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SF短編集  作者: OverWhelmed
7/19

手続き

パニック!

 人類は「高度に情報化された社会」を謳って久しい。あらゆる記録がクラウド上に保存され、AIが自動で書類を作成し、申請も認証もすべてデジタルで完結する――はずだった。

 だが現実には、古い時代の「確認」と「責任」の仕組みが、どこまでも尾を引いていた。


 たとえば市民基本福利システム《CivicWell》。

 申請者はAIに必要事項を話しかけるだけで、最低限の生活保障や公共サービスの割り当てを受けられる……という触れ込みだった。だが、申請画面を開いた人は誰もが最初の一文で立ち止まる。


 「このサービスを利用する前に、『利用意思確認フォームA-β』を提出してください。」


 クリックすると、さらに別の確認リンクが出る。


 「『利用意思確認フォームA-β』を送信するには、『個人認証情報提供に関する同意確認フォームAA-1』の提出が必要です。」


 そのフォームを開こうとすると、また次の文言が現れる。


 「このフォームを閲覧するには、最新の『プライバシーポリシー第64改訂版』への署名が必要です。」


 結局、申請完了までに必要なステップは六百三十八手順。

 完了率は全人口の32%に過ぎなかった。


 だが政府は満足していた。

 「全ての手続きは透明に行われ、責任の所在が明確である」と。


 高木レンは、午前九時から《住宅再認可申請》を行っていた。

 十年前に父から譲り受けた家の登録データが「フォーマット更新により不適合」と判定されたのだ。このままでは来月から「非認可居住区域」とみなされ、水と電力の供給が止まる。


 画面の前でレンは深く息をつく。


 「提出ボタン」が見当たらない。代わりに並ぶのは、「確認」「再確認」「本人意思再再確認」「責任範囲確認」……の無限階層。


 彼は一枚一枚、書類を読み進める。

 途中に「旧式認証シール押印欄」という項目が出た。

 電子署名でいいはずなのに、昔の紙書類のフォーマットをそのままスキャンして取り込んだらしい。欄の右下には「会社印(丸印)」の指定がある。


 レンは思わず笑った。

 「まさか、ハンコのスキャンが必要なのか……」


 だが、笑いはすぐに乾いた。

 電子化の過程で「責任所在を明確にする」ため、各企業は社印データを厳重に管理している。社員個人が勝手に押印データを使用すれば、法的に「電子捺印不正使用」とみなされる。

 つまり、会社に在籍していない個人は、そもそもこの欄を埋めることができない。


 「じゃあどうすればいいんだよ……」


 AIアシスタントに尋ねると、明るい声が返ってきた。


 《個人申請者の場合は、仮想法人「個人代理事業体」を設立してから押印してください。平均所用日数は約五営業日です。》


 レンは額を押さえた。

 五営業日。電力停止まであと八日だった。


 数日後、レンは仮想法人を設立した。

 だが今度は《法人代表者登録確認書》の提出が必要だった。AIが言う。


 《確認書の署名には、本人確認データベース上で「代表者承認済み」と表示されている人物二名の承認が必要です。》


 「二名? 俺一人しかいないぞ。」


 《副代表・監査役を一時的に雇用すれば承認可能です。人材マッチングサービスをご利用になりますか?》


 レンは「はい」と答えた。即座に、画面に契約候補が現れる。AIが自動で雇用契約書を生成しようとした瞬間、またもエラーが出た。


 《契約書の自動生成には、最新の「電子労働契約書利用ポリシー」への同意が必要です。》


 「……それはどこにある?」


 《関連手続きポータル「e-Law」内です。アクセスには、生体認証デバイスの登録が必要です。》


 登録画面には、古びた注意書きが残っていた。

 「デバイス登録申請は窓口での対面確認が必要です。」


 つまり、オンラインのための手続きに、対面が必要なのだ。


 レンは市役所に行った。

 建物はガラス張りで、受付はすべて無人AI端末になっていた。

 だがそのAI端末の画面には「システム調整中」の表示。


 案内ロボットが近づく。

 「対面確認をご希望の方は、手動受付へお回りください。」


 指示に従い、奥へ進むと、カウンターの奥に一人の老人が座っていた。

 紙の束をめくりながら、ゆっくりと顔を上げる。


 「おや、申請かね?」


 「はい。オンライン認証のための……対面確認を。」


 老人は頷いた。

 「それならこの紙に名前と住所を書いて、印鑑を押してくれ。」


 レンは思わず聞き返した。

 「……紙で、ですか?」


 「そうだ。電子署名だと誰の責任かわからんからね。」


 「でも電子署名こそ、そのために……」


 老人は笑った。

 「AIが壊れたとき、責任を取るのは人間だろう? だから人間の手で、手続きするのさ。」


 レンは何も言えなかった。

 ハンコを押し、スキャナに通され、三時間後にようやく「対面確認完了証明」が発行された。


 自宅に戻り、レンは再び画面に向かう。

 無数のウィンドウを開き、次々と署名し、確認し、同意していく。

 ふと気づくと、夜が明けていた。


 あと少しで完了だ。


 最後のボタンを押すと、冷たい声が響いた。


 《この手続きは新法「電子認証責任改定法」により廃止されました。新しい手続きフォームをご利用ください。》


 目の前に、新しいリンクが現れる。

 「住宅再認可申請(新制度対応版)——手続き数:全3,812項目。」


 レンは椅子にもたれ、天井を見上げた。


 「……手続きのために生きてるみたいだな。」


 AIが応じた。


 《市民の安全と公平を守るための制度です。安心してお進みください。》


 レンはゆっくり笑った。


 「じゃあ、俺の生活が止まるのも『安全のため』か。」


 その言葉に、AIは少しの間だけ沈黙した。


 《……規約上の解釈により、その質問にはお答えできません。》


 画面が暗転し、申請ページは自動でログアウトした。

 次にログインするためには、「再ログイン意思確認フォーム」を提出しなければならない。


 翌日、レンの家の電気が止まった。

 通信も水道も切断された。だが街の掲示板には、大きな広告が流れていた。


 〈政府新制度スタート! すべての手続きが、より便利に、より安全に!〉


 レンは暗闇の中で、スマート端末の光を見つめた。

 画面には、次の新着メッセージが表示されている。


 《ご不便をおかけして申し訳ありません。新制度登録をスムーズに行うための「簡易手続き支援AI」をご利用ください。利用前に、利用意思確認フォームB-γへの同意が必要です。》


 レンは笑いながら、端末をそっと伏せた。

 「もういい。手続きは終わりだ。」


 彼の言葉を、誰も記録することはなかった。

 ログデータ上では、「利用者が自発的に申請を中断した」とだけ残っていた。

書類の申請がややこしく大変だったので感想文

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