39話「常識外の取引」
「りゅう、りゅう~! こわかったよ~!」
そう言って、加奈が俺に抱き着いてきた。
俺はその頭を撫でながら、加奈に謝る。
「ごめんな……。加奈が無事でよかったよ……」
「ひっく……ひっく……りゅう~!」
加奈は俺の胸で泣きじゃくる。
本当に今回は、加奈に辛い思いをさせてしまった。
その償いをする必要があるだろう。
「このみ」
俺が呼ぶと、このみは俯いたまま俺の横に歩いてきた。
俺はそんなこのみの頭に手を載せると、このみが俺の方を見上げてきた。
そのこのみに対して、俺は頷く。
すると、このみは決心したように一息吐く。
「うん……。桜井先輩、今回は本当に申し訳ありませんでした!」
そう言って、このみは頭を下げる。
加奈は俺の胸に顔を埋めたまま、このみの方を横目で見る。
「ぐす……なん、で……こんなこと、したの?」
「……先輩が……先輩が私から、お兄ちゃんとお姉ちゃんを奪おうとしたからです」
「わ、私、そんなことしようとしてないよ?」
「してたんです――! 実際にあなたは私から、お兄ちゃんとお姉ちゃんを奪っていたんです!」
加奈の返事に、このみが怒鳴った。
まだ、心の中で整理がついていないのかもしれない。
「このみ……」
俺がこのみの頭を撫でると、このみはバツが悪そうにまた俯いた。
「ごめんなさい……。私は先輩に犯罪行為をしてしまいました。本当にごめんなさい」
このみの謝罪に加奈は黙ってしまい、何か考え事をしているようだった。
やがて――ゆっくりと口を開いた。
「ううん、私が龍や夕美ちゃんに甘えてたせいで、このみちゃんにはお兄ちゃん達を盗られた様に見えたんだね。このみちゃんの気持ちを考えていなかった、私も悪いから……。今回私は無事だったから、気にしないでいいよ」
そう言って、加奈は笑顔をこのみに向けた。
本当は、加奈も思う所があるだろう。
そう簡単に許せることではないはずだ。
でも、ここでこのみの事を叱れば、このみの罰が増えてしまうから我慢してくれたんだろう。
俺は、腕の中で震えながらも笑顔を浮かべている加奈に、感謝をする。
「ありがとう……ござい……ます……」
このみは複雑な表情を浮かべながらも、目に涙を浮かべて礼を言う。
あっさりと許されたことに、何とも言えないと言った感じか……。
俺は後ろで腕を組んで立っている、花宮の事を見る。
花宮は俺に頷くと、部屋から出て行った。
そして――
「このみ!」
その声に、このみがビクっと体を震わせる。
「なんで――なんで……こんなことを……!」
花宮に連れてきてもらったのは、別室で待機していた夕美だった。
「お、お姉ちゃん……ごめんなさい……」
「謝って許される問題だと思っているの!? あなたは犯罪行為をしたのよ!?」
そう言って、夕美がこのみに詰め寄る。
そして両手をこのみの両肩へと載せて、このみを揺さぶった。
このみは涙を流しながらも、夕美にされるがままになっていた。
「夕美――その辺の話はもう済んだから」
俺が夕美に声を掛けると、夕美が俺の方を睨んできた。
「なんでそんなに冷静なのよ! 大切な妹がこんな事をしたのに、なんとも思わないわけ!?」
「そうじゃない、俺だって思うとこはある。だが、やってしまった事は仕方ない。これから償っていくしかないんだ」
「でも、自分がした事の重大さは教えないと――!」
「もう、このみは十分に理解している。それに、このみがこうなってしまったのは、俺の責任なんだ。だから、俺がこれからこのみの代わりに償っていくよ」
俺がそう言うと、夕美がため息をつく。
そして、困ったような笑顔を浮かべながら、俺を見た。
「それなら、保護者である私の責任でもあるわね。私もこのみの償いに付き合うわ」
「お姉ちゃん……許してくれるの……?」
このみが怯えながらも、夕美の顔を見る。
「巻き込まれた当の本人達が、あなたを許すと言っているんですもの。だったら、私が許さないわけにはいかないじゃない。だ・け・ど! このみもちゃんと償いはするのよ?」
そう言って、夕美はこのみの頭を撫でる。
俺も甘いと言われるが、夕美の方がこのみには甘いと思う……。
「はい……はい……!」
このみは涙を流しながらも、笑顔で何度も頷く。
「なに、この茶番劇……」
俺達の一連のやり取りを見ていて、花宮がそう呟いた。
――おい……茶番劇とか言うなよ……。
俺がジト目で見ている事に気付いた花宮は、俺に向けて舌を出す。
そんな花宮に苦笑いしてしまう。
はぁ……なんだか色々あったが、一番の問題である楓先輩の事について、策を考えなければならない。
一度約束を反故にしてしまった以上、最初に言われた通り、もう会う事でさえ難しいだろう。
花宮達には、会社ごと乗っ取るという手があるとは言ったが、本当にあれが上手くいくとは思えなかった。
前みたいにノーマークで居たのなら裏で動くことも簡単だったろうが、今は俺の動向について警戒されている可能性がある。
――やはり、何か決め手になるものがほしいな。
――ブー……ブー……。
俺のポケットに入っている、スマホが震え出した。
「悪い、ちょっと席外すわ」
「あ――」
俺が抱きしめている加奈を離すと、加奈から残念そうな声が漏れた。
だが、電話を無視するわけにはいかないため、俺は部屋を出る。
知らない番号であったため、警戒しながら俺は電話を取る。
「もしもし……?」
「もしもし黒柳さん? 飛鳥鈴にございます。御機嫌ようですわ」
飛鳥さん……?
なぜ、飛鳥さんが俺に電話を?
「これはこれは、飛鳥様。どうなさいましたか?」
俺は以前の執事口調で対応する。
「ふふふ、もうその様な芝居は宜しいですわ」
ふむ、やはりあの時に偽執事だとバレていたか……。
「そうですか、それで何か用ですか?」
俺は普通の敬語で話し出す。
「あら、タメ口で結構ですわよ?」
「いや、確か飛鳥さんは、紫之宮先輩と同い年でしたよね? 年上に流石に、タメ口で話すことは出来ませんよ」
「そうですか……残念ですね……」
飛鳥さんは、本当に残念そうな声を出した。
一体どういうつもりなのか?
前の一件があるため、俺はこの人の事を警戒していた。
「それで飛鳥さん、用件はなんですか?」
「実は明日、お会いしたいと思いまして」
「唐突ですね。明日ですか……」
明日は確か何も予定はなかったはずだが、楓先輩の事で策を考えたいからな……。
「お断りされても宜しいですが、後悔なさると思いますよ?」
俺はその言葉で、行くことを決めた。
何より、飛鳥さんのお母さんは飛鳥財閥という大手企業の財閥の社長だし、お父さんの方も副社長をされている。
何かヒントが見つかるかもしれない――。
俺はその後部屋へと戻り、加奈達と合流した。
ちなみにその夜の御飯は、一番疲れているはずの俺が、花宮にお願いされて作りました……。
2
翌日――俺は飛鳥さんの家に訪れていた。
流石というか……楓先輩の家ぐらいの大きいお屋敷だった。
紫之宮財閥ほどではないとはいえ、やはり飛鳥財閥も大手企業だと実感させられる。
というか、ここ最近の俺の知り合いは大物ばかりな気がする……。
俺が屋敷に近寄ると、守衛さんがこちらを見てきた。
「黒柳龍です。12時から飛鳥鈴さんと面会を約束させて頂いています」
俺がそう言うと、守衛の人はどこかに電話をかけて戻ってきた。
「ご確認がとれました。黒柳様、すぐに迎えの者が見えますので、少々お待ちを」
そう言って、守衛さんは頭を下げる。
5分ほどして、執事が見えた。
「黒柳様、お迎えにあがりました。お嬢様がお待ちになられておりますので、こちらへ」
俺は執事の後をついて歩いた。
屋敷の中を歩くと、屋敷の中に居る人間は執事ばかりだった。
やはり、飛鳥鈴という人間は男好きなのだろう……。
「こちらになります。お嬢様、黒柳様をお連れしました」
「入って下さい」
「失礼します」
俺がそう言って中にはいると、飛鳥さんが上品な笑顔をこちらに向けてくれた。
「よくぞお越しくださいました。さぁ、そちらにお座りください」
俺は飛鳥さんに言われるがまま、ソファに座る。
「それで、話というのは?」
「まぁまぁそう焦らずに、時間はたくさんあるのですから、まずはお食事にしましょう?」
そう言って、ニコッとこちらを見てくる。
なんだかやりづらいな……。
頭からペースを狂わされた気分だ。
「わかりました」
俺がそういうと、飛鳥さんはパンッパンッと手を叩く。
すると、すぐに執事が現れた。
「お食事をここに持って来てください」
「お嬢様……お食事は、食堂でお願いいたします」
「宜しいのです。今日は堅苦しい事は抜きにしたいので」
「ですが……」
まだ何か言い返そうとした執事に、飛鳥さんが笑顔を向ける。
「し、失礼しました! すぐにこちらへ持ってきます!」
執事は慌てて頭を下げると、部屋を出て行った。
……なんだ、今のは……?
俺が飛鳥さんに視線を向けると、ニコッと笑ってきた。
やはり、この人はつかめない。
大人しそうな顔をしているが、人は見た目によらないって言うしな……。
「どうでしょうか、黒柳さん? ウチのシェフの腕も、中々のものでしょう?」
そう言って、誇らしげに飛鳥さんはこちらを見る。
確かにかなり美味しいな……。
「はい、凄くおいしいです」
「でしょう? 紫之宮さんのとこのシェフにも負けてないと思いますよ?」
「はぁ、そうですね……」
この人は楓先輩と張り合おうとしているのか?
「そういえば黒柳さん、また何か色々とされているみたいですね?」
飛鳥さんは微笑んだまま、俺の顔を見る。
「飛鳥さんがその事を知っているという事は、もう手を打たれているという事ですね?」
俺の言葉に、飛鳥さんは笑って頷く。
「その通りです。あなたの策は、紫之宮社長によって既に詰んでいますわ。
でも、驚かないのですね?」
飛鳥さんは不思議そうに首を傾げていた。
俺の策が失敗してる事を告げると、驚くかと思っていたのだろうか?
「可能性としては考えていましたからね」
俺がそういうと、残念そうに飛鳥さんは溜息をついた。
「どうやら、私が初めて会った頃のあなたとは違うみたいですね。私が知らない間に、誰かにコテンパンに打ち負かされましたか?」
打ち負かされた……か……。
まぁ、確かにあれらは打ち負かされたと言えるだろう……。
楓先輩の心の強さは俺の想像を超えていたし、由紀さんには何度も心を動かされた。
挙句の果てに、このみには絶望に近い状態まで追いやられた。
今の俺は、前のように情報さえ手に入れていれば、全てを掌握できるとは思っていなかった。
「どうしてそう思われたのですか?」
「前の黒柳さんは、情報だけで相手の力量を図り、相手を甘く見てしまう節がありました。もちろん対面している際には、相手の行動を観察されている用ですが、予め得た情報によって、相手に対する警戒度が甘くなっていましたよね?」
なるほど、俺がこの人を観察していたように、この人も俺を観察していたというわけか。
しかし、たった一度しか会っていないのに、そこまでわかるものなのだろうか?
「何故、その事に気づかれたのですか?」
俺がそういうと、飛鳥さんはニコッとする。
「黒柳さんは、私の事をどういう人間だと思っていましたか?」
俺はその問いかけに詰まる。
正直に答えてしまっていいものか……?
「男好きの軽い女だと、考えていたのではないですか?」
「――っ!」
「ふふ、当たりでしたか?」
飛鳥さんは、俺の反応に満足そうに笑った。
「なぜ、私が男好きだと思われたのですか?」
「それは……次から次へと傍に居る男を変え、過剰なスキンシップもよく取ると聞いていたので……」
「つまり、情報に流されたという事ですよね? 何故、私がそのような事をしていると思いますか?」
「まさか、わざとそう見せていた?」
俺の返答に、飛鳥さんは頷いた。
「その通りです。相手に男好きの軽い女だと思わせておけば、相手は勝手に油断してくれます。そんな相手の寝首を掻く事は簡単なのですよ。そして、そういう相手は色仕掛けで近寄ってくるのです。だから、見分けるのも容易い。そう、黒柳さんが力生さんを私に送り込んできたようにね?」
なるほど、俺はハナからミスを冒していたわけか。
まんまと飛鳥さんの罠にはまって、警戒されたわけだ。
「こう見えて、私の体は清いままなのですよ?」
そう言って、聞いてもいない情報を教えてくれる。
相手を油断させるためにそう演じてはいても、大事な部分はきちんと守る、線引きが出来る人間だと言いたいのかもしれない。
「でも、残念です……。黒柳さんのその自信、私がへし折ってやろうと思っていましたのに……」
そんな事を、飛鳥さんは笑顔で言ってくる。
俺はその言葉に寒気がした。
この人に目をつけられていた理由は、そういうことだったのか……?
「まぁでも、成長されたというのは、こちらにとっても都合が良いですわ。黒柳さん、私と取引をしませんか?」
「取引ですか? 何故俺なんです? 俺よりも、紫之宮先輩の方が良いでしょう?」
俺がそういうと、飛鳥さんは首を横に振る。
「失礼ながら、紫之宮さんには取引相手としての価値がありませんので」
俺はその言葉にイラっときた。
「どういうことですか?」
「嫌ですわ……そんな怖い顔をしないでくださいまし。彼女は今まで、何も考えずに言われるがままに生きてきたんでしょうね。とても、紫之宮家を導ける器だとは思えません」
「そうでしょうか? 彼女は抗う事を覚え、成長し始めています。今の彼女だけで判断するのは、痛い目を見ると思いますよ?」
「ふふ、それは黒柳さんがいるからこそ……でしょ?」
「何が言いたいんです?」
「みなまで言わなくても、理解されているのでしょう? このままでは、紫之宮さんの傍からあなたはいなくなる。そうなれば、彼女に価値はないと考えているのですよ」
なるほど、そこまで知っているわけか……。
いや、知っているというより、得た情報でそこまで推測しているという事か。
多分彼女が持っている情報は、楓先輩が軟禁されて、見合いをさせられるといった具合のものだろう。
「楓先輩は頭が良いです。彼女なら、紫之宮家をしっかり導けますよ」
「本当にそうなのでしょうか? この前の話し合いの時、あの場を支配していたのは彼女ではなく、あなたじゃないですか。それに私が仕掛けた駆け引きに、おろかにも感情で対応し、尚且つ代替案を提示できなかった。むしろあの時、咄嗟に黒柳さんが考えた案に対して、一瞬で損得を把握し答えを出した花宮さんこそ、紫之宮財閥を導くに相応しいと思いますよ?」
そこまで試されていたというわけか……。
歳が一つしか違わないのに、何故この人はここまで駆け引きなれしているのか?
「ならば質問を変えましょう。何故、そこまで評価している花宮に交渉に行かないのですか? 俺はこれから先も権力を持ちませんが、花宮なら大きな権力を持つ可能性もあります」
俺がそういうと、飛鳥さんはまた首を横に振る。
「私が一番評価しているのは、あなただからですよ」
「ですが、俺はあなたから見れば甘いのでしょう?」
「それは経験が足りないからです。まぁ、普通の学園生がそんな経験を持つという方が変なのですが……。でも、あなたは普通の学園生なのに、そこまで頭がキレる。ならば経験を積めば、あなたは底知れない存在へとなる可能性があるのです」
「まるで自分は普通の学園生ではない、みたいな言い方ですね」
「まぁ、私は幼い頃から親の方針で、そういう環境に身を投じてきましたからね」
へぇ……だから、勝負事や駆け引きになれているわけか。
若くしてそういう経験が積めるというのは、確かにプラス要素だろう。
だが下手すれば、身も心もボロボロになってしまうような方針だな……。
「私としてはあなたにこのまま退かれると、紫之宮財閥から返して頂く恩に期待できないのと、あなたというビジネスパートナーを得るチャンスを失う事になります。そんな事、ミスミス放っておくわけにはいきませんよね? だから黒柳さん――今回私はあなたに協力してさしあげますので、あなたは私のビジネスパートナーになって頂きます」
「は……?」
唐突に告げられた取引内容。
その内容はまだ学生の俺にとって――いや、普通に世間からして、ありえない内容だった。







