第三百八十六話 図書室
雑談回 (オチあり)
「メニュー表のレイアウトこれでいい?」
「おーい、こっちにペンキ貸してくれ」
「もうちょい右、いや左!」
放課後に響き渡る生徒らの喧騒。
それは部活動での掛け声やブラバンの音とは異なっていた。
廊下の隅に置かれている看板。微かに匂うペンキ。教室を覗けば作業に集中している生徒の姿が見えた。
「どこもかしこもお祭りモードだなまったく」
そんなまさに青春の一ページを謳歌している者たちを横目に和樹は通り過ぎて行く。
さも自分には関係ないとばかりに無関心を貫き通し、廊下を進んで行く和樹。
彼が進むにつれて騒がしかった音が小さくなり、やがて静かになっていく。
教室を出て数分かけて歩いた和樹は目の前に現れた扉を開く。
「あら、白井君。いらっしゃい」
「こんちは」
扉を開けてすぐ近くから眼鏡をかけた初老の女性が挨拶をする。もう見知った仲の和樹も軽く挨拶をしながら中へと入る。
扉を閉じた瞬間、それまで歩いてきた世界から隔絶されたかのような静寂が和樹を包み込む。
並ぶ本棚、整理された本の背表紙たち。聞こえてくるのはページを捲る音とペンを走らせる音だけだ。
「んしょっと」
迷いのない足取りで本棚の間を抜けた和樹は空いている席に鞄を置き音を立てず座る。
鞄から教科書やノートを取り出し軽く体を伸ばす。
「さてさて、勉強しますかな」
周りは文化祭で盛り上がりを見せているが、和樹の頭のカレンダーには模試の二文字の方が大きく存在を見せていた。二学期最初の模試、ここでいい結果を出しておきたい。まだ周りは完全に受験モードに入っていないが特進クラスなどの難関大学を目指す者たちは動き出している。和樹としても置いて行かれる訳にはいかない。
いい成績をキープして受験時には推薦を狙う。いい大学に入るのが全てとは言わないが、このご時世学歴があればあるほど選べる選択肢は増える。武器を取り揃えておくのに越したことはないのだ。
「それじゃ、数学辺りからするか」
本屋で買った参考書を開き、気合を入れた和樹はペンを走らせた。
この頃、BGOの方で忙しくしていたので今日くらいはしっかり集中して勉強しておきたい。
いざ、数学との戦いへ赴こうとした時。
「あれ、先輩?」
「ん? おう、那海か」
すぐ後ろから声を掛けられ振り返ると、目を丸くさせる後輩の姿があった。
両手には何やらたくさんの本を抱えている。見た感じ参考書の類ではないようだ。
「文化祭で浮かれる学校で、ボッチになって何しているんですか?」
「図書室に来る用事なんて勉強するか本読むかくらいだろ。俺の場合は前者だけどな」
「あぁ、もうすぐ模試ですもんね。文化祭の準備に皆が意識する中でよくもまぁやりますね」
「放っとけ。むしろ文化祭の準備のせいで勉強が滞っているんだから今のうちにやっておきたいんだよ。そういうお前は何してんだ」
「無論、文化祭の準備ですよ」
そう言って那海は持っていた本を和樹に見せる。タイトルは『ロミオとジュリエット』、『眠れる森の美女』、『赤ずきんちゃん』などの童話や古典だった。
「……古本屋でもする気か」
「これを見てそういう発想する辺り先輩ですよね。違いますよ、私たちのクラスは劇をするんです」
両手に抱える本を和樹の隣に置き、許可を待たず席に座る。滑らかな所作に、和樹は文句を言う暇すら与えられなかった。まぁ、今さらである。
「劇ねぇ、倍率高かっただろうによく枠取れたな」
「その辺は多分登坂君の主人公補正でしょうね。枠取れなかった時のことすら考えていませんでしたよ彼ら」
舞台が使えない可能性なんて彼らの中には皆無だったようだ。
こういう時の運の良さは流石と言うべきだろうか。
「話の流れからして、配役は登坂が主役か?」
「具体的な配役はまだ決定していません。とりあえずは劇の内容が決まったらですね。ヒロイン争奪戦が今から静かに火花散らしてますが」
「あぁ……」
主役はほぼ登坂がすることは予想出来る。となると、あとは誰がヒロインになるのか。
登坂を巡る乙女の戦いは既に始まっているようだ。
「大変だなお前等のクラス」
「えぇ、ほんと。ラブコメの部外者は冷ややかですし。無駄な諍いが起きないように配役も考えないといけませんからね。どうやってストーリー持って行くか考えものですよ」
「……ん?」
ため息と共に吐露された那海の言葉に和樹は沈黙の後首を傾げた。
「……那海、お前何する担当になったんだ?」
「あれ、言いませんでしたっけ。私、脚本担当ですよ」
平然と返ってきた答えに和樹は目を丸くさせ、数秒呆然となる。
「そんなに不思議ですか? 先輩、私の夢知ってるでしょ」
「いや、知っているけど……マジか」
「大真面目です。こんな経験は早々味わえるものじゃありませんし得られるものは多いはずです」
「それ、クラスの連中何か言わなかったのか?」
那海はクラスでも派手な部類の集団に混じっている事が多い。武装された外見と態度、洗練された立ち振る舞いから小説家という夢は連想されづらいもの。そんな那海がいきなり劇の脚本に名乗りを上げたりしたらクラスメイト達から奇異の視線を向けられるのは間違いないだろう。
だが、和樹のそんな考えとは裏腹にやはり那海はケロっとした態度で告げた。
「特に何も? 意外、とは言われましたけど普通に友達には話してますからね。そんなに驚くことではないでしょう」
「あ、喋っていたんだ」
てっきり周りには隠していたと思っていた和樹は意外そうに呟く。
普通、そういうのは口にしないように思えるのだが。
「何ですかぁ、先輩。自分しか知らない那海ちゃんの一面を他の人が知っていることにヤキモキしてるんですか?」
「いや、全く。ちょっと意外だっただけだ」
ニヤニヤと揶揄う那海に対して和樹は表情一つ崩さずそう言う。あまりの態度の平坦さに那海はつまらないと頬を膨らませた。あざとい仕草ももはや見慣れたものである。
相変わらず乙女の戦略の効果がないことに那海はため息を溢すと続けた。
「真面目な話。昔の私だったら絶対に口にしませんでしたね」
そもそも未来に希望すら持たず、暗い道を歩いていた自分は夢を持つことすらなかっただろう。
「けど、こうやって生きていく内に自分のなりたいビジョンが浮かんで。そうなりたいと願うようになって。で、特に恥ずかしいとは思えなかったので友達に話した。それだけの話です」
夢はいつしか目標となり、願望は欲望へと変わった。
先行きが不明な彼女が得られたかけがえのない宝物。例え笑われたとしても、今の那海には大して問題ではなかった。
自身の夢に対して語る後輩の姿に、和樹はやはり成長したんだと実感した。
過去を捨て去り、武装を施し、自分の根底となる部分は大事にしている。
これが昔橋の上から身を投げ出そうとしていたと他の者に言っても信じられないことだろう。それほど今の那海は明るく、未来に生きていた。
「先輩は?」
後輩の輝かしい姿に目を細めたい気持ちになっていると、那海が不意に訊ねた。
「ん? 俺?」
「先輩は、何かやりたいこと、なりたいものはないんですか?」
那海の質問に和樹は数秒腕を組んで「んー」と唸る。
夢、将来へのビジョン、自分がどうなりたいのか……。
「……公務員とかか」
「それ、夢じゃなくて進路でしょ。そうじゃなくて和樹先輩が興味がある、やってみたいことですよ」
「って言われてもなぁ」
那海のように具体的に将来へのビジョンが和樹には思い浮かべない。
何となく家から通えるいい大学に入って、安定した職業に就くことくらいしか思いつかなかった。
「『小説が書かれ読まれるのは人生が一度きりであることへの抗議だ』とどこかの誰かは言いました。人の人生なんてせいぜい長くて100年くらいしかないんですから、やりたい事や好きな事に使った方が有意義なだと私は思いますけどね」
「そうやって好き勝手に生きてドン底なんてのはごめんだな」
声が、冷ややかになった。
無意識に発せられた和樹の声に、那海は僅かに心を強張せた。
久々に露出した和樹の暗い側面。ここ最近では滅多に見せなかった白井和樹の一面。
どうやら和樹に明るい未来を想像させようとしたのが裏目に出てしまったようだ。
那海は動揺する心を表情には出さず、いつもの軽いノリを保ちつつ喋る。
「……そうそう、聞いておくの忘れてましたぁ。先輩たちのクラスは何するんですか出し物?」
きっと本人は自分の感情の機微に気づいていなかったのだろう。
内心慎重になっている那海と対照的に和樹はいつも通りの穏やかな口調になって答える。
「ゲーム喫茶」
「……スマ〇ラ大会でもするんですか?」
「格ゲー大会する気はねぇ。トランプとかボードゲーム持ち込んでカフェするつもりだ」
「へぇー面白そうですね」
いつも通りの和樹に安堵を覚えながら那海は続けた。
「先輩が給仕してくれるんですか」
「いや、まだシフト決めていないが基本裏方に回る予定だ。絶対に表には出ない、怠い」
「たまにビヤンエメの手伝いしてくれるって聞いてますけど?」
「手伝いで働くのと学校の出し物で働くのは違う。お祭りに乗っかって面倒な客が来ることもあるし相手にするのも嫌だよ」
「『おかえりなさいませお嬢様』って言って貰っていいですか?」
「まさに面倒な奴が目の前にいたわ」
それにやるのは執事喫茶ではなくゲーム喫茶だ。
そのような過剰なサービスは経営方針に含まれていない。
「むぅ、サービスは大事ですよ」
「そのサービスで喜ぶのはお前くらいなものだ」
「いえいえ、柊先輩にこの言葉を言ってほしい男子は多いはずです」
「…………いや、捌ける自信がない」
「先輩、今柊先輩でいくらお金が落ちるか計算しましたね」
金勘定に使う頭の回転は速い辺り和樹の残念な部分である。
普通、雪に先ほどの言葉を使わせると話題にすれば自分が言ってもらう立場を想像しそうなものを。
柊先輩も大変だなぁ、とライバルに先を越されていない事への安堵と同時になんだか悲しくなってしまう那海だった。
「はぁ、それでは私はシナリオの作業に入りますので。先輩も勉強頑張ってください」
「おう、お前もせいぜいラブコメに巻き込まれないように気を付ける事だな」
最後に物凄く嫌な事を言われ、那海は顔を歪める。
が、すぐに勉強に意識を向けだした和樹の視線は参考書に向いており、普段からは珍しい那海の表情を見る事はなかった。
ようやく勉強に勤しめると握るペンに力を加えた。
まさにその時だった。
「あぁー、やっぱりここにいた」
すぐ背後から聞える明るい声。
「和樹君、何をしているんですか?」
同じようにすぐ後ろから聞こえる綺麗な声。
「…………」
振り返るのは嫌だなと思い、決死の覚悟で参考書を睨む和樹。
隣に座る那海は何事かと目を丸くさせていた。
「白井君、今日は喫茶店のユニフォームの打ち合わせと目ぼしいものを見つけに行こうって話だったでしょ。時間になっても来ないから探したよ」
雪のプンプン、と擬音が聞こえそうな声に那海はある程度の事情を察した。
「……先輩、準備サボって来たんですか」
「あ、那海ちゃん。やっほー」
「こんにちは柚木さん」
「はい、お二人ともこんにちは」
和やかな雰囲気で挨拶を交わす三人。
その隙にこの場からの脱出を図ろうとする和樹であったが――
「で、どこ行こうとしてるのですか和樹君?」
「……何故バレた」
「白井君が考えそうなことくらい容易に思いつくよ」
気配を消して、息を殺しての完全ステルスモードだったはずなのに気づけば目の前に雪と桜香が呆れた顔で立ち塞がっていた。
「じゃ、行こうか」
「ですね。もう皆集まってますよ和樹君」
「は、離せ! 俺は勉強しければならないんだ!」
「それなら勉強しながら打ち合わせするしかないね」
「んなマルチタスク出来るほど俺の頭は出来良くねぇっての! 離せ、いや離してくださいー!」
「それじゃ那海ちゃん、バイバイ」
「劇、頑張ってくださいね」
「あっ……はい」
必死の抵抗虚しく、呆気なく連行されていく和樹を呆然と見送る那海。
一分にも満たないやり取りが行われた図書室には、なんとも気まずく虚しい空気だけが残されたのであった。




