50話「覚悟」
「――という事なんです」
そう言って、山中さんは俺の目を見てきた。
その目は、先程のこちらを試している目ではなく、対等な相手として見ている感じの目だった。
山中さんに話してもらったのは、何が困っているかと言う本音だったが、そんな事は知っている。
だから俺がそこから聞き出したのは、山中さんの彼女についてだった。
やはり彼は、まだ彼女と別れていないらしい。
彼とその彼女は幼馴染らしく、どうしても諦められないと言っていた。
それを話す姿に、嘘は感じられなかった。
まぁ、山中さんがとんでもないほどのポーカーフェイスや、このみ並みに演技が上手かったなら、そうとも言えないが。
しかし、その心配は無いだろう。
先ほどの腹の探り合いで、山中さんは一瞬ではあるし、微妙な変化でしかなかったが、それでも動揺などが表情に出る。
むしろ一瞬だったからこそ、あれがわざと表情に出していたんじゃないとわかる。
――出来るだけ表情に出さないようにしているのだと。
俺が腹の探り合いをわざわざしていたのは、それを見極めたかったというのが、本当の理由だった。
まぁ、こちらの事を認めてもらうためというのもあるが――。
しかし、それだけなら、他にもやり方があった。
ただ、俺は山中さんの人格を知らない。
信頼できる人間、こちらを裏切らない人間かどうかを知っておく必要があった。
まだ信頼できるわけではないが、違和感があればわかるし、彼女の事をこれほど思っているのであれば、問題ないだろう。
「わかりました。それではこちらから、提案をしても宜しいでしょうか?」
「提案?」
「はい、今回の打開策になります」
「そんなのがあるのかい?」
「元々、その話をしたくてこちらに赴いたので。――山中財閥から、紫之宮財閥に必要な物資、技術などを提供して頂きたいのです」
「なっ――!」
山中さんは俺の言葉に目をひん剥いた。
そしてすぐに花宮の方を見る。
多分、俺よりも花宮からの方が、考えが読み取りやすいと思ったのだろう。
しかし花宮は、必死に俺の方を見ようとするのを我慢して、メモの方に視線を落としている。
もしここで花宮が俺の方を見ていたり、驚いた表情をしていたら、山中さんに疑念をあたえてしまっていただろう。
花宮の表情を見る事を諦めた山中さんが、俺の方を見てきた。
「そんな事出来るわけないでしょう! こちらに何もメリットがない!」
「もちろん紫之宮財閥にも同じように、山中財閥に提供して頂きます。要は政略結婚で得るはずだったメリットを、契約で成してしまおうと言うのです」
「それは無理ですよ! 長い付き合いがあって信頼があるのならともかく、山中財閥と紫之宮財閥には深い付き合いがありません! だからこそ、今回の政略結婚の話を持ち掛けられたのですから!」
「ええ、確かにそうですね。しかも相手はあの紫之宮社長だ。簡単に信じられないのもわかります」
「だったら――!」
「だとして、他に打開策があるのですか?」
「――っ!」
「山中さん、あなたに一つお尋ねしたい。あなたは今回話を持ち掛けられて、何をしましたか? 手を打とうとせずに、周りに愚痴をこぼしていただけではないですか?」
「そ、それは――」
山中さんは俺から目を逸らす。
言葉に出さなくてもわかる。
無言の肯定だ。
「相手が日本屈指の財閥だから、何をしても無駄だと諦めたのですか?」
「ち、違う――! ただ、今回のお見合いを断れば、彼女のお父さんが経営している会社を潰すと言われたんだ!」
なるほど……あの男、人質をとったのか。
楓先輩の事と言い、やる事に容赦が無い。
目的の為なら手段を選ばないという事か。
「潰されないように、守るという手段は考えはなかったのですか? 例えば山中財閥のグループに名前だけ入ってもらい、何かあれば、支援出来る様に手配するとか」
「そんな事すれば、山中財閥にも多大な被害が出てしまう!」
「つまり、自分可愛さでそうしなかったと?」
「違う! 山中財閥は僕の所有物じゃない! 山中財閥にはたくさんの社員が居る! 僕の勝手な都合で、彼らを露頭に迷わす事が出来るわけないだろう!」
社員の事を考えてか……。
山中さんは見た目通りの、好青年の様だ。
ならばこちらとしても、協力を惜しむ必要がない。
「なるほど、隠忍自重でしたか。感情に任せて動かなかった事は、偉いと思います」
隠忍自重――怒りや苦しみなどを我慢して、軽はずみな行動をとらないといった意味だ。
それを実行できる人間など、そうそう居ない。
大抵の人間は、我慢できずに行動する。
その際の結果は、運がよければ成功するが、大抵の場合は失敗で終わるだろう。
それに、この人が行動を起こしていなかったからこそ、俺が介入できる余地があった。
その事には感謝している。
「でも、今は違うはずです。ここに会社にダメージを与えない打開策があるのです。それでもあなたは動かないのですか?」
「し、しかし――」
俺は机に人差し指を立てて、山中さんを睨む。
「ここであなたが動かなければ、まず間違いなく彼女と別れる事になるぞ! あなたはそれでいいのか!? 自分の好きな相手ではなく、会社のために結婚することになるんだぞ! 本当にそれでいいのか!?」
俺がいきなり怒鳴った事により、花宮がビクっとした。
だが、俺は山中さんを睨み続ける。
ここで彼が覚悟を決めなければ、何も変わらない。
「……」
山中さんは目を閉じて、考え始めた。
まだ迷っているのだろう。
ここで見合いを断る為に、紫之宮財閥に物資提供をしあう契約を結んだとして、それにももちろんリスクがある。
政略結婚とは違い、あくまで他人なのだ。
いつ裏切られるかわからない。
もし裏切られれば、会社は潰れてしまうだろう。
もちろん、裏切らない様に契約書にも書く。
だが、それは完璧ではない。
欲しい技術だけ奪われて、紫之宮財閥が直接手を出さずに、周りを使われたら終わりなのだ。
それを証明できない限り、紫之宮財閥に責任を問えない。
そして、あくまで結ぶのは物資の提供や、技術の提供。
企業の経済状況が悪くなっても、資金を恵んでもらうなどの契約は結べない。
そして、契約相手はあの紫之宮社長だ。
後ろから刺されてもおかしくない相手。
彼が迷うのも当然だろう。
だが、俺はそうならないように手を打っている。
「山中さん、これを見てくれますか?」
俺はそう言って、山中さんに、紫之宮会長にサインしてもらった契約書を見せる。
「これは?」
「先ほどお話した契約書です。簡単に言えば、先程の事を記載しているものですが、ここを見て頂けますか?」
そう言って、俺は紫之宮財閥側のサイン欄を指さす。
「こ、これは――」
そこに書かれているのは、もちろん紫之宮会長の名前が書かれたサインだった。
だが、その事に山中さんは驚いている。
なぜか?
それは――紫之宮会長は、前線を退いている人だからだ。
もう表には出てこない人として、業界内には知れ渡っている。
だが、彼が今もなお紫之宮社長の権力以上のものを持っている事を、皆知っていた。
その男を、この場に引っ張って来れたことを驚いているのだろう
俺は意識して、優しい声を出す。
「山中さん、この契約には紫之宮会長が関与してくれています。それに実は、僕と楓さんは学校が同じで、懇意にして頂いているんです。そして、楓さんのお姉さんとも気心が知れた仲です。ここでサインを頂けるのであれば、絶対、紫之宮社長に山中財閥へ手を出させません」
「本当にそんな事ができるのかい?」
「はい、ここを見てください」
そして、俺は最後の一文を指す。
そこには『ただし、以上の事は、黒柳龍が紫之宮財閥と山中財閥の間を取り持っている期間のみとする』と、書かれている。
さらに、俺はもう一枚の契約書を、山中さんに差し出す。
「こっちの契約書には、『黒柳龍は山中財閥と信頼関係で有る限り、山中財閥との決めごとを守る』と、書いてあります。この二つの契約書がある限り、山中財閥の身は保証されます」
二つ目の契約書は要するに、山中財閥が俺を裏切らない限り、こちらも裏切らないと言う意味だった。
一つ目の契約書に俺が介入している意味は三つ。
一つ目は――これが紫之宮社長を通さずに、紫之宮会長に承認してもらっているからだ。だから、あくまで俺がその契約を結んだという証明が必要となる。
二つ目は――紫之宮財閥、山中財閥、このどちらかが裏切るまではいかなくても、不正をしたり、姑息な手段をしたとき、契約をすぐに打ちきれる様にするためだ。その最も簡単な手段として、俺が間を取り持つ限りとしている。
三つ目は――俺が見合いの土俵にあがるためだ。俺の名前がなければ、俺抜きで紫之宮財閥と山中財閥が交渉できてしまう。そうなると、山中財閥には手を退かれ、紫之宮社長はすぐに他の見合い相手を探すために動き出すだろう。ここでケリをつけるためには、山中さんの協力が必要不可欠。だから、契約が結ばれて、山中財閥がこの件から抜けるのを阻止するために、これが必要だった。
だが、一つ目の契約書だけでは、俺が適当な理由で退いてしまえば、紫之宮財閥は山中財閥を裏切ることが出来る。
その事に、山中社長が気づかないはずがないだろう。
そして、俺も山中財閥を裏切るつもりはないため、二つ目の契約書を用意したのだ。
「わかりました……ここまでしてもらったんです。こちらもその契約書にサインさせて頂きます」
そう言って、山中さんはこちらに笑顔を向けてくれた。
ふぅ……これで、肩の荷が一つ下りた感じだ……。
隣に居る花宮も、笑顔でこちらを見ていた。
俺はそんな花宮に、『大丈夫って言っただろ?』と言った意味を込めて笑い返した。
「それでは、これで話は終わりと言う事でいいですか?」
「はい。あ、最後に一つ――」
俺は山中さんと、ある約束をして、建物を出たのだった。
「お疲れ様」
そう言って、花宮が俺の事を笑顔で見上げてくる。
「まぁ、確かにちょっと疲れた」
俺はそれに苦笑いして返す。
あんなやり取りは久しぶりだった。
正直言えば、かなり疲れている。
「でも、ビックリしたよ。いきなり相手を怒らせたと思ったら、とんでもない提案しだすし、最後にはクロヤンまで怒鳴り出すし」
「そうしないといけなかったからな」
自分が怒鳴るのは柄じゃない事はわかっていたが、そうしないと、山中さんの心には響かなかっただろう。
「あ、後……その、ごめんなさい」
冗談交じりに話していたら、花宮が急に頭を下げてきた。
「何がだ?」
「その、顔に出すなって言われてたのに、出しちゃったから」
あー……そういえば、一回驚いた顔をしていたな。
「いや、気にしなくていい。肝心の場面では顔に出さなかったし、何より内容を話していなかったんだ。多少は顔に出ると思っていたよ」
「あ、そうだよ! ハナから教えてくれてたら、我慢できてたのに!」
先ほどまで少し落ち込んでいたかと思ったら、今度は怒り出した。
「さぁ、それよりも桃太郎巡りするんだろ? 東京に帰るのは時間がかかるし、ご飯も食べたい。ここでのんびりしている暇はないぞ」
俺は花宮の言葉をはぐらかした。
なぜ花宮に事前に説明をしなかったか。
それは――先に説明してしまうと、先入観をもってしまうからだ。
俺は、あの時の話を切り出すタイミングや、山中さんの様子、それにあの場の雰囲気を、緊張感をもって見てもらいたかった。
花宮はきっと、あの時の駆け引きや、コロコロ変動する場の雰囲気により、常に極度の緊張感を持っていただろう。
それを先に話していれば、『もうすぐ雰囲気が変わるんだろうな』とか、そう言った感じで準備が出来てしまい、緊張感がなくなる。
そうなれば、彼女の記憶に残りづらいだろう。
俺がこの先彼女と離れるとしたら、彼女は一人で山中さんの様な人を相手にしなければならない。
先ほどの山中さんに対する花宮の様子を見た時、彼女にそれが出来ない事がわかった。
だからこれから先、花宮はそう言った相手に負けない力を養う必要がある。
俺はようやく、紫之宮会長が俺に花宮を付けた理由がわかった。
あの人は花宮の本質を見抜いていたのだろう。
多分花宮は、過去に行われた虐待から、自分が優位に立てない相手――特に、年上に弱いのだ。
俺はその事に気付いていなかった。
初めて会った時の花宮から、彼女は誰とでも渡り合えてると思っていた。
だけど、そうではなかった。
俺が気づかなかった部分を、紫之宮社長は俺よりも花宮といた時間が短いのに、それを見抜いていた。
つまり、俺は観察眼であの人に負けたのだ。
俺はもう一度、あの人を相手にしなければならない。
しかも、今回は今までとは違う。
あの人相手に、本気の駆け引きをしなければならないのだ。
まだ先の事とは言え、俺は体が強張るのを感じた。
「クロヤン?」
俺が歩き出そうとしなかったせいで、花宮がこちらを振り返った。
「いや、なんでもない」
俺はそう答えたが、花宮は俺の手を掴み、顔を覗き込んできた。
そして、俺が先ほど山中さんにしたのと同じように、優しい声で語りかけてきた。
「あのね、クロヤン。私にはわからない事や見えないものを、クロヤンには見えてるってのはわかるよ。先ほどの駆け引きも私には無理だった。でも、前にクロヤンが言っていたように、私にしか出来ない事もあると思うの。だから、何かあるんだったら隠さずに言ってほしいな」
そう言って、優しく俺の手を撫でてくれた。
そうだな……。
俺はもうみんなに頼る事に決めたんだ。
そうして今、みんなに役目を頼んでいる。
なのに、肝心な部分で独り相撲をしてしまったら、意味がないだろうに。
もう失敗は許されないんだ。
見栄を張る必要は無い。
相談できる相手がいるのなら、弱音を吐いてもいいのだ。
勝利を掴むために、プライドなどいらない。
「そうだな……。実は――」
俺がこれからしようとしている事を、全て花宮に話した。
彼女は驚きながらも、全て聞いてくれた。
そして――
「そっかー……。正直色々思う事はあるよ。それに怖いとも思う。でも、その結果、みんなが幸せになるんならいいんじゃないかな。大丈夫、もしお祖父ちゃんがキレたら、私が止めてあげるから!」
そう言って、笑いかけてくれた。
出来たら怒らせたくないんだが、そうなってしまったら、花宮に任せるとしよう。
「ほら――次に行こ?」
そう言って、花宮は俺の手を掴んだまま、走り出す。
俺は気持ちが軽くなったのを感じ、花宮に遅れない様走り出すのだった。







