53話「燻る闇」
「――じゃあ、おやすみ」
そう言って佳織は、俺にはにかんだ笑顔を向けてくれる。
「ああ、おやすみ」
俺も彼女に笑顔で返した。
あの後、東京に帰ってきたのが23時頃になってしまったため、俺は佳織を家の近くまで送っていた。
流石に彼女の親に見つかるのはまずいため、家の近くで引き返す事にしている。
「えっと……また明日ね?」
そう言って、佳織は俺の方を上目遣いで見てきた。
あのやりとりから、佳織はずっとこの調子だった。
俺達の間に有った壁が無くなったおかげで、前よりも仲良くなれたのだろう。
「そうだな、明日も今日と同じで朝が早いから、早めに休んでくれ。それと、明日からは忙しくなるから、覚悟しといてくれよ」
「うん、わかった。じゃあ、もう家に帰るね……おやすみ」
「おやすみ」
俺は佳織が角を曲がるのを見届け、引き返した。
彼女の家は角を曲がってすぐのとこにあるため、危険はないだろう。
「――お疲れ様」
俺が歩き出してすぐ、今日会う予定だったもう一人の人が現れた。
「こんばんは、愛さん。すみません……こんな遅い時間になってしまって……」
俺は愛さんに向けて頭を下げる。
本当は20時に会う予定をしていたのに、こんな時間になってしまって申し訳なかった。
本当なら明日にするべきだったのだろうが、時間があまりないため、早めに作業に入りたかった。
「ううん、大丈夫だよ。それにこっちの準備もギリギリだったから、逆に時間がもらえて良かったよ。それよりも、デートは楽しかった?」
そう言って、愛さんは興味津々で俺に聞いてきた。
「いや、デートじゃないですよ! ただ佳織が行きたがっていたとこに、行ってきただけですから!」
「佳織、ね……? ふふ、それをデートだって言うんじゃないかな? まぁ、楓には内緒にしておくから安心して」
愛さんはニコニコで、そう言ってくる。
「だから、違いますって……。もうそんな話はいいですから、早く行きましょう!」
「はいはい、じゃあ、車はあっちに停めてあるから、行こうか」
愛さんは車のキーを指でクルクル回しながら、歩き始めた。
この人はお嬢様なのに、自分で運転をしたがる。
本当、変わった人だ。
俺はそう思いながら、彼女の後についていく。
すると――
「待って!」
俺達はその声に振り返る。
「……佳織?」
俺達を呼び留めたのは、家に帰ったはずの佳織だった。
「嘘つき……今日は予定がないって言ってたのに……」
佳織は頬を膨らませ、俺の事を見ていた。
「あぁ……すまない……」
しまったな……これでは、先程築いた信頼関係にヒビが入ってしまう……。
佳織は俺に近寄ってくると――
「まだやる事があるんでしょ? 私も手伝うよ」
そう言って、俺の方に微笑んでくれた。
「怒ってないのか……?」
俺の言葉に、佳織は首を横に振る。
「私がわがままを言ったのに、私に気を遣わせないためにそう言ってくれたんでしょ? そんなの怒れるわけないじゃん。それに、ごめんね? 予定を邪魔しちゃって……」
そう言って、申し訳なさそうに俺の方を上目づかいで見てきた。
「いや……俺は問題ないと判断したから、そうしただけだ。予定に狂いはないから、気にしなくていい」
俺がそう言うと――
「えへへ……ありがとう」
と、佳織ははにかんだ。
なんだか、随分と素直になったな……。
「わぁ~……アツアツだね~」
俺達の会話を見ていた愛さんが、こちらを見ながらニヤニヤしていた。
愛さんの言葉に、佳織は恥ずかしそうな様子を見せる。
きっと、からかわれて恥ずかしいんだろう。
――しかし、愛さんはさっきからなんなんだ……。
「あのですね……なんでもかんでもそう結び付けないでくれませんか?」
「ハハ、君はいつか女の子に刺されそうだね?」
「え……?」
俺が苦言を申そうとしたら、愛さんは突然そんな事を言って、苦笑いしていた。
俺が女の子に刺される?
どういうことだ?
俺は訳がわからず、佳織の方を見る。
すると、佳織はなぜだか、ウンウンっと頷いていた。
……俺が理解していないだけなのか……?
そんなやり取りをした後、俺達は愛さんの会社に行ったわけだが――
「な、なに、これ……?」
驚愕の光景に、佳織は涙目で俺の方を見てくる。
これから何をするのか、理解しているからだろう……。
まぁ、その気持ちはわかる……。
「こ、ここまでとは……流石に俺も気が滅入りそうです……」
俺達の目の前に広がったのは、部屋いっぱいに積み重なっている紙束だった。
俺が愛さんに用意してもらったのは、紫之宮財閥系列の会社に関する、経費や取引企業、物資の仕入れ値などが記載されたものだ。
ただ、まさかこれほどの量になろうとは……。
「まぁ、気持ちはわかるけど……これだけ準備するのも苦労したんだから、無駄にしないでね?」
そう言って、愛さんはニコっとした。
もう彼女の役目は終わりだから、気楽なのだろう……。
「はい……ありがとうございます……。さぁ、佳織……やろっか……?」
「な、何を……?」
佳織は震えた声で、俺に聞き返してきた。
自分が予想している答えとは、別の答えが返ってくるように願っている感じだった。
残念ながら、その期待は裏切る事になるのだが……。
「今から、仕入れ値などが相場通りに行われているかどうか、調べるぞ……それも、約束の日までの四日以内に……」
「嘘でしょぉおおおおおおおおおおおお!?」
佳織の断末魔が、深夜に響きわたるのだった――。
2
――噂を止めてくれ。
お兄ちゃんからそう頼まれた私達は、それぞれ行動に移ってた。
とは言っても、私の役目は今日からだけど……。
お姉ちゃんが噂を流している相手を見つけるまで、私は待機するしかなかった。
だけど、流石お姉ちゃんだと思う。
たった一日で、噂を流している20人に目星をつけちゃった。
これからは私の役目。
お兄ちゃんの噂を流している事の、言質をとってくる――。
それが、私がお兄ちゃんに任されたこと。
お兄ちゃんに何かを任されると言うのは、初めてだった。
でもそれは、嬉しいと同時に、心が痛かった……。
だって、この噂を流し始めたのも、私だもん……。
今お兄ちゃんが大変な目に合っているのは、全て私のせいだった。
本当なら、今頃お兄ちゃんは手術を受けれてたはずなのに、私がそれを邪魔してしまった……。
なのに、お兄ちゃんは犯罪に手を染めた私の事を、許してくれた。
本当にお兄ちゃんは、私に甘いと思う。
でも、そんなお兄ちゃんの事が大好きだった。
だから、お兄ちゃんの期待にこたえたい。
それは償いでもあるのだから……。
だけど、ふと思うの……。
お兄ちゃんは、この噂について私に何も聞かなかったけど、私が元凶だと言う事に気づいていないのかな……?
ううん……きっと気づいてる……。
多分、最近お兄ちゃんの隣に居るあの人が、お兄ちゃんに教えているから……。
だけどお兄ちゃんは、私に何も聞いて来ないし、怒りもしない。
ただ優しく、『気にするな』と言ってくれる。
それはお兄ちゃんの優しさだった。
でも……お兄ちゃん気づいてないのかな……?
私……またほっとかれてるよ……?
一緒に暮らしてくれるんじゃなかったの……?
いつになったら、私と暮らしてくれるの……?
ねぇ……なんで、また違う女が隣に居るの……?
……まぁ、今はいいかな……。
今はお兄ちゃんの命が優先だし……。
――私は、目的の相手に歩み寄る。
そして、自分の髪を指でクルクル弄りながら――
「杉山君……ちょっと……いいかな?」
と、上目遣いで話しかけるのだった。







