63.盗賊の塒
「きゃ──」
ティルダの目の前に、太い腕が迫る。身体を守ろうと掲げた手も掴まれて、痛みと驚きに、唇から悲鳴が漏れる。その間にも視界は揺れて足は浮いて、ほんの数秒の間に、彼女はハミードの肩に担ぎ上げられていた。
「ティルダ様に触るな……っ」
カイも、ティルダと似たような格好になっている。屈強な盗賊の前では、少年の体格はあまりに頼りない。顔を赤くして手足をばたつかせてはいるけれど、子供のようにあしらわれてしまっている。
「このガキはお友達か? 見かけない顔だが……?」
「……貴方たちと同じです。生きていたころからの大事な人なんです。ひどいことをしないでください」
担がれてしまうと、ハミードの顔が避けようもなく近い。ラーギブに似た砂色の髪と金色の目、褐色の肌。熱い太陽を思わせる色彩はコキュートスには似合わなくて頭が混乱してしまいそう。そして一方で、彼が浮かべる嘲笑には温かみなくて、だからその点では氷の世界に相応しいのかもしれなかった。
「へえ。可愛い顔の割にはやるじゃねえか、ふたりして。良い服着てお上品な言葉遣いしてるのになあ」
ティルダとカイは、お互いを裏切った者同士なのだ。盗賊たちもそうだからなのか、ハミードの察しは早かった。
「ティルダ様。こんな奴ら──」
カイが言わんとすることは、分かる。聖女の魔力を持ってすれば、盗賊の十人や二十人、蹴散らすことは難しくない。風を呼ぶなり、炎を起こすなりすれば良い。カイも巻き込まないようにするには注意が必要だけれど──でも、ティルダは首を振った。人を傷つけるのが怖いとか、魔王の城を損なうのを憚ってとか、そんな理由だけではない。今の彼女には、これまでのように無造作に力を振るうことはできなかった。
(私が魔力を使って良いの……?)
ティルダが迂闊に魔力を消費すれば、地上で何が起きるか分からない。嘆きの氷原の氷を溶かし、花を咲かせ、逆巻く渦の大水蛇を鎮めて──地上に何も影響が出ていないと言われても安心なんてできはしない。恐ろしいほど冒涜的で、かつ例を見ない実験が、十年後、二十年後やもっと先にどんな結果をもたらすか、誰にも確かに言えないだろう。
小さく首を振ったティルダに、カイは唇を噛んでそれ以上は言わなかった。彼だって、地上の様子は気がかりなはず。エステルクルーナは……たぶん、既に彼の故郷を踏み躙っているのだろうから。少しくらい、なんて甘く考えることはできないだろう。
「泣くんじゃねえぞ、お嬢さん。何も取って食おうっていうんじゃない──ちょっと助けてもらいたいだけだからな。……まずは俺たちの塒にご案内といこうか?」
口を噤んだティルダたちのことを、諦めたか気力が尽きたかとでも思ったらしい。ハミードは得意げに笑うと、城の廊下を、彼女たちが足を踏み入れたことがない方向へ歩き出した。影のように後に続く盗賊たちも、恐ろしいほど足音を立てない。ハミードの肩に触れていなければ、彼らがそこにいると信じられないほどだっただろう。思えば、彼らの一味だったラーギブも、身軽に氷壁を上り下りしていた。
(この人たちは……きっと、今までもこうやって……)
ティルダたちの様子は、監視されていたのだろう。剣を携えたシルヴェリオや、牙や爪が恐ろしいシェオルやリヴァイアサンがいることも知られていた。だから、ティルダだけが玉座の間に引きずられて行ったのを察して、それを好機と見て取って、彼らは動き出したのだ。
だから、鎖の音を聞いて警戒するのでは遅すぎたし、辺りを見渡すていどで逃げられるものではなかったのだ。
盗賊たちは、ティルダたちよりもずっと詳細に丹念に、城の探索を進めていたようだった。ティルダとカイを拘束しながらも淀みなく滑らかな彼らの歩みは、狩りを終えた狼の群れが移動するのを思わせる。ハミードが言った通り、塒に帰っていくということなのだろう。
「さ、よくぞお出でくださいました、ってな」
その一角に辿り着くと、ティルダたちを肩から下ろして、ハミードは得意げに笑った。自分の城でもないのに図々しい、とちらりと思ってしまう。
(倉庫、みたいなところかしら……?)
連れて来られた部屋は、ティルダたちが拠点にしていたところよりも広かった。もちろん、玉座の間ほどではないけれど。そして、豪華さや壮麗さでも大きく劣る。壁を覆う霜を取り払わなくても、壁紙の簡素さや装飾の少なさは何となく見て取れる。寝台に長椅子にテーブルに──乱雑に並んだ調度の類は、きっとほかの部屋から運び出したものだろう。盗賊たちは、地獄に堕ちたくらいでは生前の習慣を改めたりはしなかったのだ。
捕えられた際に手荒な扱いを受けたのか、担がれるうちに身体が強張ったのか。顔を顰めて腕を回していたカイが、ふと目線を下に向けた。跪いた彼が摘まみ上げたのは、色とりどりの小さな欠片──ティルダが咲かせてしまった、あの花の花びらだった。
「ティルダ様が咲かせたという花……ですか?」
「たぶん、そう……でも、枯れて萎れてしまっているわね……」
コキュートスに咲いた花々が魂も凍らせる氷を溶かしてくれたのも、生気に満ちていればこそ、だった。瑞々しさ、柔らかさ、輝くような色彩を失った枯れた花びらは、ただの「もの」でしかない。
(それにしても、こんなにたくさん……?)
見渡せば、凍った床のあちこちに萎れた花びらが落ちている。ティルダたちが使っていた部屋の花は、確かに萎れるものもあるけれど、常に新しい蕾が芽吹いているというのに。この部屋にあるのは枯れた花びらだけで、蕾はおろか、生き生きとした茎や葉も見当たらない。
ティルダが首を傾げていると、ハミードが音高く舌打ちをした。
「摘んできてもすぐに枯れちまう。生きた花じゃないと効果がないようだな。かといって、お花畑に陣取るのは心もとない。どこも開けたところばかりでな……」
「え──」
触れるのも憚られるような健気な花を、ハミードたちは乱暴に毟ってしまったというのだ。非難混じりの驚きの声が漏れかけて、ティルダは慌てて口を噤む。盗賊たちの機嫌を損ねて良いことはないし──何より、氷の地獄に堕ちた罪人が温もりを求めるのは当然のことだ。花を摘んで寄せ集めれば、より大きな温もりになるのではないか、と考えるのも。半端に希望をもたらしてしまった、やはりティルダのせいでもあることだった。
幸いに、ハミードはティルダの声や表情に頓着することはなかった。乱雑に──としか思えない──並んだ寝台のひとつに大股に歩みより、その天蓋を無造作に開ける。
「おい、まだ起きてるか? お姫様が来てくださったぞ。しっかりしろ!」
ハミードの背中越しに覗いた天蓋の中には、布の塊が山と積まれていた──と、見えたのも一瞬のこと。数度、瞬きをするうちに、人の姿が浮かんでくる。鴻輝帝の時と、同じだ。そこにいると知って目を凝らさないと、霜と氷に紛れて見えなくなってしまう。コキュートスの酷寒の責め苦に、魂までも凍りかけた、罪人は。
「あ──」
布にくるまれた彼が、微かなうめき声を漏らす。ラーギブやハミードと同じ、褐色のはずの肌は、今は霜に覆われ血の気が失せて氷の白に侵食されてしまっている。目蓋は霜でほとんど閉ざされて、見えているのかも分からない。せめて暖を取らせようとして布を積み重ねているのだろうとは思うけれど、コキュートスでは防寒の概念など意味がないのだ。この地獄では、肉体だけでなく気力や魂までも凍ってしまうのだから。
(ああ……この人たちは、仲間のために……)
自身が捕らえられ、ここまで連れてこられた意味を悟って、ティルダは重い息を吐いた。




