63話 皇女イリスの考え方
目の前の少女はフィリアのことを妹だと言っていた。
だから、皇女だとは想像がついていたが、しかし、皇后の娘という点はわからなかった。
第十七皇女のイリスといえば、数々の帝国公式行事に皇帝の名代として登場していたはずだ。
まだ幼さの残る可憐な容姿は、国民のあいだで絶大な人気を得ている。
逆に母親の身分が高くないフィリアはまったくの無名で対照的だった。
本来であれば俺もひざまずき、イリスに対して臣下としての礼を尽くすべきだろう。
けれど、イリスはいきなり俺に斬りかかってきた。
ひざまずきなどしたら、こちらの身が危険な可能性がある。
皇族の機嫌を損ねているというこの状況は、あまり良くない。
「イリス殿下。私に剣を振り上げたのはなぜですか?」
「あなたが私の名前を知らないからです」
「どういうことでしょうか?」
「あなたは魔法剣士ソロンですよね。聖ソフィア騎士団を無能がゆえに追い出されたと聞いています。そして、今では無価値な皇女の家庭教師に身を落とした」
俺が答える前にイリスはたたみかけた。
「あなたは帝国の臣民であり、しかも侍従の身分を持つにもかかわらず、もっとも高貴な生まれの皇女を知らないのは失礼千万です。しかも私はいずれ皇帝になるかもしれないのですよ。私の名前を知らないのは、臣下としての大罪です。誅殺されても仕方がありませんわ」
イリスは美しい声で、ろくでもないことを言い放った。
あまりの言い分に呆れるのを通り越して、笑ってしまう。
いまどき、これほどの強烈な身分意識をもっているのは珍しい。
帝国では、皇帝の権威は低下し、貴族と平民の区分もだんだん曖昧になっている。
皇帝の大臣のなかには、平民出身者も混じっているのだ。
それなのに、この皇女は、ただ名前を知らないというだけの理由で俺を殺そうとした。
いったいどういう教育を施してきたのか、と俺は思った。
これでは帝国の未来は暗いと言わざるをえない。
ともかく、この皇女イリスの言う通り、俺はフィリアの家庭教師になると同時に、帝国から侍従の身分ももらっていたのだった。
まあ、形式的なものだし、大した価値があるわけでもないけれど。
俺は微笑した。
「これは失礼仕りました。しかしながら、殿下も仰っているとおり、仮にも私は皇帝陛下から侍従の地位を拝命しています。そうであれば、殿下の一存で私を殺すのは、陛下に対する反逆だと思われませんか?」
「私はこの場で皇帝の名代として全権を預かっています。たかだか平民の一人を殺すぐらい、罪になるわけがないでしょう?」
俺はてっきり、フィリアが皇族代表として呼ばれたのだと思っていたが、どうも違うらしい。
皇女イリスは剣をふりかざし、後ろを振り返った。
「さあ、私に楯突く平民を殺してしまいなさい」
いかにも貴族っぽい男の従者が二人、少女の後ろに控えている。
どちらもなかなかの長身で美形だった。
さらにその後ろには軍人や警官が多数いる。
本当に皇女イリスは俺を殺すつもりなのか。
こんな無茶苦茶な命令をどれだけ役人たちが聞くのかは疑問だけれど、もし全員まとめてかかってこられたら、勝てるだろうか。
まあ、相手は政府の人間たちだし、さすがにフィリアに手出しはしない。
俺は宝剣テトラコルドを構えた。
一人でこの場を切り抜けるくらいなら、なんとかなるだろう。
そう思ったとき、フィリアが、俺とイリスのあいだに立ちはだかった。
フィリアは小さな腕を広げて、まっすぐにイリスと対峙していた。
「わたしの大事な師匠を傷つけようとするなら、わたしはイリスさんのことを許さない」
「『イリスさん』って他人行儀な呼び方ですね。私とあなたは姉妹でしょう?」
「わたしのこと、本当は妹だなんて思っていないくせに!」
「そうですね。私とフィリアでは、皇女としての格が違いますから。私は皇后の娘ですが……」
そして、イリスはフィリアへと歩み寄り、その耳元に口を近づけた。
イリスの声は周りに聞かれないように小さかったが、俺にははっきりと聞き取れた。
「あなたは悪魔の娘なんでしょう? 汚らわしい」
皇宮では、フィリアが悪魔の娘であるということは、公然の秘密だと聞いていた。
実際に、イリスもそのことを知っていたらしい。
「あなたなんかが皇女を名乗るのは、間違っていますもの。悪魔の混血者なんか、本当ならどこかのうらぶれた売春宿で奴隷でもやっているのがふさわしいんですよ」
俺は宝剣を握る力を強めた。
少なくとも、このイリスなんかよりは、フィリアのほうがよほど皇女にふさわしい品がある。
フィリアは出生の秘密を持ち出されても、ひるまなかった。
「たしかにわたしは悪魔の娘だよ? でも、それでもソロンは、わたしがソロンの弟子だってことは変わらないって言ってくれた」
「それがどうしたというのですか? そんな無力な平民の言うことになんの価値があるのです?」
「わたしにとってはすごく大事で、嬉しいことだったんだよ。だから、イリスさんがソロンを殺そうとするのを、わたしは認めない。ソロンは何度もわたしを助けてくれた。ソロンがいなかったら、今のわたしは生きてない。だから、もしソロンを殺すなら、先にわたしを殺せばいい!」
フィリアはためらいなく、綺麗な声でそう宣言した。






