第31話 暖かな光
クリストハルトは、どうやら未知の経路を通じて逃亡を図ったようで、その姿は屋敷の敷地内はおろか、ザールシュテットの町にすら無く、その消息を今すぐに掴むことは限りなく不可能に近い状態であったため、時間的な余裕が無い私たちにとって、これ以上の追跡は泣く泣く断念せざるを得なかった。
個人的には、最も逃してはならない輩に然るべき裁きも受けさせられず、見す見す野に解き放なってしまったという、非常に悔いが残る結果になってしまったものの、これでザールシュテットには一応の平穏が戻ることになった。
これからこの地は、其処を本来治めるべきだった者――オスヴァルト伯によって、正しい方向に導かれていくはず。彼は光を失っているとはいえ、ほんの少しの間話しただけでも、その聡明さや思慮の深さは十分に伝わって来た。故にこれ以上私たちが介入をしなくても、あとの諸事はきっと彼が上手くやっていくに違いない。
私も逃亡者に近い状態である以上、ここに長く留まっているわけにはいかない。
しかし先の化物によって被った身体の損傷が、思いのほか大きかったようで。
ある種の興奮状態から醒めた今、痛覚がその深刻さを如実に物語っていた。
「あぁ……お二人共! 無事に戻られて……おかえりなさい!」
「あら、レイラ。まだ起きていたのね。ただいま、戻ったわ」
「お二人が命を懸けているという時に、自分だけ寝てなんていられませんよ……それよりエミーリアさん、お顔の色がどうにも優れないようですが」
「それが……私とエミリーは、屋敷の地下で異様な獣と一戦を交えることになって。相手の撃破には何とか成功したものの、エミリーはその戦いの最中、左脇腹に極めて強い衝撃を受けて、どうやら身体の中を酷く傷めてしまったようなのです」
いかに魔素で身体を強靭なものにしていたとはいえ、横から襲われた時は、高速で飛来した鋳鉄の砲丸をその身に受けたにも等しいほどの苛烈な衝撃を感じた。仮に生身であったなら、その内部は悉く挫滅していたに違いない。
「何、こんなもの自己治癒力で何とかなるわ……あのコロナから貰った、琥珀糖だったかしら? あれもあるから、魔素を多く補給しながら治癒力を高めれば、きっとすぐに治せるはずよ」
「あの……エミーリアさん、ちょっとそちらのベッドに横になって、怪我したところを見せてもらってもいいですか?」
「ええ、それは別に構わないけれど……これでどう、かしら」
「えっ、エミリー! まさかこんな酷い状態で……あんな戦い方を」
正直に言ってこの目で見るまでは、自分でもこれほどだとは思わなかった。
黒ずんだ紫に変色した受傷部位を見ただけでも、内出血をしているのが判る。
腫脹もある以上、やはり肋骨の何本かにひびが入ってしまったのかもしれない。
「はは……これは確かに、思っていた以上だわ……いっ! たたた……」
「もう、笑っている場合じゃないでしょう……これはしばらくここに滞在するしかなさそうですね。いかに治癒力を高めても、一日や二日で治るものじゃ――」
「待ってください。私の力が、役に立つかも知れません」
「ん……レイラ、あなたの力って……?」
負傷した脇腹に宛がわれたレイラの両手から、突如として若葉から滴る雫の煌きにも似た輝きが宿り、それが粒状の光となって私の身体へと沁み込んでいく。
そして間もなく柔らかい熱のようなものがそこから全身へと伝播し、激しい痛みまでをも優しく包み込んで、緩やかに溶かしてゆくかの如き不思議な感覚を得た。
「これはまさか、治癒術……?」
「私には、妖魔の血が流れていながら、自分の身を護るだけの強い力はありませんでした。でも、誰かの傷を癒してあげることぐらいなら、小さい頃から出来て」
「すごい……あんなに酷かったエミリーの怪我が、見る見るうちに……」
ものの数分も経たない内に、つい先ほどまで騒がしく伝わって来ていた痛みが嘘のように消失し、腫れが引いて肌の色味も随分と良くなったように見える。
それに、受傷した場所の奥底にずっとあった妙な重みもまた、今ではもう全く感じられない。
「レイラ……私、あなたがこんな素晴らしい力を持っていただなんて、全く気が付かなかったわ」
「素晴らしいだなんて、そんな……私はお二人ほど強くはありませんし、そのままでは普通の人間にすら捕まってしまうような、どうしようもない半妖で」
「でも、あなたのその力のおかげで、私はまた元気を取り戻すことが出来たわ。本当にありがとう、レイラ」
「エミーリアさんたちには、まだ何もお礼が出来てなかったから、こんな力でもそのお役に立てたのだとしたら、それはとっても嬉しい、です……。あ……」
「おっと……!」
――今の治癒術を使うにあたって、レイラはかなりの力を使ったようね。
本来ならかなりの時間を要したはずの怪我を、あれだけの短時間で治してみせたのだから、無理もないわ。
「すみません……思った以上に、力を使ってしまった、ようで」
「全く構わないわ。時間ももう遅いし、このベッドはレイラ、あなたがこのまま使って頂戴」
「ごめん、なさい……今は、そのお言葉に、甘え……て……」
とても暖かな光だった。まるで太陽が微笑んでいるような。
それは、誰かを傷つけるものではなく、誰かを癒すための力。
魔導と魔現を併せても足りない、奇跡の才能なのかもしれない。




