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染み渡る


「ナツ、一緒に帰ろ♪」

「うん、帰ろっか」


 皆と少し時間をずらす人気の無い放課後。下駄箱に何かを見つけた。

 雑に折りたたまれた……紙?


「なんだこれ?」

「なになに? ラブレターかな?」

「ヒトゴロシ、ガッコウニクルナ……人殺し、学校に来るな? なんだよそれ……」


 如何にも中学生らしい下手くそな字で書いてある。この文字は男だな。っていうか人殺しって…………

 

「ヒドい……なんでこんな事するのかな……ナツ、先生に言わなきゃ」

「いいよ。それより人殺しってなんだろう……」


 何か理由がある筈。

 多分それが……俺が夏ちゃんになってしまった理由に繋がっている。


 ふと、手に持っていた上靴に目が離せなかった。上靴後部に書かれた名前。

 葉月夏……葉月……

 あれ?どっかで聞いたことあるな。

 

 葉月、葉月…………もしかして……


「ハナ、ちょっと行きたい所があるんだけど」

「うん……でもナツ、大丈夫?」

「記憶もないし、痛くも痒くもないよ」

「ナツ……」


 何かから守ってくれるようにハナは優しくも強く手を握ってくれた。

 ありがとうハナ。大丈夫、俺にはハナがいるから。


 ◇  ◇  ◇  ◇


 担任、クラスの生徒達、保健室の先生。

 それから……人殺し呼ばわり。

 皆んなが余所余所しい理由も、月に一回の着信も誰か分かったかもしれない。

 

 夏ちゃんの平屋から徒歩二分。

 周囲は堅牢な煉瓦の壁と木々に覆われた巨大な屋敷。

 この街で知らない人はいない、ここは──


「わぁ……私知ってるよ、ヤクザって人が住んでるんだよね」


 全国でも名を馳せる有名なヤクザの屋敷。

 組長の名は葉月源龍(げんりゅう)

 十中八九、夏ちゃんと関係している…………はず。 


 まぁ……分かっていても、この門を叩く事なんて簡単に出来るわけ無い。立ちすくんでいると、ハナが優しく手を握ってくれた。


「ナツ、私がいるよ」

「…………うん」


 呼び鈴を押すと、一斉に犬が吠えだした。

 隙間からチラチラと見えるのは全てが逞しい屈強な大型犬。


「犬だ!! 可愛いね」


 ……うん、あれは可愛い生き物だ。


 鉄の門が自動で開く。

 すると、奥から黒服の男がこちらに走ってきた。三十歳くらいで……頬に傷が付いている。


「お嬢様!! お久しぶりです、お身体は大丈夫ですか?」

「えっ? あの……」

「隣にいらっしゃるのはお友達ですか!? お二人共、源龍様が待ってます。コチラへ」


 訳もわからず連れて行かれるけど……源龍様って……やっぱり組長だよな……


 いかにもな屋敷を案内され、いかにもな扉の前に来た。映画でしか見たことのないような人達が皆、頭を下げている。ヤバいなコレ……選択肢の一つも間違えられないな……

 

「源龍様!! お嬢様とご学友の方がお見えです!! ……お嬢様、中に入ってください」


 ……行くしかない。

 せめてハナだけでも無事に帰ってもらわなきゃ……


「お、お邪魔します……」 


 どんな世界なのかは分からないけれど……その世界の本物だと即座に理解出来る程の空気感。 

 そして後ろ姿から伝わってくる、圧倒的威圧感。この人が……葉月……源龍……


「な……」


 な?


「ナッチーーー!! 寂しかったよーーー!! 身体は大丈夫!? 連絡返してくれないからおじいちゃん心配で……ナッチーーーー!!!」

「なっ、えっ……その……えっ?」


 強面の筋者が泣きながら抱きしめてくる。おじいちゃんって言ってたけど……この人が夏ちゃんの……?

 嘘だろ……こんな時に心が解離するような痛みが…………ヤバイ……息できない……


「ナッチ……どうしたんだい?」

「え、えっと……そ、その…………」


 俺達の間を割って入るようにして、ハナが引き離してくれた。それから、察してくれたのか優しく背中を撫でながら「大丈夫だよ」と耳元で囁いてくれた。

 少しずつ……呼吸が整っていく。


「ナツは記憶がないんです。だから……だからもっと優しく接して下さい。じゃないとナツがいつか壊れちゃう…………」

「記憶が……? 赤毛のお嬢さん、教えてくれるかい?」

「ナツは一週間くらい前からそれまでの事を全部忘れちゃって……それで下駄箱にこんな紙が入ってたからここに来たんです」


 ハナがあの紙を組長に見せると、即座に握りつぶし頭の先から爪先まで血管が浮き上がっていた。空気の震える音が聞こえる。

 

「フジィ!! フジいるかっ!!!」

「いかがなさいましたか!?」


 先程案内してくれた男だ。恐らく側近なのだろう。忍者の如く、どこからともなくやって来た。


「これを書いたやつを探してここに連れてこい。俺が直接始末する」

「ちょ、ちょっと!? そんなにしなくても……私はなんともないんだし……」

「ナッチ、ケジメはつけなきゃいけないんだよ。冗談でも本気でもこんな事しちゃぁいけない。フジ、今すぐ探せ」


「……やめて!!」


 ハナが……怒ってる……

 俺の手を引き抱き寄せて、ハナは二人を睨みつけていた。


「ナツが困ってるでしょ? そんな事も分かんないの? 帰ろ、ナツ」


「…………フジ、下がっていいぞ。ナッチ、おじいちゃんの事も分からないのかな?」

「えっと……はい……」

「……このままの方が幸せかもしれんな。ナッチ、制服着てるけど学校は楽しいかい?」

「はい。その……ハナがいるから」

「ナツ……」


「そうか……ナッチ、私はナッチのおじいちゃんなんだ。困った事があってもなくても、いつでもここにおいで。ナッチの家族は私しかいないんだ。ね?」


 優しく手を握って微笑む姿に、胸の奥が疼く。

 この身体としてここに立っているのなら……全てを受け入れなければいけない。葉月……夏として。 


「……はい、ありがとうございます」

「フジ、明日から学校に潜ってナッチを守れ。ナッチに何かあったら……分かってるな?」

「分かってます。任せて下さい」

「ナッチ、おじいちゃんはいつでもナッチの味方だからね。ナッチの事はいつか話してあげる。だから今は学校を楽しんで欲しい。これ、おじいちゃんからのお願い」


 優しく頭を撫でてくれるその姿は、どの筋の者でもない……一人のおじいちゃん。

 孫として、ぎこちなくも笑って頷いた。


「赤毛の子、ハナちゃんと言ったかな? ナッチの事、お願い出来るかな?」

「ふふっ、私もナツに助けられてるから……お互い様だよね、ナツ♪」

「……アハハッ。そうだね、ハナ」


 組長の、おじいちゃんのこちらを見る目がなんだかとても懐かしく感じた。

 それは噂の組長とは程遠い、優しくて温かな瞳。知らない感情が勝手に湧いてきて、こう言わなきゃいけない気がした。

 

「ありがとう、おじいちゃん」


 自分でも分からないくらいしっくりと感じるその言葉に、おじいちゃんは涙を流しながら抱きついてきた。


「ナッチィィ!!」

「ふふっ、私もやる。なっちー♪」


 華奢で美しい身体が、少しずつ馴染んでいく。

 葉月夏という名前が、心に染み渡っていく音がした。

 

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