番外編 夏祭り5
「おや、白井君じゃないですか?」
雪の病室からの帰り道、長い廊下の先から見覚えのある男を目撃した。
「…水島さんですか、こんにちは」
「こんにちは、雪のお見舞いかな?」
白衣を纏った理人はにこやかな笑顔を浮かべて訊ねる。
「はい、そうです。水島さん、ここの病院だったんですね」
「うん、そうだよ。まだまだ見習いみたいなものだけどね」
涼しそうな顔の下に若干の疲労が見える。さすがに医者となると色々大変なんだろうなと社会人の多忙さを垣間見た。
「大変そうですね」
「そんなことないよ、まだまだ新人だけど毎日充実しているよ」
「そうですか…」
返事をする和樹であるが、その声にどこか覇気はない。理人も元気のない彼に気づいたようである。
「……雪のことかな?」
ぴくっ、と和樹の眉が動いた。
どうやら正解らしい反応に理人は微笑えんだ。前に出会った時は大人びた子だと思っていたのだが、今の和樹は年相応の高校生らしくてどこか安堵を覚える。
逆に、言い当てられた和樹はいい気分ではなかった。彼が医者という点を挙げても、自分がそこまで他人に分かりやすい表情を作っていたことに嫌悪感が募る。
「水島さんは、知っていたんですよね。柊の体のこと」
「あぁ、うん。長い付き合いだからね。白井君は知らなかったの?」
「…はい」
「ふぅ~ん、雪は教えなかったんだ」
「別に教えてくれなかったことにショックしているわけじゃないですから…」
「そう? なら、何を悩んでいるのかな?」
「………」
理人の問いかけに押し黙る。
一体何を語ればいいというんだろうか。雪から友達申請されてそれを拒否した。そして、居心地が悪くなったからそそくさと逃げてきたなんて、言えるわけがない。
特に、この人は雪を妹のように思っている人物だ。下手したら糾弾されかねない。
でも、無理なのだ。自分には柊雪と友達になることも、それを承認することも。
過去の光景が不意に脳裏をよぎる。もう二度とあんな阿保なことにならないために和樹は今日まで色々と頑張ってきた。それらを容易に裏切るような真似など出来るはずがない。
「…悩んでいるように見えますかね俺」
「う~ん、傍から見たらそう取られるかもしれないね。違うのかな?」
「違いますよ。あるとしたら、今晩のご飯どうしようかぐらいです」
適当に誤魔化す和樹。
理人も医者としての観察眼を用いて彼を見るが、肩をすくめて首を振る和樹の様子に不自然さは感じられなかった。
「では、失礼します」
「あぁ、うん。気を付けて帰ってね」
丁寧にお辞儀をしてその場を立ち去る和樹に理人は親しみのある声をかける。
カツン、カツン、という互いの靴音が廊下に鳴り響いた。
☆☆☆☆☆☆
「どうして、なんで……」
誰かが泣いている。
白い空間で顔を膝の間に埋めて悲痛を訴えている少年が目の前にいた。
これは夢だ。たまに、自分が夢を見ていることを認識することが出来るのは自分が病院生活が長かったせいだろうか。
「ねぇ、どうかしたの?」
私は彼に声を掛ける。例え夢だとしても、眼前で泣いている子供を放ってなど置けなかった。
だけど、彼に私の声は聞こえていないみたいで顔を上げてくれない。代わりに、彼の言葉が私に流れて来る。
「なんで、なんでなんだよ…。俺が何をしたって言うんだ。どうして誰も話を聞いてくれないんだよ」
悲痛の声は段々と強く、大きくなっていく。それはまるで、すべてを塗りつぶすかのように少年を中心として白い空間は黒い斑点が塗られていく。
「ふざけるな、ふざけるな、ふっざけるな!!」
「何が友達だ、何が友情だっ」
「壊す、壊してやる、全部全部全部!」
斑点は、色濃く大きくなっていき、白い空間を真っ黒に飲み込もうとしていた。
慌てて私は彼に手を伸ばす。
止めないと、何故かこの子を止めないといけないという焦りが感じた。
バリンバリンッ
空間が砕ける音が響く。真っ黒になった空間にヒビが入る。
もう少し、もう少しで彼に手が届くっ。
「待ってっ!」
ダメ、そっちに行ってはダメ。だけど、ヒビは彼と私の間に走り接触を阻もうとしてきた。
その時、うずくまっていた少年の顔が一瞬だけ見えた。
憎悪と怨念が籠っていた目がこちらを向いていた。
「はっ!」
ガバッ、と雪はベッドから飛び起きた。
視界に入ったのは見知った病室。窓に視線を寄越せば、真っ暗な空と街の光が零れていた。
「………」
怖い、というのが最初に雪が起きた時に感じたことだ。あのどす黒い瞳、すべてを恨みすべてを憎んでいるような鋭い目つき。自分より明らかに年下な子供があんな目つきが出来るのだろうか。
「あれ、誰?」
見知らない男の子。どうしてあんな夢を見てしまったのか。理由は分からない。
でも、あれは明らかに異質なものであるということだけは彼女には理解出来た。
☆☆☆☆☆☆
「……はぁ」
参考書に向かって和樹はため息を漏らす。ペンは走らず、頭はイマイチ冴えない。どう見ても勉強に集中出来ていなかった。
「どう考えても喋りすぎたよな」
昼間の出来事について反省する和樹。
雪に申請されたリアルフレンド登録。それに対して、和樹は真っ向から完全に拒否した。
普通なら雪のような子から友達になってくださいなんて言われたら嬉しいはず。四の五の言わず首を縦るのが正しい反応なのだろう。
だが、和樹にはそれは許されない。決して許さない。
そもそも、彼らの関係はかなり歪だ。別に敵対しているわけではない。でも、別に仲良くしているわけでもない。
一緒にいるのはゲームの中のみ。リアルでは互いに干渉し合わない。まぁ、それも最近は怪しいものであるが。それでも、和樹は意識して彼女たちから距離を置いているつもりだ。
だけど、それでも、彼女は自分に近づいてくる。手を伸ばしてくる。歩み寄ろうとしてくる。
和樹にとってそれは、甘美な蜜であると同時に猛毒な花弁だ。つい、手を取ってしまいそうになる。しかし、身に宿してしまったら自分は粉々になってしまう。きっと自分というものを保てなくなる恐れがあった。
どうにかあの後、適当に誤魔化した和樹であるが彼女の様子からみて歯止めが効かなくなってきているのが分かる。これは、本格的に時間が無くなってきていた。
「急がないと…」
急いでBGOを止めて彼女たちと物理的に距離を置く必要が出てきた。じゃないと、雪から一体今度はどんなアプローチがかかってくるのか分かったものじゃない。
和樹は再びペンを取ると、参考書に目を落とした。




