30話「夜の密会」
「――ねぇ、今日泊っていかない?」
「え?」
日課の紫之宮先輩の家で食事をしていると、いきなり家に泊まるように先輩から誘われた。
急な展開に、先輩の後ろに控える由紀さんを見る。
その由紀さんと言えばら小さくガッツポーズをしていた。
いや……そこは止めるのがあなたの役目なのでは……?
「明日は学校も休みだし、丁度良いと思うの。ねぇ、どうかな? どうせ暇なんでしょ?」
俺が返事をしないからか、先輩がまくしたてる様に言ってきた。
困ったな……流石にこれは予想してなかったぞ……。
「えっと、泊るのはちょっと……」
俺はそう言いながらチラッと先輩の顔を見ると、凄く落ち込んだ表情をしていた。
ちょっと悪い気がするが、帰らないと加奈に何を言われるかわからない。
それに薬がきれた時、頭痛に苦しむ姿を見られるのはまずい。
そんな事を考えていると――不意に背筋が凍る感覚がした。
俺は恐る恐る振り返ってみると、そこには笑顔を浮かべている由紀さんがいた。
この人……いつの間に移動したんだ?
「――龍様、どうやら肩がこっているようですね。私が揉んであげます」
「え?」
由紀さんは笑顔でそう言うと、急に俺の肩をもみ始めた。
「ちょっ――イタイイタイイタイ! 由紀さん! 力緩めて! 痛いです!」
「これはいけませんね……。龍様、どうやらかなり疲れてらっしゃいますので、お泊りになられたほうがいいですよ?」
由紀さんはそう言って、力を緩めるどころかさらに力を加えてくる。
「わ、わかりました! とめさせていただきます! だから、手を離して!」
俺がそう言うと、由紀さんはニコッとして離れていった。
あの人……力づくで用件を通していきやがった……。
「じゃあ、今から黒柳君の泊まる部屋を準備させるから、ちょっと待っててね」
なんとなくだが――部屋を出ていった紫之宮先輩の声が、弾んでいた気がした。
それはさておき、加奈になんて言い訳しようか……。
俺はスマホを取り出し、加奈にレーンを送る
『ごめん、今日ちょっと用事が出来て帰れなくなった』
――メッセージを送ってすぐ既読がついた。
だが、中々メッセージが返ってこない。
いつも加奈の返事が早い分、こうやって中々返事がこないとちょっと怖かった……。
2
――ピローン♪
30分ほどたった頃――通知音がなったため、スマホに目を落とすと――
『夕美ちゃんの家に泊まるからいいよ』
と、返信が来た。
そっか……夕美の家に泊まるなら安心かな。
でも、別に一緒に住んでいるわけでもないのに、俺が帰らないからって夕美の家に泊まりに行くだなんて、とんだ寂しがり屋だな。
俺は子供っぽい加奈に、頬が緩みそうになったが――。
……いや――違う!
これはまずい――!
俺は慌てて加奈に電話をかける。
だが――時すでに遅かったようだ……。
「――はい、もしもし」
電話から聞こえる声に、俺は自分の背中に冷や汗が流れるのを感じた。
電話に出たのは加奈ではなく、夕美だったのだ。
「えっと……なんで夕美が出たのかな?」
俺はおそるおそる尋ねる。
「ふふ、なんででしょう?」
「わかりません……」
「龍、正直にいいなさい。あなたどこに泊まる気なのかしら?」
「えっと……」
「紫之宮先輩のところでしょ?」
「はい……」
「次会った時おぼえてなさい」
ブチッ――。
プーッ……プーッ……――。
無慈悲に鳴る機械音だけが、俺の耳に入ってくる。
加奈の電話に夕美が出た理由は、明白だろう。
俺が紫之宮先輩の家に行っている事を、加奈は知っていた。
その俺が泊まるなんて言ったら、誰の家に泊まるかなんて誰にでもわかる。
その事に対して、加奈が怒っているのは間違いない。
異性の家に泊まる事が許せないと言った感じだろうか。
だから、夕美にチクったのだろう。
多分、拗ねている加奈が電話に出ようとしないため、夕美が代わりに出たんだと思う。
加奈と夕美の仲が良くなる事は嬉しい事だが、これからは何かあればすぐ、加奈の口から夕美の耳へ届く事になるだろうな……。
それはとても厄介な事になりそうだ……。
それからは――由紀さんに導かれるままに部屋に入り、俺はベッドに寝転がった。
用意されたベッドは凄いフワフワで、眠気を誘われる。
だが、俺はまだ寝るわけにはいかない。
俺の読みでは、今日先輩から相談をしてもらえるはずだ。
逆に今日を逃せば、次のチャンスはなかなか来ないかもしれない。
――それから結構な時間がたったが、先輩が現れることはなかった。
今日はもうあきらめるしかないか……。
俺は仕方なく目を閉じ、眠りに入るのだった――。
3
――ゴソゴソ……。
ん……?
どうやら、物音により目が覚めてしまったようだ……。
俺は物音の正体を確かめようとして、背中に何かが触れている事に気が付く。
「おきた……?」
その声に、俺の体は強張ってしまった。
声の正体は紫之宮先輩だ。
つまり――背中に感じるこの感触は、紫之宮先輩なのだ。
「せ、先輩……?」
「だめ、こっち向いたらやだ」
俺が振り向こうとすると、先輩が俺の背中により体を押し付けてきた。
そうすると、必然的に、背中に押し付けられている柔らかい感触が強くなるのだが……。
だ、だめだ……。
こんなことを考えていたら、折角来てくれた先輩に嫌われてしまう……。
とりあえず俺は自分を落ち着かせるために、深呼吸をした。
「――それで、どうしたんですか?」
まだ胸がドキドキしているが、俺は先輩に声を掛ける。
「そのね、相談したい事があるの」
「なんでしょうか?」
「えっとね、その、ね……
なんだか先輩は、すごく言い淀んでいる。
――どうやら今の先輩は、可愛い性格の方が出ている様だ。
それは顔が見えない暗闇だからなのか、夜遅い時間で眠気が混ざっているからなのか、それとも――俺に心から向き合ってくれているという事なのか……。
「先輩、ゆっくりでいいので、落ち着いて話してください」
「ありがとう……。――ねぇ、私が今、後継者争いをしているって言ったら、信じてくれる?」
「……それは驚きですね……。まだそんなのは、早いと思っていました……」
俺は先輩にそう答えたが、今先輩に言っている事は当然嘘だ。
先輩が全て話してくれるまで、俺は知らないふりを続ける。
その後は――先輩が後継者問題について説明してくれた。
ほとんどは俺が知っている事だったが、紫之宮先輩の気持ちは初めてここできちんと聞く。
全てを話し終えた先輩は、心細いのか俺の体をギュッと抱きしめてきた。
俺はその行動に、反応を示さないように我慢した。
そして、ゆっくりと先輩に話しかける。
「結局のところ、先輩はどうしたいのですか?」
「私は……」
「今、先輩は辛いですか?」
「うん……辛い……」
「それなら――」
俺は優しく先輩の腕をほどき、先輩の方を向きなおした。
そして、今度は俺が先輩の体を抱きしめる。
先に先輩からしてきた事だから、大丈夫だろう。
……まぁ、腕の中の先輩は驚きと戸惑いで、体が硬直してしまっているが……。
俺は優しく先輩の頭を撫でて、幼い子をあやすような感じで、先輩に話し掛ける。
「辛いのが嫌なら、逃げてもいいと思いますよ?」
「え……?」
「後継者の問題は、愛さんともう一人の後継者に任せるんですよ。そして、先輩は愛さんのバックアップをしてあげればいいです。元々、愛さんが長女なんですし、無理して紫之宮先輩が後継者になる必要なんてないんですよ」
「それは……」
「紫之宮先輩、今までいっぱい頑張ってきたんでしょ? もう楽になって良いと思いますよ」
俺が笑顔でそう話しかけると、先輩が上目づかいでこちらを見てくる。
「本当に……そう思う……?」
「ええ、それに愛さんなら、紫之宮先輩が嫌がってるって伝えたら、きっと引き受けてくれますよ」
「うん……お姉ちゃんは優しいから……」
そう言って先輩は、俺の胸に顔を埋めるようにしてきた。
そして甘えるように、グリグリと顔を押し付けてくる。
俺はそんな先輩の事を、ジッと見つめる。
この人はこのまま俺の誘いにつられて逃げを選ぶのか――それとも悪魔の誘いを振り切って運命に立ち向かうのか――ここが分かれ目だ。
もし逃げを選ぶのなら――。
「さぁ、どうします先輩? 先輩が望むなら、俺はいつでも手を貸しますよ?」
「うん……それなら龍君、私に手を貸して……」
……今、龍君って呼んだか……?
いや、それよりも先輩の選んだ道は逃げの道か……。
「でも――それは後継者から抜けるためじゃない。私が、後継者になるために力を貸してほしいの。今ここで逃げたらきっともっと辛くなると思う。それにお姉ちゃんは後継者になることを望んでない。それなら私が後継者になって、私の思う様に紫之宮を変えて見せる」
「――っ!」
俺は先輩の返事に、自然と笑顔になった。
「そうですか、それがあなたの答えですね?」
「うん、これが私の答え。あなたの望んでいた道とは違うかもしれない……。それでも龍君は手を貸してくれる?」
先輩は目をうるわせながら、俺の目を見つめてきた。
俺に断られる事を、恐れているのかもしれない……。
それなら――
「もちろんですよ。さっき俺は言ったでしょ? あなたが望むのならいつでも手を貸すと。だから――一緒に頑張りましょう、楓先輩」
俺は安心してもらえるよう、笑顔でそう答えた。
「ありがとう……」
そう言って、楓先輩は嬉しそうに、より強く抱き着いてきた。
俺はそんな先輩が可愛くて、また優しく頭を撫でる。
先輩はくすぐったそうに目を細めながらも、もっと撫でろと言わんばかりに、頭を押し付けてきた。
俺もそれに答えるように頭を撫で続けながら、くすぐったそうに身をよじってる先輩の事を見つめる。
「――楓先輩、会ってもらいたい人達が居ます。彼女達を味方にできるかどうかは、楓先輩にかかっています。お願いできますか?」
俺の問いかけに、楓先輩はコクリと頷いた。
そして俺は、これからの流れを詳しく先輩に説明する。
先輩は驚いた表情をしながらも、大人しく話を聞いてくれた。
それからは――先輩が眠りにつくまで、二人で他愛の無いことを話し続けるのだった――。
――やっとこれで全てのピースが揃った。
さぁ――俺にとって最後となる、悩み相談委員の活動を始めようか――。







