の子として好きになれるんじゃないか、私だって恋する乙女になれるんじゃないか、って期待して寮を出てきた。ワンピースを選んでくれて、可愛いって言ってくれた時は、本当は内心すっごく嬉しかったんだよ? でもね」
そこでナナミは慈しむような表情を浮かべる。
「でも、ケインが朝ブティックで涙を流した時に気付いたんだよね。私、ケインのことを幼馴染として好きなんだ、って。それからレインさんやスノウさんとの暮らしを楽しそうに話すケインを見ていて、嫉妬心なんか全然わいてこなくて、むしろこっちまで微笑ましくなってきちゃって、その気づきは確信に変わった。確かにケインに男の子みたいに振舞われると異性として好きになりかけちゃうけど、私がいてほしいケインはそう言うんじゃない。時々弱みを見せてくれて、楽しそうに自分の話をしてくれるケインのことが幼馴染として大好きなんだ、って」
ナナミのそんな独白に俺はいたたまれない気持ちでいっぱいになる。
「それはその……ごめん」
そんな俺に、ナナミはゆっくりと首を横に振る。
「ケインが謝るようなことなんて何もないよ。むしろ感謝したいくらい。今日一日ケインと過ごして、自分が王都に来てからこれまで、何に苛立って、何に焦ってたのか、っていうことにようやく気付いた。それを教えてくれたのはケインなんだよ」
そう言って、ナナミは沈みゆく太陽を目を細めながら見つめる。
「私、本当は恋人が欲しかったんじゃなくて、心から「守りたい」と思えるものが欲しかったんだ。それが不明確なまま聖女に戦いを強いる教会に反発して、「守りたい」と思える明確な相手がいるカップルに勝手に嫉妬していた。でも、今日で私にも心から「守りたいもの」があることに気付いたんだ。その相手は恋人でも何でもないし、何だったら私よりもよっぽどお似合いの彼女さんっぽい人がいる。その人と手を繋いでもキスをしてもドキドキしない人。だけど」
そこでナナミは再び俺に視線をうつす。
「心の底からその人には笑っていてほしいと思える大切な幼馴染。それが、私にとってケインだったんだよ。だから、これからも幼馴染でいてね。私、ケインを守るために頑張って聖女になって、戦い抜いて見せるから」
そう言うナナミがどんな表情をしていたのか、俺には逆光のせいでよく見えなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。と、いうことでナナミ編クライマックスでした。
次回のナナミ視点のエピソードでナナミ編は完結です。もう少しお付き合いいただけますと幸いです。




