36話 復讐の刻
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ふっと笑いあったが、真理はすぐにぐらりと体勢を崩した。アテネはすぐに真理の体を抱き支えた。
「頑張ったね、真理。あとは私に任せていいよ」
「あぁ、頼む」
真理は先ほどの『事象改変』にすべての魔力を注ぎ込んでいたため、今の魔力はすっからかんだった。
真理はアテネに支えられながら廊下の隅へ移動した。アテネは真理の頬にちゅっと口付けをした。真理の顔は羞恥と歓喜に真っ赤に染まった。アテネも同じように顔が赤く染まっていた。
「行ってくるね」
「頑張って」
「うん」
アテネは真理から離れ、餓鬼の前に立った。
「さぁ、行くわよ」
アテネの目は希望とやる気に満ち溢れていた。餓鬼はアテネの様子に、片目を閉じてにやりと口角を釣り上げる。
「せいぜい絶望してくださいね」
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」
アテネは自身に『竜の力』を再び発動させながら餓鬼へ突撃する。対する餓鬼はすでに消えてしまった麗奈の2丁拳銃を生み出そうと『遺魂展開=錦城麗奈』と『魔力生成=呪魂双銃』と『能力展開=呪弾生成』を展開しようとした。
しかし、餓鬼は気付いてしまった。
喰らったはずの麗奈の魂が餓鬼の制御の手から離れようとしていることを。
餓鬼の使っていた『遺魂展開』およびその他の魔法は、喰らった魂を手元に引き寄せて発動させる。普段餓鬼の喰らった魂は、餓鬼の魂の中に仕舞われている。それがこの魔法の時のみ手元に引き出される状態となる。
真理の放った『事象改変』は、餓鬼の魂の中に収納される魂までは干渉できないが、外に出ている魂に対して元の姿へ変えようと影響を与える。それにより麗奈の魂は元の肉体のあったころの姿へ戻ろうとしたのだった。
「なっ」
「……!」
アテネは餓鬼の様子に疑問に思いながらグリフィンを振るう。尋常でない力を持って振るわれた斬撃だが、餓鬼が瞬時に展開した『イージス』によりがりがりと硬質な音を立てて受け止められた。
「ちぃ!」
「なぜだ……何が起きている?」
餓鬼は今まで起きたことのないことに驚きを覚えた。餓鬼は手元にある麗奈の魂を見た。どくどくっと鼓動を立てて反応を示している様子が窺えた。
アテネはもう一度魔力を込めた一撃を放とうと体勢を整える中、聞き覚えのある声が耳に届いた。
『りゅ……ぱい』
「!!」
アテネははっと目を見開いた。
確かにこの声は……
「麗奈っ!」
アテネは声を漏らした。
その瞬間、アテネの体にどこかから魔力が集まってきた。
「アテネ、麗奈なんだろ?」
脇にいるはずの真理の声がアテネの耳に確かに聞こえた。
「奪い返してこい。お前になら、できるだろ?」
「真理……」
この魔力の収束は真理の力によるものだった。魔力に直接干渉することができる真理は、『契約』を交わしたアテネに自分の想いも乗せアテネに力を注ぎ込んだ。
「餓鬼から、麗奈を、救う!」
アテネは駆け出した。
餓鬼の手から麗奈の魂を取り戻すために。
目の前に現れた奇跡を信じて。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
アテネは餓鬼の目の前まで全速力で飛び込んだ。
「まぁいい。私の前に飛び込むとはいい度胸をしている、とでも言おうか」
餓鬼の片手の上では麗奈の魂がどくどくと暴れながら、もう片方の手には漆黒の剣が掴まれていた。黒という色というよりはそこだけぽかりと空いてしまったような印象を受ける、底の見えないどんな光も吸収して見えなくしてしまう剣だった。見つめるとどこか絶望感を感じ、それを握る餓鬼の腕を闇が覆いつくそうとちろちろと影が暴れていた。
「ここでこれを使うことは想定していなかったのですが、仕方ないでしょう。死んでも魂は拾ってあげますからね」
あくまでも餓鬼は落ち着いていた。落ち着きを払ったまま漆黒の剣をアテネへ突き出す。黒い瘴気を纏った漆黒の剣はアテネの心臓を狙って突き出されたが、アテネは瞬時に体を右に逸らし、剣はアテネの装束を薄く切り裂いただけに留まった。
「切り裂け!」
アテネはグリフィンを振るい餓鬼を横薙ぎに切り払う。
しかし、餓鬼に迫った刃は寸前のところで『イージス』の幾重もの障壁に阻まれた。障壁に受け止められてわずかに体を硬直させたアテネへ餓鬼の剣が容赦なく襲い掛かる。
「ぐぅ!」
餓鬼のさることながらアテネの戦闘技術は卓越したもので、餓鬼の剣の袈裟切りをグリフィンをクロスさせるようにして鍔を合わせることによって直撃を回避した。しかし、餓鬼のその一撃は重く、アテネではその衝撃を抑えきることができなかった。剣が纏っている、いや剣自体の瘴気が剣戟に乗せられており、グリフィンを超えて瘴気がアテネへ襲い掛かった。
餓鬼の使う剣は『絶望の剣』という名を持つ。餓鬼が以前喰らった魂をいくつも使い潰して作り上げられた代物である。
アテネはその剣の瘴気を受けて顔をしかめた。頭の中にいくつもの激しい慟哭が聞こえてきたからだ。おぉおーん、おぉおーんと泣き叫ぶその声達はアテネの精神を蝕んでいく。
「『クロスブロー』『仮初の微睡』」
アテネは風魔法を餓鬼へ撃ち付けさせながら回復魔法を自身に施す。すると瘴気による幻聴はぱたりと止んだ。アテネは唇を噛み締めた。こちらの攻撃はいくら当てても効果がないが、向こうの攻撃がかすりでもすればこうして瘴気に蝕まれてしまう。
それでもアテネは餓鬼へ立ち向かっていく。
「グリフィン! 行くわよ!!」
アテネは長い付き合いになる相棒の鎌型法具グルフィンを強く握り締める。魔力を鋼糸のように細く強く、練り込み編み込んだ魔力を全体に行き渡るように流し込む。魔力を出したり戻したりして法具との親和性を高めていったグリフィンはもはやアテネの手足同然だった。アテネはグリフィンをくいっとグリップを手元に引き寄せた状態で餓鬼へ突っ込んでいく。
餓鬼の体に当てようとグリフィンを何度も振るう。
例え、何度も弾かれようとも。
そして、アテネは見つけた。
餓鬼の手でもがく麗奈の魂に手が届きそうな場所を。
「その魂は、返してもらうよ!」
餓鬼の漆黒の剣の斬撃を交わしながら、アテネは餓鬼の剣を持たぬ方の手を狙ってグリフィンを振る。案の定『イージス』に弾かれるグリフィンの刃。
「『加速』!」
弾かれた反動を物ともせずに魔法でまっすぐ餓鬼へ突っ込むアテネ。
「らあああああああああああ!」
「無駄ですよ!」
餓鬼は横薙ぎに剣を振るう。魔法によって一直線に加速されて進むアテネには躱しようがなかった。餓鬼は少し残念そうな表情を浮かべながら目の前に見える未来を感じた。『絶望の剣』を躱しきれずにその身に傷を負うであろうアテネ。さすれば、さながら毒のようにアテネの体を蝕みまもなくその命を散らすことになるだろう。もっともアテネほどの魔力を持っていればすぐに死に直結することはないかもしれない。だとしても体の動きは鈍り、すぐに餓鬼の二太刀三太刀を受けて死ぬだろう。餓鬼は自分に刃向かうものには容赦しない。もっともその命に興味はなく魂にしか興味がない。死ねば魂はすぐに消滅しようとするが、すぐに対処すれば餓鬼のコレクションの一部となる。餓鬼にとって他の人・鬼といった存在はただのコレクションすべく対象でしかないのだった。
「『加速』ぅうう!!」
しかし、餓鬼の予想を反することが起きる。
アテネの体が何かに導かれるように上に浮き上がり、餓鬼の剣の軌道から逃げ出したのだった。
ミサイルのようにふらふらとそれでいて目にも止まらないスピードで餓鬼へ迫るアテネ。
アテネは何度も諦めずに餓鬼へ刃を振るう。
がんと、ワンテンポ遅れて『イージス』がアテネの攻撃を防ぐ。
「なんと小癪な!」
「もう一度! 『加速』!!!」
アテネは加速魔法を重ねて発動させる。たとえ自身に掛かる重力に耐え切れずに体の至るところから出血していたとしても。餓鬼のぶ厚い障壁を破って麗奈の魂を取り返すまでは、アテネは諦めるつもりはなかった。
「っ、くぅ」
「そこ!」
餓鬼の攻撃を掻い潜り、懐へ入り込むアテネ。
「麗奈の、魂を取り返す! 『奪魂鎌』あああああ!!!」
アテネのグリフィンは新たに生み出される魔法を受けて鮮やかな紫色へ色塗られた。斬るのではなく刈り取ることを前提とした斬撃は、餓鬼の障壁をぶち抜いて餓鬼の体にかすかな切り傷を作って麗奈の魂を刈り取った。
アテネはそのまま走り抜けて餓鬼から距離を取った。
「なんと……魂を奪い返した、と」
「麗奈、おかえり」
麗奈の魂はぴくぴくと嬉しげな動きを見せた。
「これで、もうお前には麗奈を縛ることはできない」
「ふぅ、せっかく貴方が絶望してくれそうな材料だったのに。これでは逆に希望を与えてしまったではないか」
餓鬼は悔しげな表情を一瞬見せる。
その後、餓鬼は無表情になった。
「少し貴方のことを見くびってました。評価を上方修正しておきましょう。魂を美味しくすることは二の次ですね。今すぐにでも頂かせていただきますよ」
アテネはぶるりと身震いをした。餓鬼の纏う殺気が変わったのだ。
「ん?」
アテネが手を見れば、すでにどこかへ消えてしまったと思っていた麗奈の魂がそこにあった。
「もういいんだよ、どこへ行っても」
アテネがそういってもふるふると拒否する動きを見せる麗奈の魂。
麗奈の魂はぴょんとアテネの体に飛び込んだ。
「えっ?」
麗奈の魂はアテネの体に中に入り、アテネの魂の中にまで入り込んだ。
『私はおねぇさまのそばがいいんです。一緒に戦わせてください』
アテネの耳には麗奈の声がたしかに聞こえた。
魂が他者の体の中に入った時に、その他者を支配するか、その他者に従属するかのどちらかになる。麗奈は後者の方を選んだ。自らの無念を晴らそうと頑張ってくれるアテネのためにできることをしようと。
『私の力をあげます。大したことはできませんが、役立ててください』
麗奈の声はすっと消えていった。
アテネは自分のものではない力がそこにあることを感じた。自分のものではないものの自分が使おうと思えばすぐに応えてくれる、麗奈の力に。
「わかったわ、麗奈の想いは受け取った!
行くよ!!!」
アテネは一度は破った障壁を突き崩すべく再び餓鬼へ足を進めた。
「次はそう簡単にいかせませんよ」
餓鬼は剣を持つ手に力を籠める。
その瞬間。
どこからか飛来してきた真っ赤に燃え上がる大きな火の球の塊が餓鬼にぶつかった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「なっ!」
「対大罪術式ぃいいいいいいいい! 『紅蓮華』ぁああああああ!!!」
轟、と火の塊は勢いを増し、餓鬼とぶつかり合う。
餓鬼の展開する『イージス』にひびが入りながら再生するを繰り返している。
餓鬼も炎自体は防げても発せられる熱気は防げないらしく、顔をしかめている。
突然現れた火の塊。
それは餓鬼へ復讐を願ってきた魔法少女。後藤ほむらだった。
「らあああああああああああ!」
「くぅ、これは厳しい! 『氷獄地獄』!」
餓鬼は『イージス』の維持に全力を回すことを止め、新たなる魔法を発動させる。
氷を操る鬼達の魂をいくつもつなぎ合わせて一つの魔法を発動させる媒体へ変化させて出来上がった魔法。それが『氷獄地獄』。辺り一帯の全てを凍りつかせる魔法。そもそも魔法というより一つの災厄である。
それが餓鬼の手から放たれた。
一瞬にして全てを凍りつかせる吹雪、それを受ける一輪の業火の炎。
炎は少し後退したが勢いは負けていなかった。
吹雪と炎は拮抗状態を保ちながら互いの領域を侵食しようと鬩ぎ合う。
アテネは状況を理解して手を前に伸ばす。
うかつに近づけば吹雪に凍り付かせられ、炎の華に灰にされるだろう。
だからこそ、アテネは一つの手段を取る。
麗奈からもらった力を使う。
ありていに言えば“銃弾を操る”力を。
「私の想いに応えよ『一斉掃射』」
アテネの周りにいくつものアサルトライフルが現れ餓鬼へ照準を合わせる。
そして餓鬼の『イージス』がほむらの業火の余波を受けて揺らいだ瞬間に一斉に射撃を開始した。
魔力で構成されたアサルトライフルと銃弾をアテネは維持させながら、餓鬼を睨む。
放たれた弾丸は『イージス』に当たり弾かれていくが、『イージス』にたしかにダメージを与えていた。揺らぐ回数が増え、ほむらの攻撃に耐え切れなくなっていく。
餓鬼の放つ『氷獄地獄』はたしかに勢いを失わないままほむらを攻めるが、対するほむらはまったく揺らがなかった。
「う……うがああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
餓鬼は吠える。
手に『絶望の剣』を掴みながら。
もう片方の手で『氷獄地獄』を維持させながら。
そして、『イージス』は破れた。
二人の魔法少女によって。




