東大陸編49『大隊にとっては小さな前進だが、軍にとっては偉大な前進である』
ノイリート島に上陸した中で最精鋭とされる部隊は狙撃兵大隊だった。
狙撃兵大隊を指揮するのは、伯爵家出身のディーン少佐。
彼にとっては名誉職のようなもので、これが初の“実戦”であった。
これは他の大隊でも大なり小なり同様だったが、今まで訓練や山賊討伐任務、小国との国境紛争はあったが、列強の正規軍と真正面から戦った事は無かった。
それも当然の事で、この大陸北方で列強国と言えばリンド王国かマルロー王国であり、そのどちらかと戦争する機会がそう頻繁にあったら堪ったものではない。
ある程度経験のある、言わば主力部隊は皇国軍とリンド王国軍に備えて首都の西方にあり、今回派遣されたノイリート島上陸部隊は、二流とは言わないまでも一段劣る部隊ばかりなのだ。
濃霧の海を行く事1週間。命辛々上陸し、乗ってきた船は沈没し、今も周辺に爆発が起きている。
皇国軍という敵を相手に逃げ出したい気持ちで一杯だったが、分散戦闘開始の号令をかけた。
ディーン少佐の大隊の得意とする戦法は少数の精鋭狙撃兵による散兵戦術だが、皇国流の戦闘群戦術に近い部分もある。
大隊の人数は本部要員含めて150人程度であり、約30人の中隊4個で編成されている。
この4個中隊が散開して敵の歩兵陣をちくちくと射撃する訳だ。
加えて、この狙撃兵大隊は擲弾と擲弾筒を装備している。
隙を見つければ敵陣に肉薄して擲弾を射撃する事も出来る。
列強国のような大規模な軍を持てないセソー大公国軍なりの変化球であった。
勿論、騎兵に追い掛け回されたらひとたまりも無いのだが、これだけ少人数で身軽なので、意外と逃げ切れてしまう。
それにたった100人かそこらの歩兵に対して騎兵を差し向けるのは、それはそれで勿体なく感じるだろう。
飛竜や戦竜なら尚更、敵の主力陣に突入させたい訳で、こんな小物に構っていられない。
戦列歩兵のように重厚ではなく、本格的な擲弾兵のような火力も持たないが、その隙間を埋めるように存在する。
国土や人口が巨大な列強国ではないからこその、特徴的な軽歩兵なのだ。
皇国流の戦闘群戦術で求められるような突破力こそ無いが、突撃を受け持つ主力歩兵や騎兵を支援する縁の下の力持ち。
狙撃兵大隊が薄く広がって周囲の警戒をしつつ、本隊の戦列歩兵と擲弾兵が陣形を組む。
暗闇の中でのそれは、決して順調なものではなかった。
そうこうしているうちに、狙撃兵大隊が発砲音を聞く事になる。
最も前進していた皇国軍の海兵分隊は、密集しているセソー大公国軍の中から離脱した部隊を目撃した。
脱走かと思った者も居たが、統制のとれた動きからすぐにそれは無いと判断。
小銃での狙撃を試みるも、なかなか命中しない。
真正面から突っ込んでくる馬でもなければ、そうそう当たるものでもなく、機関銃が無いと歯噛みするしかない。
そうこうしているうちに300m、200mと接近してきて、100m程まで迫られる。マスケットでも当てに行ける距離だ。
数人は仕留めたが、仕方なく、距離を保って観測しつつ機関銃のある陣地まで後退する破目になってしまった。
皇国軍が退却した。
その報せは、落ち込んでいたセソー大公国軍の士気を幾分か高めた。
自分達は、リンド王国軍すら蹂躙した皇国軍を退かせた!
だが皇国軍を退かせた張本人である狙撃兵大隊は一発も撃っていない。
もう少し接近してから撃とうとしていたところ、逃げられたという感触だった。
しかも戦闘前から数人の死者と負傷者を出している。
砲撃でやられた部隊と合わせれば、損害は既に百人を超す。
「閣下、敵の退却は整然としたものでした。深追いは危険です」
死にそうな思いをしたが、今度こそ本当に死ぬかも知れない。降伏すべき。
そんな思いを胸に秘めながら、ディーン少佐はヴィットール中将に進言した。
仮設の司令部となっている簡易天幕では、将軍の他、参謀達も渋い顔である。
言っている事は正しいが、それを臆面も無く言い放つ少佐風情にだ。
ただコネと身分だけで成り上がった無能な士官なら一笑に付すところだが、ディーン少佐は無能ではない。歴戦の英雄ではないが、十分に有能な方だ。
過去に山賊討伐という任務で、部隊に1人の戦死者も出す事無く任務達成した程度には有能だ。
地形的にも、元々の要塞の設計的にも、あと1シウスも進めば厳重な防備が待っている。
「かといってここに留まり続けるのは出来んし、退却も出来んぞ?」
帰りの船が沈んだからな。
「この天幕か、撃沈された艦の帆を使えば良いと愚考します!」
やや遠回しではあるが、白旗を掲げよと言っている。次にする事は軍使による正式な降伏の宣告だろう。
将軍を前にして、参謀でもない少佐風情が臆面も無く降伏を進言する図に、当の参謀達も苦い顔。
「閣下! 小官は本国に許婚が居りまして、この戦いが終わったら結婚をする予定です」
何を言い出すんだこの小童は。年若いとは言え軍人が情に訴えるとは……。
「それが貴官の本心か?」
「はい! 要塞砲の炸裂弾で死ねば、遺体は身元不明となるでしょう。それでは死後婚姻も出来ない!」
「死にたくないのは皆同じだ。この戦いでは既に死んだ者も大勢居る。海軍のギューナフ閣下も恐らく艦と運命を共にした。貴官だけ虫が良いとは思わんか?」
ヴィットール中将の視線が射竦める。
「虫が良いとは思います。ですが、今の時点で奇襲上陸をして主要部を即座に制圧という当初の作戦は破綻したも同然です。勝算の無い、生きて帰る望みの無い戦いに赴く事こそ、指揮官として兵への裏切りではないでしょうか」
そんな事、改めて言われずとも解っている。
奇襲も強襲も、駄目だった。
断続的ではあるが、今この瞬間も天幕の周辺で爆発が起きているし、斥候に出した部隊は戻って来ないのだから。
次の爆発がこの天幕を直撃しないという保証も無い。
ディーン少佐の提言が概ね正論だからこそ、ヴィットール中将としても安易に首を縦に振れない。
指揮下の部隊の中では精鋭であるディーン少佐だから、余計なのだ。
戦闘部隊の序列としては最上位となる擲弾兵大隊の指揮官も、ディーンが言うなら……という態度。
天幕の中には士官しか居ないから良いものの、兵が聞いたらせっかく上がりかけた士気がどん底まで落ちるだろう。
「少佐の考えは解った。その上で命令するが、狙撃兵大隊は1シウス前進し、敵の反応を探り報告せよ」
「前進するのであれば……閣下が下命されれば掩護しますが、本隊は前進しないのですか?」
「敵の反応次第だ。それによっては突撃する」
「……了解!」
天幕を出たディーン少佐は、すぐに大隊を集結させて点呼を取らせた。
「大隊前進! 擲弾筒には発煙弾を装填しておけ!」
夜明け前の最後の暗闇の中、ディーン少佐の狙撃兵大隊は行進の太鼓を叩く事もせず、岩陰や茂みに隠れながら息を殺してノイリート要塞周辺を歩きまわり這いまわった。
皇国軍の防御陣地を幾つか見つけるが、どれも相互支援可能と思われる配置だった。
そんな中、一箇所だけ孤立して存在する小さな陣地を発見する。
(ここを足掛かりにするか、せめて勝利したという実績を作れないものだろうか)
大隊の兵員は長銃身マスケットと擲弾筒を射撃態勢に、陣地に近づいていく。




