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第二十二話 忙しいみその

 


「なんでぇおめぇ大分でぇぶ飲んでんのかぇ?」


 永岡はみそのを見るなり開口一番、そんな言葉を口にした。


「おそいおらんなぁ〜。

 れらいれまっれらんらろぉ〜」


 みそのはへべれけになりながら、永岡の胸へ頭突きをする様にもたれ掛かると、そのままムニャムニャやりながら寝てしまった。


「なんだこりゃ…」


 胸の中で眠るみそのに、永岡はただただ呆れる。


 永岡は『豆藤』を出て直ぐに、暁九つ(凡そ午前零時)の時の鐘を聞いていたので、既に午前様と言うやつだ。

 あれから永岡は、智蔵が言い出した北忠の奢りの言葉が効いて、伸哉を筆頭に手下達が盛り上がりを見せ、中々酒宴から解放されなかったのだ。

 北忠が終始青い顔だったのは言わずもがな。

 手下達が酔い潰れた事で、漸く解放されたのだった。


 みそのはと言うと、祝杯と言いつつ、普段よりも酒を過ごしてしまっていたのだが、そこは昨日一昨日と、連日失態を犯していたみそのだ。今夜は永岡が帰って来るまでは寝まいと、気を張って起きていたのだった。

 しかし、今日は良く歩いて疲れた上に酒も多目に入っている。自然、眠たくもなると言うものだ。

 みそのは何度か気を失いかけながら、必死に眠気と戦っていたのだった。

 先ほど永岡が帰って来た時には、みそのはもう既に眠気の限界ゲージが計測不能になっていたのだ。


「ったく、しょうがねぇなぁ」


 永岡は頰を緩めて独り言ちると、みそのを抱えて寝間へと運ぶのだった。



 *



「ーーぁはわっ!

 …店長、あれ? もう決まってたんですか?

 でも私、今日から店長がヘルプ入ってたなんて、全く聞いてなかったですよ?」


「いや、未だ本部へは行ってないし、それに店長は雅美ちゃんだからっ!」


 生欠伸をしていた雅美が希美に気づき、早とちりな声をかけて来たところだ。

 希美は目尻に涙を溜めた雅美に呆れながらも、未だに店長と呼ぶ雅美にツッコミを入れる。


 今朝の希美は日本橋丸越が開店するや、地下の食料品売り場へ急行したのだった。

 そして今、お目当ての買い物を済ませ、婦人服売り場のフロアへエスカレーターで上がり、元の職場に顔を見せに来ているのだ。


「つーか、お店で大口開けて欠伸なんかしないの!

 店長としてどうかと思うわよ?!」


「いやいやいやいや、店長こそしょっちゅうやらかしてましたからーっ。

 虫が入って大騒ぎしてた時もあったじゃないですかぁ? 超ウケましたよねアレ? あはははははー。し、死ぬぅ…」


「…………」


 雅美はお客が居ない事を良い事に、声を落とす配慮をしながらも、それでも死ぬほど笑っている。

 身に覚えのある希美は何も言い返せない。


「流石店長ですよね? 伝説持ち過ぎ、プッ…」


 雅美はまた別の何かを思い出したのか、言いながらも笑いがはみ出してしまっている。

 希美が店長の頃は、相当楽しい職場だったのだろう。


「でも、とっとと本部行っちゃってくださいよね、店長ぉ。

 店長居ないと私だけが平均年齢上げてるみたいで、罪の意識がパないんですからねー?」


「いや、そんな理由で私を所望するのやめてくれるっ?

 つーか、私が雅美ちゃんと店に立ったら、平均年齢とかそのままだからっ!」


「つーか店長、言っていい?」


「何よ?」


「冷静かよっ!」


 自分で言ってキャハハと笑う雅美。

 もう眠気は吹き飛んだ様だ。全力で希美を楽しんでいる。


「あのねぇ…」


 希美は雅美から遊ばれている事に眉をひそめながらも、懐かしい笑いが込み上げて来る。


「でも店長、良く良く見れば超買い物してましたね?

 今日誰かと家呑みなんですか?」


「つーか、明らかに買い物帰りのセレブの図でしょうがっ」


「ん? 買い物帰りにケバブ食べ行くんですか?」


「んな訳無いじゃないっ! って聞こえてたくせにっ!」


「まあ、店長なだけに、まさかって事もあるじゃないですかぁ?

 とか言いつつ、本当に食べ行っちゃって写メ送られて来る予感っ!」


「フリじゃ無いからっ!」


「で、今日は何呑みなんですか? って言うか誰呑みなんですか?

 それ次第では今日の予定、キャンセルしてもいいですよっ!?」


「四十年ほど前はイケメンだった? って人だけど?」


「………まあ、楽しんでくださいねっ!」


「ーーーそうよね、そうするわ…」


 希美は雅美の予想通りの反応にほっとする反面、いつかは呼んでやりたくもなる。

 勿論、すーさん庄さんとの合コンに。


「じゃあ、ちょっと顔出しただけだから、もう帰るわね?

 本部へは来週行く事になってるから、本格的に日程が決まったら連絡するわ」


 希美は未だ未だ予定がギッシリな事を思い出し、雅美に別れを告げる。

 雅美は名残惜しそうにするも、


「じゃあ待ってますね?

 やっぱり店長居ないと笑いに飢えちゃいますし、緑ちゃん達だけだとオバちゃんに見えちゃいますから」


 取り敢えず余計な一言を言ってしまう。

 希美はそれに硬い笑顔を残し、エスカレーターを下って行くのだった。


 *


 希美は丸越から戻ると、珍しくキッチンに立ち、あれこれ高麗鼠のように働いている。

 ジューっと盛大な音とともに、一瞬目の前が真っ白になったような湯気があがり、


「熱っ!」


 希美の悲鳴が上がる。

 希美は目をしょぼつかせて顔を歪めるが、口元はニンマリと口角を上げている。


「あっ、もうこんな時間じゃないっ」


 時計を見た希美は慌てたように独り言ちると、また高麗鼠のように、あれこれと片付けに駆けずり回る。

 何やら予定が立て込み過ぎて、時間に追われているようだ。


 希美はチラチラと時計を気にしながら、手を動かし続けるのだった。



 *



「おう、弘治ひろはる先生じゃねぇかぇ?

 こんな所で会うなんて奇遇だなぁ?」


「永岡の旦那っ!」


 急に後ろから声をかけられた弘治が、驚きながら振り返って声の主の名前を呼んだ。

 その顔は驚きながらも一面に喜びを浮かべている。


「お久しぶりでございます。智蔵親分もお元気そうでなによりです」


 弘治は永岡の隣に居る智蔵にも声をかけ、満面の笑みで頷いている。


「例の関係で来てんのかぇ?」


 永岡も嬉しそうな顔で、弘治へ今日の用事を問いかける。


「ええ、ここのところ毎日とは言いませんが、それに近い頻度で、この両国へは来てるのですよ。

 先だってのみそのさんは、大丈夫でしたか?」


「ああ、そうだったな。

 あいつがまたやらかした時に、おめぇが助けてくれてたんだったな。あいつから聞いてるぜ。

 まあ、あいつぁ大丈夫でぇじょうぶでぇ、心配しんぺぇするこたぁねぇやな。それよか、ありがとうよ」


「お礼なんて、滅相もありませんよ。

 それより、みそのさんが大した事なくて本当に良かったです」


 話が先日のみそのの話になり、弘治は永岡の言葉でほっと胸を撫で下ろしている。


「そう言やおめぇ、今夜は都合つくかぇ?」


 永岡が何かを思い出したように手を叩いて、弘治へ問いかける。


「いや、夜であればどうとでも…。

 何かあるのでございますか?」


「いやな、今夜みそのが人招いて鍋するってぇんで、オイラも早くけえれるようなりゃ一緒にどうかってぇ誘われてるのさぁ。

 そんで、このめぇめぇに助けられた後、おめぇを飯に誘っておいてくれって言われてたもんで、丁度いいんじゃねぇかと思ったのさぁ」


 今夜はみそのが酔庵を招いて食事をすると言う事で、永岡も一緒にどうかと誘われていたのだった。

 弘治を食事に誘うように請われていた事もあり、この際永岡は弘治も誘う事にしたようだ。


「でも私が急に行ったら、食材の事もありますし、みそのさんもお困りになるのでは?」


「喜ぶこたぁあっても、困るこたぁねぇやな。

 そんなこた心配しんぺぇしねぇでいいぜ?」


 永岡は弘治の懸念を、明け透けに言い放って打ち消してしまう。


「そうですか…。

 では、今夜お伺いさせて頂きます」


 弘治が了承すると、


「そうかぇ、そりゃあいつも喜ぶぜぇ。

 んなりゃ、オイラのこたぁ待ってねぇで、先にへえっててくんねぇ。いいかぇ?」


 と、永岡は笑みを浮かべて喜びを露わにし、最後は悪戯っぽく言い聞かせた。

 弘治はそれに苦笑で応えると、


「では急いで用事を済ませて来ます」


 と、頭を下げる。


「うちのお藤もひろ先生が来てくれるのを、首を長くして待ってやすぜ?

 偶にゃ『豆藤』にも寄ってやってくだせぇよ」


 最後に智蔵が声をかけると、弘治は大きく頷いて、


「必ず」


 との言葉を残し、もう一度頭を下げて踵を返した。


「本当、良かったでやすねぇ…」


「ああ」


 しみじみと言った智蔵に、永岡も感慨深げに応える。

 そして足早に立ち去る弘治の背中を、智蔵と永岡は暫く黙って眺めていた。



 *



「あれ? みそのちゃん、いつの間に帰ってたんだい?

 また出掛けるんなら、ちょいと待っておくれよ。今頼まれたもん取ってくるからさぁ」


 お菊はみそのを見つけると、目を丸くして驚き、言うだけ言って自分の裏店へ駆けて行った。


 日本橋丸越へ行く前の朝のうちに、みそのは野菜と油揚げ、それに鶏卵の買い物をお菊に頼んでいたのだ。

 と言っても、どれもみそのが留守の間に棒手振りが売りに来るので、お菊を買いに走らせた訳では無い。

 それにしてもお菊は、出掛けたはずのみそのがいつの間にか帰っていて、さぞや驚いた事だろう。

 まさか仕舞屋から一歩も出ずに留守にするなど、考えも及ばない。


「はいよ、みそのちゃん。

 これは頼まれて無かったけどお裾分けだよぅ。

 なに、美味そうだったからうちで買ったんだけど、最後だったみたいでおまけしてくれたのさぁ。

 うふ。それとも最後は言い訳で、このおまけはあたしの魅力かねぇ? あははははは」


 お菊は明け透けに笑って、土のついた里芋を四つほど、頼んだものと一緒に寄こしてくれた。


「いつもすみません。でもお足はちゃんとお支払いしますよ?」


「なに言ってんだい、みそのちゃんはぁ。

 こんなんでお足なんてもらったら、うちの人に叱られちまうじゃないのぅ。

 うちの人なんかは、みそのちゃんへあれ持ってけこれ持ってけって、煩いくらいなんだからねぇ?

 この前なんか、あたしにゃ単衣ひとえ一枚ありゃ十分だろって言ってる側から、何ならその単衣も持ってけなんて言いやがんのさぁ。あはははは。

 まあ、そのくらいうちの人は、みそのちゃんには感謝してるって事なのさぁね」


 みそのは以前、お菊の亭主の寅一郎の弟、辰二郎に、金を貸すのと同時に商売繁盛指南をしていた。

 辰二郎は娘の薬代に困っていたところ、兄の寅一郎へ泣きついたのが切っ掛けだった。


 みそのは、鮮魚の棒手振りをしていた辰二郎へ粕漬けのレシピを教え、それも一緒に売る事により、見事に商売繁盛指南の役目を果たしたのだ。

 それに、娘の薬がそもそも偽薬だった事も見破り、早々にやめさせ、東京から風邪薬を持って来て与えた事で、娘も快復させていた。

 そんな事もあり、弟の危機を救ったみそは、寅一郎にとって大の恩人であり、足を向けて寝る事も憚られる存在でもあるのだ。


「そんないつまでも感謝される事でも無いんですけど…。

 でも、そしたら有難くいただきますね!?

 丁度と言うか、この後の出かけ先で、辰二郎さんのところも寄ろうと思ってるんですよ。

 この里芋のお礼に、帰ったら粕漬けのお土産を持っていきますね?」


「あれ、なに言ってんだい。みそのちゃんは聞いて無かったのかい?

 そんなんじゃ、お裾分けの意味が無くなっちまうじゃないかぇ?

 それに里芋なんかより、よっぽど粕漬けの方が値が張るじゃないのぅ。もう嫌だよう、みそのちゃんは」


 呆れるお菊に、みそのはニコリと返すと、


「いつも辰二郎さんは、ちゃんとお足を受け取ってくれないんです。

 苦労して払っても、なんだかんだおまけを入れてくれるんですから、そのおまけのお裾分け返しですよう?

 おまけ同士なんだから、どっちが値が張るとかは関係無いでしょ?

 どっちも気持ちでくれたものなんだしね?」


 と、屁理屈にも聞こえがちな返答で、お菊を苦笑させた。

 そしてみそのは、お菊から受け取った荷物を仕舞屋へ運び入れ、


「じゃあお菊さん、行って来ますね。

 あ、粕漬け楽しみにしててくださいねっ」


 と、楽しげに言って仕舞屋を後にした。



 *



「亀吉さん、今日はえらい急いでるさかい、ワカメでぱぱっと頼むわ。それと大将に頼み事があるさかい、後で呼んでもらえへん?」


「ワカメでんな、みそのはん。おおきに。お父ちゃんも任せときっ」


 みそのが似非大阪弁で注文をすると、慣れた様子で亀吉と呼ばれた若い男が、調理場へ注文を通しに行ったところだ。


 この店は半年ほど前に開いたばかりで、みそのは開店当初からちょくちょく通い、贔屓にしている。

 この店は『大阪屋』と屋号を名乗るうどん屋で、出汁も薄口醤油を使った関西風。ここ江戸ではあまりお目にかかれない類いの、本格的な関西風うどんを出す店なのだ。

 大阪屋と名乗るあたり、余程自信があるのかも知れない。みそのは、ここの出汁の味もツルツルの麺も気に入っている。

 しかし、ここはお江戸。ちゃきちゃきの蕎麦好きが多い町でもある。

「あんな薄い汁に浸かった、ぶよぶよしたもんなんか食えたもんじゃねぇ」

 や、

「ああいったなげぇ食いもんはな、喉越しが大事でぇじなんでぇ。

 あんなもん食って何が面白おもしれぇんだぃ?」

 やら、

「あんなふてぇもんは、ずるずるってぇ、いい音立てられねぇじゃねぇかぃ。

 隣でずるずるってなもんで、声でもかけてくれんのかい?」

 などなど、至って評判がよろしく無い。

 地元大阪では、それなりに繁盛していた店のようだが、江戸へ出店してからと言うもの、客もぱらぱらとしか入らないのだった。

 それでも頑固一徹、関西風を守り抜き、親子二人で四苦八苦しながらも、関西風うどんを広めようと日々頑張っていたのだった。


「どうでっか、みそのはん?」


 ワカメうどんを手に、大将がみそのに声をかけて来た。


「ぼちぼちでんがな大将。大将こそ、どないなん?」


「それ聞かへんでよろしいがな。

 そないなもん、見れば分かる事でっしゃろ?」


 みそのに返された大将は、うどんを置きながら、眉を見事な八の字にして戯けてみせる。


「じゃあ、郷に入れば郷に従え、と行きましょうかね?

 どうです雁助がんすけさん?」


 みそのは似非大阪弁をやめ、覗き込むように大将、雁助を見ながら言う。


「まあ、わやになってしもたら、そん時ぼちぼち考えまんがな…」


「そんな事言ってる内に、お店が無くなっちゃったら私が困るんですけど?」


「嬉しい事言うてくれはるわ、みそのはんは。

 せやと、わしも気張らなあかんな?」


 雁助は言葉とは裏腹に気持ちが入っていない。

 関西風は譲れないとの頑固な思いからなのだろう。


「で、今日も土産かいな?

 ああ、冷めてしまうさかい、食べながらでええがな。

 どうせ客もおれへんし、ゆるゆる聞いたるさかいな?」


 雁助はみそのが応えようとしたところを制し、みそのと向かい合う形で腰を下ろした。

 はふはふと美味しそうに食べるみそのを、雁助は頰を緩め、うんうんと頷きながらながら見ている。

 やはり客が美味そうに食べてくれるのは、雁助も見ていて嬉しいようだ。


 *


「この頼みは、みそのはんだから聞くんやで?

 あまり他所で言わんといてな?」


「そんな勿体ぶってぇ。ふふ、でも、おおきに。蟻が十匹、猿が五匹、でしたっけ?

 とにかくまた後で寄りますので、よろしくお願いしますよ!」


 表まで見送りに出た雁助の言葉に、みそのは戯けたように応えると、もう一度よろしく頼み、踵を返して急ぎ足で店を後にする。

「蟻が十匹、猿が五匹」は、雁助の口癖の駄洒落だ。「ありがとうござる」らしい。


「お父ちゃん。みそのはんに頼まれたんを、店でも出してみいひん?」


「アホ言え、そないな事出来るかいなっ」


 雁助は横に居た息子に言われ、瞬時に却下すると、ぷいと店の中へと入って行った。

 亀吉はその父親の背中を見送ると、遠去かるみそのの背中を見えなくなるまで眺めていた。



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