90話 貸しだと思わないでくださいよ
翼虎はふたたび急降下し、俺たち前衛の剣士たちを薙ぎ払おうとする。
ほとんどが踏みとどまったが、中にはその鉤爪に巻き込まれ、後方へ弾き飛ばされた者もいた。
そのあいだもアルテはその黒い瞳に強い意志の力を込め、まっすぐに翼虎を見ていた。
そして、杖を振りかざしたまま、高らかに呪文を詠唱しはじめる。
「形あるものはすべて虚しきものと異ならず、虚しきものはすべて形あるものと異ならない。我は往く川の真理を知る者。水の精霊よ、汝の力を貸せ!」
アルテの攻撃魔法は薄い青色に彩られた光の束となり、次の瞬間には翼虎の身体の中心部を射抜いていた。
翼虎が甲高い悲鳴を挙げる。
さすがは賢者というべきか、アルテの水魔法の威力は凄まじいものがあった。
俺も、たぶん他のみんなも、翼虎を倒せたんじゃないかと期待したと思う。
けれど。
翼虎は悲鳴を獰猛な唸り声に変えた。
その身体は魔法で切り刻まれても、なお動きを止めず、翼を広げて飛翔を続けていた。
まだ魔族の力の核となる部分を破壊できていないのだ。
ちっ、とアルテが舌打ちをする。
「来るぞ」
クレオンが低い声で、周囲の冒険者達に警告する。
翼虎は瞳を赤く光らせた。
その瞳は俺たち前衛を見ていなかった。
俺は後ろを振り返る。
翼虎が見ていたのは、間違いなくアルテだった。
まずい。
アルテは天才的な魔術師であり、圧倒的な才能をもった賢者だ。
けれど、だからといって万能というわけじゃない。
例えば、誰も護衛がいない状態で物理的な攻撃にさらされれば、アルテには身を守るすべがない。
だからこそ、屋敷襲撃の際に俺たちはアルテの襲撃を退けることができたのだった。
翼虎は低空をまっすぐに飛行する。
クレオンたちが攻撃を加えるが、翼虎は速度を落とさなかった。
そのままアルテの作った炎の柵を突っ切った。
もしアルテが後方に逃げようとしていたら、アルテの身は翼虎の餌食になっていたかもしれない。
けれど、アルテは翼虎の横をすり抜け、炎の柵を消して、前方に走り出した。
それが正しい判断だ。
後方へ行っても、剣士がほとんどいない以上、反撃も防御もできない上、他の魔術師を危険にさらすことになる。
逆に俺たちのほうへと向かえば、前衛と合流でき、標的となっているアルテの身は安全となる。
けれど、近くの前衛たちは誰もアルテの盾になろうとはしなかった。
いるのは、ほとんどが救国騎士団以外の冒険者だった。
アルテはもともと人望がない上に、炎の柵を作って退路を絶とうとしたのだから、とっさの判断で彼女を守ろうと思わなくても当然だ。
クレオンたちはアルテを守れる位置にいない。
けど、俺は駆け寄ってくるアルテとそう遠くない位置にいた。
一瞬、「もしフィリアを守りたいなら、アルテを殺しておくべきだった」というフローラの言葉が頭に浮かぶ。
けど、その言葉を俺は振り払った。
俺は後退して、アルテに接近した。
そして、翼虎とアルテのあいだに入る。
たった一人で俺は翼虎の攻撃から身を守らなければならない。
翼虎の振り下ろす鉤爪は宝剣テトラコルドで防げたが、その次の炎の息への対応が一瞬遅れた。
このままだと、アルテもろとも俺も消し炭になる。
けれど、一筋の光が翼虎の背中を突き刺した。
後ろをちらりと見ると、占星術師フローラが杖をかざして攻撃魔法を断続的に放っていた。
その攻撃で翼虎は痛みに暴れ、口が上向きになる。
口から吐かれる炎に巻き込まれずにすみ、その隙に俺とアルテはなんとか逃れた。
次の瞬間に、剣士たちは翼虎の周囲を包囲し、魔術師たちはそこに一斉攻撃を加えた。
翼虎はアルテの攻撃でかなり弱っている。そこにこれだけの攻撃が加えられれば、大きなダメージだろう。
案の定、魔力が尽きたのか、翼虎の動きが急に緩やかになり、そしてそのまま横向きに倒れた。
翼虎は倒されたのだった。
アルテは俺を不満そうに見つめた。
「これを貸しだと思わないでくださいよ。べつに先輩がいなくても、あたしは一人であの局面を打開することができたんですから」
「そんなこと言わないさ。どのみち、俺が貸しだと思っても、アルテが借りだと思わないなら意味がないからね」
アルテが狙われたのは、アルテの強力な攻撃魔法のために魔族の怒りを買ったからだ。
つまりアルテが攻略に貢献しているということだ。
そのアルテをたまたま助けたからと言って、俺がアルテに威張れるという話でもない。
言動には賛同できないけれど、アルテの実力自体は俺も認めていた。
そして、アルテが魔王復活のためにフィリアを狙おうとしたとき、そのアルテの実力は俺たちにとっての大きな脅威にもなるだろう。
フローラが俺たち二人をじっと見つめていた。






