27話「妹の罠」
「くっ……はぁ……はぁ……くす……り……」
ズキズキと痛む頭を押さえながら、鞄から薬を探す。
俺はまだ日が昇りきっていない時間帯なのに、頭痛により目が覚めてしまった。
頭痛が起きるたびに、医者の言葉が頭をよぎる。
「――おそらく一年持たないでしょう……。かなり進行が進んでしまっているようです。発見が遅すぎました……。手術で治せる可能性はありますが……日本では認められていないのでアメリカでの手術となり、保険がきかないため、費用がおそらく1億円近くかかるでしょう。しかも、成功率が40%と言われている難しい手術で、成功すれば完全に治りますが、失敗すれば――命を落とします」
――最近頭痛がひどいからという事で病院に行った俺に、医者は深刻な顔をしてそう告げた。
正直、ただの生まれ持ちの片頭痛だと思っていた俺は、かなりのショックを受けた。
加奈達に心配を掛けたくなくて、夜遅くにも見てもらえる大きい病院に行ったのだが……片頭痛だって診断されて安心するつもりが、まさか余命を告げられる事になろうとは……。
それからは夜中に定期的に見てもらい、症状の進行と頭痛を抑える薬を飲み続けていた。
正直――俺はもう生きる事を諦めている。
命が惜しくないと言えば嘘になるが、手術代もなければ、成功率の低い手術を受ける覚悟もなかった。
いや……手術代だけならば、一億とはいえ、一生をかけて返す代わりに、紫之宮先輩か愛さんなら貸してくれたかもしれない。
由紀さんにも『複数社の社長を務める愛お嬢様なら、絶対お金を貸してくださいますので、相談すべきです』と、言われた。
だが――俺はその誘いを断った。
お金を借りる後ろめたさ以上に、手術をして失敗した時の事が怖かったのだ。
もし失敗すれば、俺にはお金を返す事すら出来なくなる。
そうなれば、必然借金はこのみにいってしまうだろう。
そんなことになるくらいなら、俺は死ぬ事を選ぶ。
現在ある借金も、このみが負担しなくて済むように、紫之宮先輩の件が片付いたらチャラにしてもらうように交渉した。
今は水沢家がこのみを引き取ってくれているから、俺がいなくなっても、借金さえなければなにも心配いらないだろう――。
結局――薬が効くまで眠ることが出来なかった俺は、倒れるように布団に転がるのだった。
2
「りゅう~おはよう~!」
朝になると、加奈が元気よくドアの鍵を開けて入ってきた。
俺と加奈は家の予備キーをお互い交換している為、好きにお互いの部屋を行き来する事が出来る。
「おはよう、加奈。ちょうどご飯が出来たから、食べようか」
「うん! あ、運ぶの手伝うよ!」
そう言って加奈は、俺の手から皿を受け取る。
テーブルの上におかずを並べ終えると、二人して手を合わせて『いただきます』をした。
「うん、いつ食べても龍の料理はおいしいね」
加奈は幸せそうな表情を浮かべながら、おかずを口に運んでいる。
――そんな加奈を見ていると、ふと思ってしまう。
この子は俺が居なくなっても、大丈夫なのだろうか?
まぁいざとなったら、海外に住んでいるご両親のもとに行くという手段もある。
ただ、もうこの笑顔が見られなくなるんだなと思うと、胸が締め付けられる感じがした。
「そういえば龍、頼まれてた女の子と大分仲良くなったよ。今度一緒に遊びに行くんだけど、龍も来る?」
突如、経過報告も兼ねて、加奈が俺を遊びに誘ってくれた。
おそらくは、そのタイミングで俺を紹介してくれようとしているのだろう。
だが、まだその段階に入る必要はない。
「いや――俺はまだ会わない方がいいだろう。時が来たら言うから、その時は会わせてもらえるかな?」
「オッケー。その時は私がどうにかしてあげる!」
加奈はそういうと胸の前で小さく、両手でガッツポーズをする。
「頼りにしているよ」
俺はそんな加奈に笑顔を向ける。
折角の誘いだが、まだこちらの準備が整っていない状態で会うわけにはいかない。
しかし――流石のコミュ力だな。
もう遊びに行けるほど仲良くなっていたとは……。
このコミュ力があれば、ご両親のもとにいかなくても大丈夫な気がする。
なにより、夕美が居るしな。
あいつなら加奈の面倒を見てくれると思う。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。それじゃあ、食器洗って学校行こうか」
そう言って俺は立ち上がろうとする。
すると――立ち眩みがしてしまい、机に手をついた。
「龍!? 大丈夫!?」
加奈はすぐ駆け寄ってきた。
「大丈夫だ……ちょっと立ち眩みしただけなんだ。夜更かししたせいで、睡眠不足なんだろう」
俺はそう言って自分で立ち上がる。
「本当に大丈夫? 龍が夜更かしなんて珍しいよね……今回の依頼の事で考え事をしてたって事?」
加奈は心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「そうなんだ。ちょっとこれからの事を考えていたら、いつの間にか大分遅い時間になっていたんだ」
本当は頭痛のせいで寝られなかったのだが、加奈に言って心配させるわけにはいかない。
「今日はゆっくり学校に行こうよ」
加奈は俺の体を気遣ってそう提案してくれたのだった。
3
二人でゆっくり歩き、無事校門の前まで来ると――1人の女子生徒が校門を背に立っていた。
その少女はこちらに気づくと、優雅な動作で近寄ってきた。
「――おはよう黒柳君。それに桜井さん」
「おはようございます紫之宮先輩」
「お、おはようございます紫之宮先輩!」
先に挨拶をしてもらったので、俺もすぐに挨拶を返す。
加奈も続けてあいさつしたが、なぜか慌てていたし、大声だった。
先輩は挨拶を交わすと、校門の中へと入っていった。
――もしかして、挨拶のためだけに待っていてくれたのだろうか?
だが、今はそれよりもちょっと気になることがあった。
「何をそんなに焦っているたんだ、加奈?」
俺は隣にいる、加奈を見る。
「だってぇ……紫之宮先輩ってあいかわらず怖いんだもん……」
……そういえば、前々から紫之宮先輩の事を怖がっていたな。
最近は結構会っているから慣れたかと思ったんだが、前もって会う事がわかっている時ならともかく、いきなり会うとそうでもなかったらしい。
「でも、あれって待っててくれたんだよね?」
「みたいだな」
「ふ~ん……随分仲がよろしいようで……」
そう言って加奈は頬を膨らませる。
ここ最近何も言ってこなかったが、やはり俺が毎日紫之宮先輩の家に通っている事は不満だったらしい。
「どうせ今日も行くんでしょ?」
「そうだな」
「ふ~ん……」
加奈は下を向いてしまった。
最近ずっと我慢させてしまっているし、今日くらいは先輩のとこはいかずに加奈の相手をした方が良いか……。
「やっぱり今日は先輩のとこ行かないよ。バイトが終わったら一緒にスーパーにいかないか?」
俺がそう言うと、加奈は嬉しそうに俺の方を見上げる。
だが、すぐに申し訳なさそうな表情になった。
「……いいの? 先輩のところに行かないといけないんだったら、私は大丈夫だよ?」
やっぱりこの子はいい子だ。
自分が寂しくても、俺が本当に困るようなら、感情を押し殺そうとしてくれる。
だから、この子にはきちんと気を使ってあげないと、傷つけてしまっても気づけないだろう。
「大丈夫だよ。今日は加奈の大好物のオムライスを作ってあげるよ」
「本当!? やったー!」
加奈は嬉しそうに、ショートツインテールをピョンピョン跳ねさせる。
そんな加奈を見て俺の心は癒されていた。
だが――
「おい、見ろよ。あいつまた、別の女子とイチャイチャしてるぞ」
「ほんっとサイテーよね。女の敵って感じ」
周りの生徒が、俺の悪口を言っているのが聞こえてきた。
それに対して、加奈は不満そうな顔をする。
相変わらず俺の学校での評判は最悪のようだった――。
4
昼休み――一年生の生徒二人が教室を訪ねてきた。
「あの、お兄ちゃん居ますか?」
一年生の片方の女子がクラスの一人に尋ねている。
「わぁ、君可愛いね。お兄ちゃんって苗字なんていうのかな?」
一年生の相手をしているクラスの女子は、笑顔で聞き返す。
「あ、黒柳です」
「え、黒柳君の妹だったの!? うわ~、黒柳君ってこんな可愛い妹が居たんだ……。ちょっと待っててね」
女子生徒はそう言うと、こちらに駆け寄ってきた。
「――黒柳君、可愛い妹ちゃんがお迎えに来たよ」
「妹?」
俺は教室の扉のところを見る。
そこには、このみとももちゃんが立てっていた。
「ありがとう、すぐ行くよ」
俺はクラスの女子にお礼を言うと、このみ達のところに行った。
「どうしたんだ?」
「お兄ちゃんと一緒にご飯を食べたいと思ってきたんだよ」
そう言ってこのみは満面の笑みを、俺の方に向けてくる。
「俺は良いけど、ももちゃんは良いのか?」
俺はそう言って、ももちゃんの方を見る。
「黒柳先輩なら大丈夫ですよ!」
「でも、今俺の評判悪いだろ? 一緒にいたら何か言われるぞ?」
「心配いりません! 黒柳先輩が良い人だって事は、私が良く理解しています! 何も知らない人たちが、面白半分で流す噂なんてほっとけばいいのです!」
ももちゃんは俺を励ますように、そう言ってくれた。
正直――ここでこのみ達とご飯を食べるという事は、噂に悪影響を与えてしまうのだが、折角来てくれた妹と後輩の誘いは断りづらい。
結局俺は、二人と一緒に食べる事にした。
しかし、さっきからこのみ達が繋ぎあっている手が気になった。
「随分仲が良いね?」
俺がそう声を掛けると、このみは嬉しそうにももちゃんに抱き着く。
「私モモちゃんの事大好きだもん!」
「えへへ、私もだよ!」
ももちゃんもこのみに、抱き着き返していた。
これはどう捉えたらいいんだ……?
やはりこの二人は付き合っているのか?
――俺は迷った結果、屋上についたら聞いてみようと思うのだった。
5
「二人は友達として好きなのか? それとも別の意味での好きなのかな?」
「私たちは真剣に付き合っています!」
俺の質問にももちゃんが即答する。
「そ……そっか……」
俺はももちゃんの迫力に気圧されて、一歩後ずさる。
「お兄ちゃんは私達の事反対かな……?」
そう言って、このみは心配そうに俺の顔色を窺う。
俺はそれに溜息をついた。
このことについて、俺はずっと悩ませていた。
そして、1つの答えを出していたのだ。
「正直言えば、俺は二人にはきちんと彼氏を作ってほしい。せっかく二人とも可愛い容姿をしているわけだし……」
俺の言葉に二人は息を飲む。
「でもな、二人が本当にお互いを好きなら、俺はそれで良いと思うんだ。好きな人と一緒に居られるってのが、一番幸せだと思うから」
――これは由紀さんの受け売りだった。
俺はその考えに共感しただけだ。
俺の言葉を聞いた二人は、お互い顔を見合わせ、凄く嬉しそうな顔をする。
「ありがとう、お兄ちゃん大好き!」
そう言ってこのみが抱き着いてきた。
「私も先輩の事好きです!!」
感極まったももちゃんまでもが、抱き着いてきた。
ただ、この状況はまずい、離れた所に居る生徒たちがこっちを白い眼で見ているのだ。
主に俺の事だけだろうが……。
このままだと、噂がさらにひどいことになる……。
「まったまった、二人とも離れて!」
「やだー!」
「そうです、ヤなのです!」
俺の言葉に二人は離れるどころか、余計ぎゅっとしがみついてきた。
ハハ――これはもう終わったな……。
俺は心の中で諦めた。
その後もテンションがマックスになっている二人に『あ~ん』をさせられたり、逆にされたりして、さらに周りから白い眼で見られたのだった。
感覚的には妹が二人になった感じなのだが、周りから見れば、また新しい女に手を出していると見えたことだろう……。
しかし、満面の笑みで甘えてくる二人を、無理に拒む事なんて出来ない。
……それに、やはりあんな笑みを浮かべるこのみが、俺を裏切っているとは思えなかった。
結局――花宮の考えすぎだったのだろうと、俺は結論づけた。
俺に見えない様にして、顔を歪めて笑っているこのみの顔に、気づきもせずに――。







