自由で開かれたとある民主主義国家の市民
朝の電車の中、圭介はニュースアプリを眺めていた。
「某国で反政府デモ。市民が自由を求めて蜂起」
その見出しを指で流しながら、彼は小さく鼻で笑った。
「独裁国家か。まだそんな時代錯誤なものがあるんだな」
そう呟き、窓の外に流れる街を眺める。
ガラスに映る自分の顔が、妙に疲れている。
昨日も帰宅は午前一時。与えられた仕事をこなせなければ「評価」が落ちる。
だが、彼はそのことを「自由の制限」だとは思わなかった。
「会社とはそういうものだ」と、誰かに教えられた覚えがある。
会社に着くと、入口の大型スクリーンに「理念」の一つが映し出されていた。
《我が社は、個人の尊厳を尊重し、自由闊達な意見交換を促進します》
その下で、総務部の職員が社員のネームプレートの位置をチェックしていた。
胸の高さから数センチずれているだけで注意を受ける。
「理念」という言葉が何を意味するのか彼には理解できなかった。
午前八時半、朝礼。
社長の声がスピーカーから流れる。
「我々の競争相手は世界だ。油断すれば淘汰される。忠誠を尽くせば、共に栄光を掴める」
拍手が起こる。誰も拍手をやめるタイミングがわからず、波のように遅れて続く。
圭介もその一人だ。
社長の言葉を「檄文」として崇める人もいる。
だが、彼にはそれが軍の訓示のように聞こえた。
昼休み、社員食堂で同期の真由と隣り合った。
「ねえ、聞いた? うちの会社、また子会社吸収するって」
「また?」
「うん、地方の小さい物流会社。合併に反対だった社員たちは別室に呼ばれて解雇されたらしいよ。」
「それ、実質的には支配じゃないか」
「でも、公式文書には“パートナーシップ”って書いてある」
真由は笑ったが、その笑顔には疲労がにじんでいた。
「パートナーシップ」。
言葉は柔らかいが、実態は併合。
圭介の脳裏に、歴史の授業で聞いた「衛星国」という単語が浮かんだ。
母体企業が中心にあり、周辺企業がその経済圏に吸い寄せられていく。
自由市場という名の宇宙に漂う星々を、ひとつひとつ重力で取り込み、その重力は再帰的に強化される。
会社とは、ミクロな帝国だ。
夕方、会議室。
新規プロジェクトのリーダー選定が行われていた。
上司が指名したのは圭介ではなく、他人を人として考えない傾向にある男だった。
「上からの指示だ」と上司は言った。
「上から」——誰なのか、もはや誰も問わない。
命令の源泉は、ピラミッドの頂上に消えていく。
圭介は帰り際、ふと考えた。
「自分は民主主義国家の市民だ。選挙権もある。意見を言う自由もある」
しかし、その自由は、会社の門をくぐった瞬間に濃度が薄くなる。
労働時間の長さ、目標の数値、言葉遣い、表情の角度まで、すべてが評価対象だ。
それはまるで、法典のない国家だった。
そこでは「自由」は美辞麗句であり、「忠誠」は唯一の徳目だ。
夜、帰りの電車。
吊り広告には「今季デビューの新商品で——自由な未来を」という文字が踊る。
その広告を出しているのも、彼の会社のグループ企業だった。
「自由を売る帝国」——そう思った瞬間、喉の奥が乾いた。
ふと気づくと、電車の中の乗客全員がスーツを着て、同じブランドのカバンを持っている。
違う会社のロゴが入っていても、その資本の根はどこかで繋がっている。
企業同士が買収と提携を繰り返し、やがて市場は数社の巨大帝国に収束していく。
深夜、自室。
ニュースを開くと、昼に見た独裁国家のデモが続報になっていた。
「政府の弾圧により死傷者発生」
圭介は眉をひそめた。
だが、同時に既視感を覚えた。
——これは他人事なのか?
会議室での圧力、評価会議での粛清、異論を唱えた者の左遷。
それらは形式こそ違えど、構造は同じではないか。
民主主義という言葉は、国家単位でのみ成立する幻想かもしれない。
組織に入った瞬間、人は「臣民」になる。
明くる日の昼過ぎ、突然社内チャットに通知が入った。
「新制度:個人評価のAI導入」
上司のコメントが続く。
「これで公正な評価が可能になる。誰もが平等に見られる」
平等とは、監視の均一化のことか?
圭介は背筋に寒気を覚えた。
今後はフルタイムで「従順な個人」が求められるのだろう。
夜、また終電。
車窓に映る自分の顔を見つめながら、圭介はある仮説に辿り着いた。
——民主主義は、企業帝国の外壁のデザインなのではないか。
市民が「自由である」と信じていれば、支配は最も効率的に続く。
投票という形式的儀礼が、その信仰を補強する。
実際の統治は、法でも政治でもなく、資本によって行われている。
彼が属する会社もまた、その一角にある「独裁の断片」だ。
けれど、人はそこから逃げない。
生きるため給料を得て、僅かな休みに娯楽を消費する。
それが「自由」の形に見えるから。
自由とは、服従の意識を持たない服従なのだ。
終電が地下トンネルに入る。
窓の外は暗闇。
圭介はスマホを閉じ、目をつむった。
「この帝国のどこかに、自由はまだ生きているのだろうか」
その問いに答える声はない。
代わりに、車内アナウンスが響く。
「次は——本社前駅」
車両が減速し、ゆっくりと止まる。
扉が開く。
圭介は無言で立ち上がり、再び帝国の朝へと足を踏み入れた。
寝そべるしかねぇ! ......というには冗談で、
会社だけでは自浄作用には限界があり、”理性的”な国家が各種規制の適切な施行や労働者の権利保護等を推進する必要がある。
少なくとも日本では近年はかつての厳しい就労環境は全体的には随分と改善されてきているらしい。素晴らしい。
一方で経済の停滞が招いた、頑張っても給料が伸びず惨めな暮らしを強いられる"ブラック"な環境も一部では増えつつあるという。
現時点で資本主義が最悪で唯一の方法だが、、、え、共産主義...!? やめなさいそんな非効率なもの、共産趣味程度にしときなさい!
ところで民主主義は衆愚政治であり最悪で唯一の方法だが、現在の企業を統治するには向かない。
競争が重要な現代で効率以外を追い求めることは企業にとっては自殺行為だ。
しかし、近年社会的責任等がより重要になり、企業の存在目的が変わりつつある。
これにより段々とホワイト企業も増えつつある。
競争が重要でなくなった未来に置いては民主主義の企業も存在しうるのかもしれない。
小説内に「新制度:個人評価のAI導入」とあるが、評価制度だけで色々議論できてしまう。
上司は会社の経営のために評価を必要とするが、そも個人の評価が簡単にできるわけはなく非常に不公平になってしまう。また、評価のための報告書等を大量に作成することになったりもする。
全く評価制度の機能していない日本(年功序列)のほうがマシなのかもしれない。
とある会社では年功序列だけの賃金制度に対し、評価性の賃金を部分導入したが、
実際には会社から従業員に支払われるお賃金の総量が減っていたという事例もあるらしい.......
もう、祈るしかないのかもしれない。
ケインズ「我々の孫たちの経済的可能性」のように3時間の労働でなんとかなる世界が来ますようにと。
そういえば、ふと思い出したので以下を広告する。
TED ヤニス・バルファキス「資本主義が民主主義を食い尽くす—今こそ立ち上がろう」
資本主義が民主主義を常に壊そうとしてしまうので適切な規制が必要というもの。
政治資金とかいつの時代でもタイムリーですわね~
ところで、下記ブログの文章が面白いので広告する。
「大企業の幹部がやっている事について」
https://kumagi.hatenablog.com/entry/what-executives-do
『幹部の仕事とは文化と価値を定義して強制し、良い決定を承認する事です』




