52話「雨降って地固まる」
――どうすればいいのか?
ここに来て、その疑問が強くなる。
理由はわかっていた。
楽しそうに横で笑っている――花宮を見ているからだ。
だから、わからなくなる。
この一件が終わって、彼女と離れるのが正しいのかどうかが――。
何より、花宮がどう考えているのかがわからなかった。
彼女の考え方は知っている。
彼女にとって、自分の傍に居てくれる人間が全てなのだ。
今の俺は、花宮の最も傍に居る人間になっている。
だから、彼女が俺に尽くしてくれているのはわかる。
しかし――そこからの花宮の考えがわからなかった。
彼女は一度仲良くなった人間と、その後どうしているのだろうか?
何となくだが、今までは、彼女の傍に一度付いた人間は、卒業などの理由がない限り、傍から離れないようにしていたのではないだろうか?
彼女と一緒に居るのは――心地良い。
だから、彼女から離れたくなくなる。
そんな思いがあるから、今まで自分の意思で、花宮から離れた人間は居ない気がする。
つまり――もし自分から離れて行こうとする人間が居たら、花宮はどう思うのかが気になった。
普通の人間なら、自分と親しくなった人間が離れていく時、『悲しい、嫌だ』と思う。
だが、花宮はどうだ?
彼女の考え方は、あくまで『周りに居る子』が全てだ。
だから、離れていく人間が居れば、その人間から興味を無くすだけだろうか?
そうなら、俺達の関係が終わっても何も問題がない。
しかし、彼女がそれを悲しいと思うなら、俺は――。
「ねぇねぇ、クロヤン!」
花宮が急に、俺の腕を引っ張ってきた。
そして――
「はい、チーズ!」
カシャッ――!
と、俺のスマホで写真を撮った。
そこに写るのは、吉備津神社を背景にした、俺と花宮の姿。
それはまるで――
「ふふ、こうして見ると、私達恋人みたいだね?」
俺はドキッとした。
それが花宮と同じ事を考えていたからなのか――それとも、別の意味だったのかはわからない。
しかし、そう言った花宮の表情は嬉しそうだった。
そこから伝わってくるのは、好意を寄せてくれているという気持ち。
そして、1つの違和感を感じた。
俺と同じように、花宮もどこか変なのだ。
今までの花宮なら、決して今みたいなことをしなかった。
これが、大好きな桃太郎のゆかりの地に来ているからなのだろうか?
それとも――いや、止めておこう。
これ以上は考えてはいけない事だ。
それに、花宮も俺達の終わりを感じ取っているだけかもしれない。
もし彼女が女ではなく、男で生まれていたのなら、俺達はきっとこの先も、ずっと親友としていられたのだろう。
だが、彼女は女として生まれ、俺は男として生まれた。
そんな男女が、恋人でもないのに仲良くしている――ましてや恋人がいるとなれば、世間から批判の目で見られるだろう。
つまりは考えるまでもなく――俺達は終わりを選ばなければならないのだ。
そう、それはわかっている。
わかっているのだが――
「ねね、クロヤン――!」
――彼女を見ていると、それをしたくないと思う自分が出てきてしまう。
2
「……もう、終わりだねー……」
俺の横で、寂しそうに花宮が呟いた。
――先程、鬼ノ城を後にした俺達の予定は、もう帰ることだけだった。
もう日が落ち始め、夕日が見えていた。
もう帰らないといけない――だが、その前にやるべきことがある。
「花宮」
俺は花宮を見据える。
「……どうしたの?」
彼女は不思議そうに俺の事を見たが、すぐに顔を引き締める。
俺が真面目な話をする事を、感じ取ったのだろう。
「お前に一つ聞きたい事がある――お前は、紫之宮先輩を助けた後、どうするつもりだ?」
「どうするって?」
「俺達の利害関係は、この件を最後に終わる――いや、終わらせなければならない。これ以上お前に負担を掛けるのは、不平等だろう」
俺の言葉に、花宮は頬を掻く。
だが、驚いた様子は見えなかった。
俺がこう言う事も、こいつなら予想出来ていたのかもしれない。
「やっぱそうなるよねー……うん、知ってたよ。じゃあ、私から逆に質問するね……クロヤンは一体どうしたいの?」
「……」
俺は花宮の質問に答えれなかった。
まだ自分の中で迷っているのだ。
だから、花宮の気持ちが知りたかった。
それで、答えを決めたかったのだ。
ようは俺に、花宮を切る度胸がないという事だ。
彼女は俺が答えない事を確認すると、ゆっくりと近寄ってきた。
「ねぇ、この二か月間……クロヤンは私と出会って、どうだった? 楽しかった? それとも、厄介毎に巻き込まれて、辛かった? 私はね……楽しかったよ? 普通の高校生だったら、経験できなかったことを、私はたくさん経験してる。だからね……私はクロヤンと一緒に居たい」
「――っ!」
近寄ってきた花宮は、俺に抱き着いてきた。
その行動は予想外だったため、俺の体は固まってしまう。
俺はゆっくりと、花宮を見下ろす。
彼女は目をうるわせながら、俺の事を見上げていた。
「花宮……俺は……」
「なーんてね!」
花宮は明るい声を出しながら、俺に背を向けた。
そして、夕日に向かって歩き出す。
「花宮……?」
「あはは、今の本気で信じた? いつもどーりの演技だよー。全く、クロヤンは信じやすいなー。言ったでしょ? 私は周りに居てくれる人間が全て。だから、私の傍を離れる人間の事なんて知らない。クロヤンが離れたいのなら、そうしたらいいよ」
……そういう花宮の声は震えていた――それは声だけじゃなく、握りこぶしを作っている両手も震えていた。
先ほどのが演技だったんじゃなく、今明るい声を出している方が、演技だというのがわかる。
俺は大きく深呼吸をした。
――覚悟は決まった。
もう――迷いはない。
「花宮――いや、佳織」
俺がそう呼ぶと、佳織は驚いた様に俺の方を見た。
その顔はやはり、涙で濡れていた。
夕日をバックにする彼女は、儚く見える。
「どういう……つもり……?」
「俺はお前と一緒に居たい」
「――っ!」
「それが――俺の気持ちだ」
佳織は一度俯き、そしてまたこちらに背を向けた。
「浮気……でも、したいの?」
「そうじゃない」
「じゃあ、どういうこと……かな?」
「俺にお前を女として幸せにする事は出来ない……だけど、一人の人間として、幸せにする事は出来る。俺はお前に、親友として傍にいてほしい」
花宮は、もう一度俺の方を向いた。
もう涙は流していない。
その代わり、鋭い目で俺の方を見ていた。
今のやり取りの間に、上手く感情をコントロールしたのか。
流石だな……。
「そんな事、誰が認めてくれるの? 周りはきっと、非難する」
「確かに理解してくれない人は多いだろうな。だが、俺はそれでもお前に傍に居てほしい」
「意味わかんない――まさか、情けのつもり? クロヤンはそれが優しさと思っているのかもしれないけど、それは多くの子を不幸にするだけ。偽善も良いとこだね」
「偽善……か。確かにそうかもしれないな。それに、俺の自己満足かもしれない。だけどな、佳織――お前はどうしたいんだ?」
俺の言葉に、佳織は一瞬、躊躇する。
だが、すぐに口を開いた。
「さっきも言ったでしょ? 私はクロヤンが離れたいのなら、それでいい。別になんとも思わないって」
「それは本心なのか?」
「もちろん」
……一度気持ちを固めた佳織は、中々本心を話してくれない。
わかっている……今間違っているのは俺だ。
佳織の考えが正しい。
だが、それは世間一般からの、常識としてだ。
他の人間が正しいと考える事が、全てじゃない。
そして、俺はそこまで大人じゃない。
だから、我が儘を言おう。
周りがどう言おうと関係ない。
俺は目の前の女の子を、幸せにしたいのだ。
いや、彼女だけではない――楓先輩はもちろんのこと、このみも、夕美も、加奈も、全員幸せにしたい。
もちろん、俺が女性として幸せにしたいのは、楓先輩だけだ。
だが先ほど言ったように、女としてではなく、一人の人間としてなら、彼女達も幸せにしていいはずだ。
「なぁ、佳織……俺はお前と同じように、周りに居る人達みんなを幸せにしたい」
「ふっ……だから私にも傍に居ろって? いい加減にしてくれない? 夢物語も良い所よ。あなたが男友達を助けるのとは違うの。あなたには紫之宮先輩が居るんでしょ? それなのに、あなたの周りに別の女が居たら、彼女はどう思う? きっと傷つくし、負の感情を持つわよ? それだけじゃなく、世間から叩かれるのはあなただけじゃなく、あなたの傍に居る子達もなの。どれだけ自分が無謀な事を言っているのか、わかった? それに私にはわかったわ……あなたは私のパートナーとして――役不足。だから、私はあなたの傍から離れる事にする」
……よくそれだけの事を、一瞬で考えつくものだ。
これが先程、山中さんに怯えていた少女なのだろうか?
条件が変わるだけで、彼女はこれほど手ごわくなる。
それは、彼女の能力の高さを証明していた。
「佳織、人は男女を意識しなくては駄目なのか? 男と女が親友で居るのはおかしい事なのか?」
「そんなの当たり前でしょ?」
「俺はそうは思わない。男と女が親友で居てもいいはずだ。人は性別を超えた以上に繋がる事が出来る。俺はお前以上に、俺と相性が良い奴を知らない。これから先お前が居なければ、俺が取れる戦略も狭まるだろう――それがお前の言う、男女を意識する結果だ」
俺の言葉に、花宮は目を背ける。
「意味わかんない」
彼女はそう言うが、本当はわかっているのだろう。
だから、目を背けた。
「もし世間が、佳織が俺の傍に居る事を批判するのなら、それは男女差別でしかない。俺は佳織の能力を買って、傍にいてほしいと思っている。もしそれで世間が何か言うのなら、俺は世間に向かってそう言ってやる」
「バッカじゃないの!? そんな事すれば、紫之宮財閥の評判を落とすわよ!?」
「それは思い込みでしかない。もし日本が本当の男女差別を無くすのなら、俺が言っている事が伝わるはずだ」
「無理ね」
「出来る」
「なんでそんな馬鹿な事しか言わないのよ!」
「お前が必要だからだ」
「――っ!」
「もう一度言う――俺にはお前が必要なんだ」
「そんな事……言われたって……」
佳織は俯いてしまった。
佳織の気持ちが、揺れ始めた事がわかる。
だから俺は、佳織に最も効く言葉を使う。
「なぁ佳織……俺はお前の傍を離れるつもりはない。そして、お前が俺の傍から離れるのであれば、俺は優秀な相棒を失い、不幸になるだろう。それは――お前の理念に反するんじゃないのか?」
「――っ!」
花宮は俺の言葉に、体をビクっとさした。
そして、しばしの沈黙――。
俺は口を挟まない。
ここまで言って彼女が離れると言うのであれば、俺の負けだ。
彼女の覚悟の方が、強かったという事になる。
「………………ずるい……よ……」
佳織は、ポツリと漏らし始めた。
「ずるい……本当に、ずるいよ……」
「あぁ、知ってる」
涙を流しながら俺の方を見る佳織に、俺は優しくそう答えた。
「どうして……本当は自分も離れようとしてたくせに……どうして急に……引き留めるのよ」
「佳織の本心が知れたからだ」
「いいの……本当に……傍に居て、いいの?」
「あぁ、もちろんだ」
「紫之宮先輩が反対しても?」
「納得してもらう」
「喧嘩になっちゃうかもしれないよ?」
「大丈夫だ。あの人なら、わかってくれる」
「私、もう離れないかもしれないよ?」
「気が済むまで、傍に居ればいい」
「……ばか~…………」
そう言って、佳織は俺に抱き着いてきた。
俺はあやすように、佳織の頭を撫でる。
俺達の関係を、周りがどう言おうと関係がない。
認めないのなら、認めさせればいい。
俺と佳織の力があれば、それが可能だと思う。
今はまだ学生でしかない俺達だが、いずれ社会に出れば、佳織が情報を集め、俺がそれを元にカードを切る。
それが俺達の戦い方だ。
それで周りを認めさせてみせる。
今回の一件で、俺達の信頼関係がより強くなったことを、俺は確信していた。







