東大陸編41『東部戦線異状あり』
師団捜索連隊の装甲車中隊。山科少佐の双眼鏡に映る鈍色の軍団。
数千の兵から成る一団にはザラ公国の国旗と軍旗が掲げられている。
「ザラ公国という事は同盟軍の主力ではない。しかし放置出来る規模の部隊でもない」
「とは言え、仕掛けるには数が違い過ぎます」
「上がどう判断するかだが、爆撃機を寄越して貰う手もある。少なくとも、無視し得ない敵軍団がここにあるというのは事実だ」
皇国陸軍部隊の中で最も前進している山科少佐の装甲車中隊の主力は、事前の空撮情報とアズルの助言によって“退路”の確保はした。
後発のリエール傭兵隊とぶつかった騎兵隊が反転してこちらに向かって来たとしても、鉢合わせないような道は幾つか選定してある。
やり過ごせたとしても鉢合わせたとしても、どちらにせよ即座に次の手を打てる程度の地図は、部分的にだが作成済みだ。
敵を目の前にして進むも退くも比較的自由な状況だが、今は街道からやや外れた休耕地にあった空き家を仮の本部として宿営していた山科中隊は、哨戒班を残して戦闘陣地を構築していた。
だが、もうこれ以上の前進は無謀と思えた。
推定される飛竜陣地の位置は、ザラ公国の布陣のさらにその先だ。
陸から接近して偵察するには十分な準備を整えた師団本隊の戦力が必要で、所詮“軽騎兵隊”である山科隊では難しい。
(ここまで来ても任務の達成は困難……)
捜索連隊の強みは火力と装甲を備えた装甲車にあるが、弱点もそこだ。
行軍が、戦竜が余裕で通れる道路に限られる。下車した人員が装甲車の援護を受けられる場所でしか活動出来ない。
多くの歩兵を抱える師団や旅団、または歩兵連隊を基幹とする支隊や独立混成連隊であればもう少しやりようがあるのだが、現状は結局、航空部隊の大規模運用こそ必要という身も蓋もない結論に集約されてしまうのだ。
王道、正攻法に勝る策はなし。
相手が攻撃してくるのなら、それをいなしながら師団主力のほうに誘導してやる方法もあるが、皇国軍の火力を警戒しているのか、襲いかかってこない相手と睨み合っている状況は危険だ。
別働隊に側面や背後から回り込まれれば、今の山科隊では人員が少なく警戒しきれない。
数日のうちにリエール傭兵隊の本隊が合流した先遣偵察隊だったが、そろそろ作戦期間が心許なかった。
部隊が自前で持つ食料と燃料、機械類の予備部品だ。
食料品の一部については村落で財貨などと交換してもらう事で数日分水増しできるが、機械部品や燃料はそうはいかない。
捜索連隊本部に問い合わせてみる山科であったが……。
「貴隊は警戒を厳にしつつ、その場に留まり敵軍の監視を続けろ」
「はっ! 飛竜陣地偵察任務は継続でしょうか?」
「貴官の判断で行動せよ。取り消しや変更は無いが、ただし敵陣に深入りはするな」
解せぬ命令であった。しかも何か奥歯に挟まったような物言いの指令。
何があっても動くなという死守命令ではないにせよ、余程のことが無ければ現在地で前進も後退もせず敵陣との距離を保てという事だ。
飛竜陣地偵察を果たそうとすれば、どうしたって深入りせねばならないのだから。
さて、その頃。師団司令部、その上級部隊である東大陸派遣軍司令部では大きな動きがあった。
北方諸国同盟の次席であるセソー大公国。その重要な軍事拠点であるノイリート島が砲火を交える事無く降伏したという報せだ。
この状況に対して東大陸で錨泊や哨戒していた海軍艦艇が急行し、さらに本国から準備中だった空母を前倒しして派遣するという。
既に北部を担当している師団の一部と海兵隊は、島の占領に動いているらしい。これで北部戦線は大きく動くだろう。
この機に乗じて、東大陸で動く皇国軍全体で、一部作戦の前倒しや見直しが行われつつあった。
この情報。光の速度で通信可能な皇国軍と、基本的には伝令頼りの敵軍で、伝わる速度は当然違う。
リンド王国やユラ神国に駐留している部隊は勿論、数千km離れた本国にも時差なしで正確な情報が伝わっている訳だ。
対して、北方諸国同盟は当のセソー大公国が重鎮の裏切りを認めたがらないばかりに、セソー国内では無かったことになっている。
といっても“海洋警備強化(実態は反乱討伐)”のために緊急に軍艦を派遣しているので、何か不味い事が起きたくらい解る。
流石にセソー大公国のマルロー王国大使館や派遣武官は事実に感づいていて、それを概ね正確に本国に打診していたし、ノイリート島から多くの将兵と島民が着の身着のままやってくれば、とても隠しきれるような事では無くなるだろう。
といっても、それがマルロー王都に伝わり、さらに北方諸国同盟全体で共有されるには2~3週間はかかる。
王都ワイヤンに伝わるまででも、最短で4~5日。平均すれば10日前後はかかるだろう。
伝令に飛竜を用いなければもっとかかるし、現場が近い北部戦線と違い、東部戦線はシテーン湾から遠い。
ザラ公国や、その付近に展開しているマルロー軍部隊はまだ北部の重要な一角が崩れた事を知らない。
実際、北部戦線に異常があったという事に対応するような動きも無い。
それを知られてから、戦線整理の為に攻勢に移るなり整然と退却するなりされては困るのだ。
だから今は、少しばかり無理をしてでもこの方面の同盟軍に打撃を与えてしばらく機能不全にさせる必要がある。
そこで、最前線に居る山科隊が前進観測隊の火力支援部隊となり、師団砲兵による遠距離砲撃で叩く方針で動いていた。
野戦砲兵大隊もそう潤沢な予備弾薬があるわけではないが、航空隊が休んでいる今、広範囲に打撃を与えられるのは砲兵しかなかった。
北樺太から沿海州、満州、蒙古という広大な戦域でソ連の砲兵軍団と撃ち合う筈だった皇国軍だ。十全とはいかなくてもそれなりの成果は上がる筈である。
今までも、そしてこれからも。
皇国軍が想定していた次の戦争では決戦しない(させない)という選択肢も含まれていたが、今回はそのような流れに沿うものだ。
決戦して完全に叩ききる余力がない東部戦線にとって次善の策ではあるが、今を逃せばいつ攻勢に出れば良いのか?
砲兵観測班の支援戦力として歩兵大隊と工兵中隊が派遣され、この地域の同盟軍戦力を一時的にでも圧倒する態勢が整えられた。
日程的には、こちらからの大規模砲撃が仕掛けられている丁度その時に北部戦線の一部が崩れた旨の情報が届く筈だ。
東部戦線で決定的な勝利は望めずとも、ある程度の物理的、精神的打撃を与えられれば北部戦線への側面支援になろう。
数日後、直前になって本部から連絡を受けた山科隊は、皇国軍師団からの支隊を受け入れた。
僅か1日の間に続々と集まってくるので、昨日まで閑散としていた農場が嘘のようだ。
自分の傭兵隊の見回りを終えたキスカは、部屋から出てきた山科を覗き込む。
「急に賑やかになって張り切り出して、どうしたのです?」
「目に見える戦果を示さねば、我々も立つ瀬がないのです。宮仕えですから」
「テンノー? でしたか、皇国の君主陛下からの“勅使”でも来ましたか?」
「ははっ、そんな事になったら、我々は陛下と国民から信用されていない事になりますよ」
キスカの言う勅使とは国王直々の督戦隊というやつだ。
一般には、連隊や大隊といった部隊ごとの下級士官や下士官が通常任務の一環としてやるものだが、大会戦では決戦兵力として後方に控えている近衛部隊の一部が、ほぼ専任として督戦任務に就く事もある。
味方の後ろから拳銃や小銃と銃剣、そしてサーベルやハルバードを突きつけて、前衛部隊が後ろに下がらないように見張る役だ。
この“大増援”で、山科隊に同行しているリエール傭兵隊にとっては、伝聞でしか知らなかった皇国軍の“現代戦”というものを初めて見る事になる。




