40話「新たな信頼関係」
飛鳥さんから提案された俺は、少し時間をもらい、目を閉じて考えていた――。
俺がビジネスパートナーとはどういう狙いだ?
まだ高校2年生でしかない俺に、言葉の通りの期待をしているとは思えない。
それとも、本当に俺の実力を買ってくれているだけなのか?
……いや――やはりそれはないだろう。
俺の成長を期待していたとしても、流石にパートナーになれとまでは言わないはずだ。
だとすれば、今回の件が上手くいった場合、後々楓先輩のパートナーとして紫之宮を引っ張っていく立場になる、俺との繋がりを欲していると考えるのが妥当か?
権力を持った相手に交渉するにはそれ相応の対価が必要だが、今の俺は何も権力を持たないただの学生だ。
だから、今のうちにローリスクで手を結ぼうとしているのだろうか。
その可能性が一番高い気がするが……俺は先程の会話の中で気になっていたことがあった。
その懸念を確認しておく必要があるだろう。
「少しいいですか?」
俺は目を開け、飛鳥さんの目を見る。
「はい、色々疑問に持たれていると思いますので、何なりとお聞きください」
そう言って、飛鳥さんはニコッと笑った。
「それじゃあお言葉に甘えて――俺は今回の話を聞かせて頂いて、飛鳥さんが凄い方という事は理解しました。しかしお恥ずかしながら、飛鳥さんがどれほど凄いのかが把握しきれていないというのが本音です。手を結ぶ前に、その辺を確認しておきたいと思いまして……飛鳥さんが今回の楓先輩の件で、何処まで情報を掴む事が出来ているのかを、聞かせていただけますか?」
俺の言葉に飛鳥さんは少しだけ考えて、口を開いた。
「そうですね――私が知っているのは、紫之宮社長が紫之宮さんの縁談を早く結びたがっている事ですね。それと、黒柳さんの事を認めていなくて、紫之宮さんを黒柳さんから遠ざけていると聞いております」
「それだけですか?」
俺の言葉に飛鳥さんは一瞬、ムッとした。
だが、すぐに笑顔で返してきた。
「いいえ、私の情報網はそんなに甘くはありませんよ。もちろん他にも、紫之宮社長が紫之宮さんに変な男が近寄らない様に、軟禁している事も掴んでおります」
やはりな……。
この人は今ミスを冒した。
多分この人は、自分の実力をアピールするつもりで、ここまで深い情報も手に入れる事が出来ると言ったつもりなのだろう。
俺が本当に知りたかったのは、そんな事ではなかったという事に気付いていない。
最初俺は、飛鳥さんが今回の件を知っている事に対して、優秀だから情報を掴んでいるのだと思っていた。
だがしかし、この人は知りすぎている。
何故、楓先輩が軟禁されている事を知っているのか――という事だ。
「飛鳥さん、悪いですが今回の話はなかったという事にして頂きます」
俺がそういうと、飛鳥さんは目を細めた。
「それは何故でしょうか? 私が力不足だという事ですか?」
俺は飛鳥さんの問いかけに首を横に振る。
「そうではありません。飛鳥さんが優秀な方という事は、先程までの話で十分理解しております」
「ならばどうしてでしょうか? この提案はお互いにとって、メリットがあると思いますが?」
「もし今回手を結ぶなら、それを書面に起こして頂けますか?」
「書面に……?」
「そう、そして書面にはこう書いて頂きたい。『もし、今回の事で黒柳龍を裏切る――もしくはこの契約を結ぶ以前から、紫之宮社長及びその関係者と、黒柳龍を嵌めるという取引があった事が発覚すれば、飛鳥財閥の持つ資産全てを黒柳に譲渡する』――と」
俺の言葉に飛鳥さんが目を見開かせる。
俺はその表情で確信を持った。
そして、飛鳥さんの目を見ながら言葉を続ける。
「あなたは紫之宮社長に頼まれて、今回の話を俺に持ち掛けてきたんですよね?」
「なんの御冗談でしょうか? それでは私は、黒柳さんを嵌めようとしていると言いたいのですか?」
「そうでないというのなら、その契約書を作りサインしてください。俺を嵌めようとしているのではないというのなら、何のリスクもないので、これくらい出来ると思いますが?」
「……私は気分を害しました。まさか手を差し伸べたら、こんな疑いを掛けられるとは思いもしませんでしたよ」
そう言って、飛鳥さんは呆れたような態度をとる。
「それは申し訳ありません。それなら、契約書にサインを頂けた後に、心からお詫びをさせて頂きましょう」
飛鳥さんは無言のまま、睨むように俺の目を見つめてきた。
俺も視線を逸らさずに、飛鳥さんの目を見つめる。
やがて――
「ふぅ……何処で気づきましたか?」
観念したように、飛鳥さんは洩らした。
「飛鳥さんが、今回の事を知りすぎている事に疑問を持ちました。まぁ後は、流石に俺をビジネスパートナーにするために今回の話を持ち掛けたってのが、無理がありましたね」
「ビジネスパートナーはともかく、知りすぎているとは?」
「いくら情報を掴むことが出来たとしても、楓先輩が軟禁されているという情報が掴めるとは思えないからです」
「それだけで……ですか? それならば、お爺様から聞いたり、この前の話し合いで参加されていた、黒柳さんの学友に聞いたり、それこそ何日も学校に来ていない事を調べればわかると思いますが?」
「それはありえないですよ」
そう言って、俺は肩をすくめる。
「俺が紫之宮社長の立場なら、まず楓先輩を軟禁している事など、部下に洩らしません。そんな事を知られれば、部下から信頼を失いかねないからです。次に、俺の学友から聞いた可能性についての話ですが、確かに何人かは楓先輩が軟禁されている事を知っていますし、学校に何日も来ていなければ、何か家の事情があった事は考えられますね」
「それだと、私が知っていてもおかしくないはずですよね?」
「いいえ、それをあなたが知っていればおかしいです。なぜなら、今回の楓先輩が軟禁されている事を、あいつらは自分から話したりはしないからです。そう、こちらから聞いたりしない限りはね。ましてや、学校を休んでいる事なんて、調べたりしなければわかりませんよね?」
「私が聞いたり、調べたりしたとは考えなかったのですか?」
「逆に聞きますが、何故聞いたりするのですか?」
俺の言葉に、飛鳥さんは首を傾げる。
これではわかりづらかったか……。
「どうやって、楓先輩に何か起こっている事を知る事が出来たんですか? 何か起きたことに気づかない限り、調べようなんて思いませんよね?」
俺の言葉に、飛鳥さんがハッとする。
そう、そもそもそこがおかしかったのだ。
俺がいつも楓先輩の傍にいて、楓先輩の周囲の状況を知っていたせいで疑問に思わなかったが、いくら祖父が紫之宮財閥の重役とはいえ、楓先輩の周囲の状況までを飛鳥さんが知っているのはおかしい。
「なるほど……しかし、どうしてこれが紫之宮社長に仕組まれた事だとわかったのですか?」
「理由は簡単ですよ。俺が向こうの立場なら、同じことをしていたはずですから」
俺の言葉に飛鳥さんが絶句した。
だから、俺は言葉を続ける。
「飛鳥さんが、紫之宮社長から全て聞かされているという事で話を進めさせていただきますが、今回俺は、紫之宮社長との約束の場に赴くことが出来ませんでした。当然あちらは、俺に何かあったのだと察するでしょう。そして不測の事態によって、約束を守れなかった人間が取る行動は二つ。約束自体を諦めるか、何としてでも失敗を取り戻そうとするかです。どちらを選択するかは、約束に何が掛かっていたかによって予測がつきますよね。当然簡単に諦めるはずがない、何か手を打ってくるはずだと、紫之宮社長は考えたはずです。もし、僕が紫之宮社長の立場に居たとすれば、諦めない相手に対して、第三者を使ってわざと策を授けます。そうすれば、約束を守れなかった事により焦っていた相手は、藁にもすがる思いで、その策に手を伸ばすでしょう。だけど、それが罠なんです。如何にももっともらしい情報に、微妙に嘘の情報を交えさせて、対策を打っておくのです。それに気づかずに、その策でいけると信じた人間はその策を突き詰めていくでしょう。そう――それが意味をなさない、偽りの情報だとも知らずに……って感じです」
俺がそう言うと、飛鳥さんは苦笑していた。
「どうやら私は、味方につく御方を間違えてしまったようですね……。黒柳さんのおっしゃられた通り、私は紫之宮社長に取引を持ち掛けられました。どうやら私が黒柳さんと関わっていた事は、おじい様から聞かれていたようです。その取引内容とは、紫之宮社長に言われた内容を、そのまま黒柳さんにお伝えすれば、私が来年から任される会社を、全面的にバックアップしてくださるとの事でした」
「なるほど……飛鳥さんにリスクが全くない上に、この上ない見返りですね」
「ええ、その通りです。だから私は即答で引き受けました。ですが、今はそれを後悔しております」
そう言って、残念そうに飛鳥さんは、顔を俯かせた。
「こう言ってはなんですが……俺がその邪魔をしてしまって申し訳ないです」
俺がそう言うと、飛鳥さんはおかしそうに笑った。
「ふふ――どうして黒柳さんが謝られるんですか? 悪いのは黒柳さんを嵌めようとした私ですのに」
「いや、飛鳥さんからすれば、紫之宮財閥のバックアップはどうしても手に入れたかっただろうなっと、思いまして……」
俺はそう言って、頭を掻く。
今回飛鳥さんは、俺達のいざこざに巻き込まれたようなものだ。
それに対しての見返りとして、紫之宮財閥のバックアップが得られる予定だったのに、俺が邪魔をしてしまった。
来年から会社を任されるという飛鳥さんは、不安があるのだろう。
そこにこんな取引内容が持ち込まれれば、彼女が了承したのも納得できる。
彼女が普段から色々と考えていて、取引などになれているとはいえ、俺と一つしか変わらない女の子なのだから。
だから、俺は今回の事で彼女を責める気はなかった。
飛鳥さんは少し俺の事を見つめた後、ソファーから立ち上がった。
「黒柳さん、少々お待ちいただいてもよろしいですか?」
「わかりました。ここで待たせて頂きます」
俺がそう答えると『ありがとうございます』と言って、飛鳥さんは部屋を出て行った。
失敗したことを報告に行ったのかもしれない。
「――っ!」
飛鳥さんを待っていると、急に頭痛がしてきた。
もう薬が切れたのか……。
最近になって、さらに薬の効く時間が短くなってきた。
本格的にまずいのかもしれない……。
2
――15分ほどたった頃だろうか、飛鳥さんが封筒を持って部屋に戻ってきた。
「お待たせしました――。……黒柳さん、顔色が悪いようですが大丈夫ですか?」
飛鳥さんが心配した表情でこちらを見てきた。
「いえ、大丈夫です。それより、それはなんですか?」
俺が封筒について尋ねると、飛鳥さんはソファーに座り、封筒の中から数枚の紙を取り出した。
「こちらを黒柳さんにお渡ししたいと思いまして」
そう言って、飛鳥さんは俺に渡してきた。
見れば資料と一緒に、清潔感に溢れる若い男の人の顔写真がついていた。
俺より三つか四つ、上の人だろうか?
資料には、その人の名前やプロフィールなどが事細かに書かれていた。
「なんでこれを俺に?」
「先程のお詫びとして、この情報をお渡ししようと思ったのです。私は歳の近い男性の方には知り合いが多く、その方にもある相談を持ち掛けられていました。――必ず、黒柳さんの役に立てると思います」
飛鳥さんが言う事が本当なら、この状況で渡された事からも、恐らくこの人が楓先輩のお見合い相手なのだろう。
そしてその相手からされたという相談内容は、何らかの理由で向こうもお見合いを断りたいと考えているが、断る事が出来ないと言った事ではないだろうか?
――だが、果たして信用していいのか?
この取引をするように言ってきたのは紫之宮社長だったとはいえ、あの時の話し合いでの駆け引きを実際にしていたのは飛鳥さんだし、周りに男好きだと思わせているが、それは相手を油断させるためだと言っていたのも本当だと思う。
なにせ、この屋敷に入ってからの飛鳥さんの執事への接し方が、話に聞いていた、色々な執事をとっかえひっかえして、過剰なスキンシップをしているという噂とは、明らかに違っていたからだ。
だから、この人が侮れない人だという事は間違いないのだ。
となれば、飛鳥さんがまだここで駆け引きをしてきている可能性を捨てきれない。
「やはり、信用は出来ませんか?」
俺の沈黙が、飛鳥さんに対する疑いだと察したのだろう。
残念そうにこちらを見ていた。
「流石に、すぐに信用するというのは……」
言い淀む俺に対して、飛鳥さんは首を横に振る。
「いえ、私が先ほどまでしていた事を考えれば、当然です。ですから、こちらの書類をお受け取り下さい」
俺は新たに渡された書類へと目を通す。
「なっ――!」
そこに書かれていた内容に驚き、俺は飛鳥さんの顔を見る。
飛鳥さんは笑顔で頷いた。
俺が渡された書類は――誓約書だった。
その内容はこうだ。
『黒柳龍様に渡した情報に嘘・偽りがあるもしくは、その情報をもとに彼を陥れる様な事をすれば、飛鳥鈴の生涯を黒柳龍に捧げる』
と、書かれており、しっかりサインまでされていた。
「流石に会社を私の一存でかける事は出来ませんので、私一人で我慢して頂く事にはなりますが」
そう言って、飛鳥さんはニコッと笑う。
「いやいやいや、本気ですか? こんな事で人生をささげるのですか?」
「ふふ、何も問題はありませんよ。先程黒柳さんがおっしゃられた通り、やましい気持ちさえなければ、なんともない事なのですから」
「いや、しかし――」
「これで信用していただけるでしょうか?」
いや、ここまでされれば信用しないわけにはいかないだろう。
しかし、普通ここまでするか?
「どうして、こんな誓約書を書いたりしたんですか? こんなもの、あなたにメリットが無いでしょう?」
俺が問いかけると、飛鳥さんは首を横に振る。
「いえ、こうする事により、黒柳さんからの信用を取り戻せるなら、私には十分なメリットです」
「俺からの信用を取り戻すため、ですか?」
「はい、ビジネスは信用が命です。なのに、私は愚行により黒柳さんからの信用を失ってしまいました。しかし、やはり黒柳さんとここで縁を切るわけにはいかないと思ったのです。ですので、もし今後お互いにとってメリットのある取引があるとすれば、私として頂けるでしょうか?」
不安そうな表情で、飛鳥さんは俺の事を見つめてきた。
「思い切った事をしますね……。やはり、あなたは侮れない方です。こちらこそ、その際にはよろしくお願いします」
俺がそう言って右手を差し出すと、飛鳥さんは笑顔でその手を握ってくれた。
――ここに一つ、新たな信頼関係が生まれたのだ。
「あ、それとですね……本来黒柳さんとする予定だった取引内容の、黒柳さんにビジネスパートナーになってほしいというのは、紫之宮社長に言われたのではなく、私が考えたものなのです」
「どうしてそんな無茶苦茶な事を言ったのですか? 俺がビジネスパートナーとして機能するとすれば、下手すると大学を卒業して入社するまで……今から5年半くらいかかるかもしれなかったですのに」
「まぁ、元々はどうせ無駄になる取引なのだからって事もありましたが、あなたなら私が困って頼れば、社会人になっていなくても助けてくれる気がしたからです。私があなたを評価していたのは本当なのですよ? それに……あなたが敗れた際には、私があなたを拾って、自分の物にするつもりでしたので」
そう言って、飛鳥さんは可愛らしく舌を出した。
俺はそれに対して、苦笑いしてしまう。
やれやれ、この人は本当に侮れない人だ。
この人が紫之宮財閥に入らずに、飛鳥財閥をひきいて行くと言っている以上、お互いが敵対関係になる事もあるかもしれない。
しかし出来る事なら、この人とは手を取り合って有効な取引関係としてやっていきたいものだ。
少なくとも、敵に回すと厄介な相手なのは間違いない。
――それにしても、今日ここに来た事は大きかった。
春川さんがイメージキャラを引き受けてくれるという事に続いて、新たな有効なカードを手に入れるチャンスが出来た。
見合い自体は今回断ったとしても、新たな見合い相手をすぐ探してくるだろう。
しかし、今回の見合いの断り方次第では、俺の取引材料として有効なものとなる。
さらに言えば、楓先輩に会うチャンスにもなるだろう。
この二つのカードだけでも十分だと思いたいが、なんせ相手は日本屈指の大手財閥の社長。
会長の手助けを得られない今、あの社長を説得するには、最後にもう一押しとなるカードが欲しいところだ。
――俺は飛鳥さんから受け取った資料を手に、頭痛を我慢しながら、頼りになるあいつへと連絡するのだった――。







