持続可能な都市の検討とその実現について
視界補助AI〈Aegis〉が日常に溶け込んで久しい。
街の景観は穏やかで、誰の目にも美しく映る。
だが、その美しさは各人に固有だ。
一つの場所を十人が眺めても、十通りの風景が見えている。
それが「当たり前」になってから、もう二十年が過ぎた。
私は都市環境研究所の記録庫で、AI導入前後の議論を閲覧していた。
「持続性委員会 第438会合」——その議事録には、当時の社会の切迫感が生々しく残っている。
記録によれば、21世紀半ばの人類は「幸福」と「持続可能性」を両立できなくなっていた。
気候変動による食料危機、エネルギーの分配戦争、都市部のスラム化。
どんな改革も「生活水準を下げる」という一点で市民の支持を失った。
「人は贅沢をやめられない生物です」とある行動経済学者は記している。
「しかし、その贅沢が物質的消費である必要はない。」
この一言が、〈視点補助AI〉の社会実験に火をつけた。
会合第213回の議題は「幸福の単位化」だった。
倫理学者・神谷の発言が残っている。
「幸福とは、主観的体験の総量であり、外界の物理的状態ではない。
ならば、幸福を資源消費から切り離すことが、最も効率的な持続可能性である。」
AIを使い、同じ廃工場を「美しい遺跡」として知覚させた被験者群では、
ストレスホルモンが平均68%減少。幸福度スコアは倍増した。
しかも、消費したエネルギーは通常生活の1/100以下だった。
議論は様々な場でなされた。
倫理委員会、市民フォーラム、宗教会議、国連環境局——あらゆる場で問われたのは同じ一点だった。
「私たちは、どこまで“現実”を手放してもよいのか。」
最終的に出された答えは、きわめて理性的なものだった。
-AI導入はあくまで個人の意思決定に基づくこと。
-社会的接触時には共通知覚層を自動生成し、他者理解を維持すること。
-外界を改変しないことを前提とし、エネルギー消費削減を主目的とすること。
上記は国民投票が行われ賛成多数で可決した。
ーーー
私は記録を閉じて、現実に戻る。
視界には、豪華な住宅街。風にそよぐ緑と、透き通る空。
だが、裸眼モードに切り替えれば、そこは白色の豆腐の様な家が並ぶ。
それでも人々は笑い、学び、愛し合う。
彼らにとって、それが現実だからだ。
〈視点補助AI〉の理念が頭をよぎる。
「持続とは、物質を保存することではなく、幸福を保つことです。
あなたが見たい世界を、あなたが選び続ける限り、それは持続します。」
私は頷く。
物質の浪費なき世界、衝突なき主観の宇宙。
——ここに至って、人類はようやく「文明の熱死」を回避したのかもしれない。
後世の哲学者たちは、この技術革新を「知覚のコペルニクス的転回」と呼んだ。
外界を中心に置いていた人間が、自らの意識を中心に宇宙を再構築したのだ。
資源の有限性は超えられない。
だが、意味の生成は有限ではない。
〈視点補助AI〉とは、物質に依存しない幸福の発電機であり、
その出力は、持続可能性そのものの前提を修正した。
私はふと、昔の議事録の一節を思い出す。
「私たちは、地球を救うために目を閉じるのではない。
目を開いたまま、見方を変えるのだ。」
——そして今日も、人類は見続けている。
自ら選び取った、持続可能な視界の中で。
SGDGs実現に向けて頑張ろう!
SDGsを標榜する人たちがどのような未来を望んでいるのかについて、わたし、気になります!
ところで、マイクラプレイ時は豆腐ハウスをよく作ったものです。マイクラは資源を無限化できるので持続可能性を秘めている!




