92話 ソロンとクレオン
クレオンはおっくうそうに魔族の泥をはらった。
なんだか姿勢が不自然なのは、地面に叩きつけられたときのダメージのせいだろうか。
クレオンは俺をじっと見つめた。
「ソロンは平気なのか?」
「結果としてみれば、ぼろい宮殿の床が抜けただけだよ。まあ腰は痛むけど、さいわい上等なクッションもあったし」
俺は魔族の泥を指差して、にやりと笑ってみせた。
もちろん魔族の泥をかぶるなんて嫌だし、遺跡の崩落に巻き込まれるのは勘弁してほしいけれど、死なずに済んだのだから我慢しよう。
けれど、クレオンは首を横に振った。
「そういう話じゃない。この魔族から出てる泥だが、粘液に神経毒が含まれている」
「え?」
言われてみれば、こういうスライム状の魔族はたしかに毒を持っていることが多い。
けど、俺はなんともなかったから気づかなかった。
どうしてだろう?
フィリアと魔力回路をつないだことがなにか影響しているのかもしれない。
きっと、今頃フィリアは俺のことを心配しているに違いない。
そして、俺はクレオンを見下ろした。
「つまり、クレオンは毒のせいでうまく動けない?」
むすっとした顔のまま、クレオンは何も答えなかった。
つまり、図星だということだ。
クレオンはしばらく考え込み、それから「ああ」とつぶやいた。
「これは君が仕掛けた罠だな。ソロン」
「俺が罠を仕掛ける? クレオンに?」
「自分は予め解毒剤を飲んでおき、僕と君がいる場所で、なんらかの方法で天井から神経毒を持つ魔族を呼び寄せる。そうすれば、僕を亡き者にすることは容易いからな」
「待った。俺だってこんな暗闇のなかに落とされて、困っているんだよ。俺が仕掛けた罠なら、自分が巻き込まれるわけない」
「どうかな。例えば、僕に止めを刺すために、あえて自分も一緒に床下へと落ちたのかもしれない」
「よくいろいろと悪い想像を考えつくね」
「ありうる話だ。……僕は形だけとはいえ、ソフィアの婚約者だ。君とソフィアからすれば邪魔な存在だろう。それにこの攻略作戦だって、僕さえいなければ止められるかもしれない。それに」
「それに?」
「君を騎士団から追放したのは、僕だからな」
クレオンは急に目をそらした。
もしかすると、アルテとは違い、クレオンは俺を騎士団から追い出したことを後ろめたく思っているのかもしれない。
俺は微笑した。
「べつに騎士団を追い出されたことは、恨んではいないよ」
「嘘だな。自分が作った騎士団から、あんなふうに罵倒されて追い出されたんだ。恨まないわけがない」
「最初はがっかりしたさ。俺はもう騎士団の仲間たちから必要とされていないんだと思ったから。目標を見失って途方に暮れた」
「今は違うのか?」
「そうだね」
「帝国最強の騎士団の副団長。それが君の肩書だった。冒険者なら、いや、帝国の臣民なら、誰もが憧れる地位だ。君はそれより大事な物を見つけたというのか?」
「俺は皇女フィリア殿下の家庭教師だ。それで満足なんだよ」
「理解できないな。より貴重な財宝を、より高い地位を、より輝く名声を、そしてより優れた力を、僕たち冒険者は求めるものだろう?」
「クレオンやアルテには力があるからね。クレオンたちが理想を追い求めるのは自然なことだ。だけど俺にはそんな力はない。自分が助けたいと思う相手を、ぎりぎり守ることができる程度の力しかないんだよ。フィリアたちを守れることが俺にとってはいちばん大事なことなんだ」
「……フィリア殿下のことが大切なんだな」
「まあね。弟子は可愛いものだよ。本当だったら、フィリアや仲間たちだけを助けたいところなんだけどね」
「本当だったら?」
「つまり、いまのクレオンのことも助けるってことだよ」
どのみち、クレオンの協力なしではここから抜け出して攻略隊に合流することはできないだろう。
回復さえすれば、クレオンの戦力はかなり頼りになる。
さらに、もしクレオンがいなければ、アルテが攻略隊の実質的な指揮官になる。
そうなれば、攻略作戦を止めるどころか、アルテの酷い作戦に付き合わされる可能性もあるし、フィリアの身が危険なのも変わらない。
クレオンは魔法学校以来、九年にもなる付き合いだった。
向こうはそうは思ってなかったかもしれないけれど、追放前は俺にとっては大事な友人だったのだ。
俺は宝剣を抜いて、簡単な回復魔法を唱えた。
すぐには無理でも、しばらくすればクレオンの毒も解けるはずだ。
「ほら肩を貸すよ。ここは上から瓦礫が降ってくるかもしれないから、移動しよう」
クレオンは複雑そうな表情を浮かべ、そして、俺につかまった。
「これで俺がクレオンを殺すつもりじゃないって信じてもらえたかな?」
「……もともと君が僕を殺すなんて、思っていなかったさ」
クレオンは小さくつぶやいた。
おぼつかない足取りで、クレオンが歩き始める。
「クレオンを助けるなんて久しぶりだ。昔を思い出すね。一年生のときに、クレオンが泥だらけの池に落ちて、それを俺が引っ張り上げて助けたっけ」
「いつまでも魔法学校時代のことを持ち出すなよ。君のそういうところが嫌いなんだ」
クレオンは不満そうにぼやいた。
そして、クレオンは言った。
「僕は君と違って、富も名誉も力も欲しい。けれど、一番の願いは君と変わらないのかもしれないな」
「ふうん。クレオンの一番の願いって?」
「もう一度、死んだシアに会いたい。そんな単純なことだよ」






