第9話 賽は投げられた
「なるほど……天幕が幾つもありますが、先程叩きのめした連中はここで野営をしていたようですね」
――設営された複数の天幕に篝火の灯り。
どうやらここが、男の言っていた場所であるようね。
「そのようね。ここからなら、私がレナに案内してもらった湧水泉にも近いから、色々と準備が出来たことでしょう。確か実験のあとでリゼたちも飲んでいたわよね、あのとっても澄んだお水を」
「はい、元々水筒に入れてあったお水より断然おいしかったですよ。全く、町の水を毒で汚しておいて、自分たちはあんな綺麗な水を使っていたとは……何て不届きな輩でしょうか。メル、早くその薬売りとやらにきついお灸を据えてやりましょう」
「ええ。けどリゼ、油断は大敵よ。追い詰められた鼠は、時に何をしでかすか判らないものだから」
「ん、それって確か窮鼠猫を噛むってやつですよね……あれ、それじゃあ私たちは猫ってことですか?」
「ふ……馬鹿なことを言っていないで、集中して行くわよ」
***
――大きな天幕が左右に二つずつ、焚火の跡を囲むように並んでいて、さらにその奥にもう一つ、内側から灯りが漏れている小さな天幕がある……恐らく薬売りは、あそこの中ね。後ろ側はリゼが押さえに行ったから、まさに袋の鼠だわ。
でもせっかくだから、こう呼びかけてあげましょうか。
「こんばんは。お薬を一つ、頂けるかしら?」
天幕の中に浮かび上がったシルエットが人の形を成して、こちらへと近づいてくるのが判る。決して油断をしてはならない。
「おや……どなたかと思えば、昼間にお会いしたお嬢さんではないですか。よく私がここに居ると、お分かりになりましたね」
「ええ。あなたのお仲間から、色々と話を聞いたからね」
「……そうですか。となると、あいつらは返り討ちにあったわけですな。本当、使えない奴らだ」
――この男の、妙に落ち着き払った態度は、一体何だというの?
孤立無援であるというのに、冷静さを保っていられる理由が読めない。
「それにしてもお嬢さん……あなた、見かけによらず、随分と腕の立つ御仁のようだ。どうです? これから私と一緒に組んで、一儲けしてみませんか?」
――よくもまぁ、いけしゃあしゃあと。
こんな時でさえも、金の話をするとは。
どうやらこの男、只者ではないようね。
「せっかくのお話だけれど、遠慮しておくわ。生憎、悪党が嫌いなものでね」
「いい話だと思うのですが……そうとあれば、致し方ありませんな」
――気配が、変わった?
いや、この身に感じる寒気には、覚えがある。
「グゥあああアぁアアア……!」
七年前、お母様たちの命を奪った奴が纏っていたものと同じ気配。
忘れたことなど一度もない、怖気にも似たこの感触――妖気。
「どうりで……あんなに泰然自若としていられたわけね」
まるで獣の如く、全身を覆い尽くす剛毛。
異様なまでに筋骨隆々とした容貌魁偉な姿。
そして烈しくありながら、何処か冷たい眼光。
眼前に屹立するこの人外は、紛う方なき……妖魔。
醜く伸びた鋭利な牙爪は、人のそれでは決してない。
「コノ姿を見らレテしまッタ以上、生キテは返さンぞ」
「――っ!」
――ほんの一瞬でも反応が遅れていれば、私の体など千々に裂かれていた。
あの、地面に残る穿たれた爪跡を見れば、誰もが首を縦に振るでしょう。
そしてこの極めて不安定な体勢から私が執るべき、最善の手は――
「飛旋鷲爪脚!」
「ぐぶっ!」
――ふふ、この頃合いでやって来るとは、さすがリゼね。
あなたの蹴り、相手の首根の辺りを確実に捉えていたわよ。
あの巨躯を、向こうの木々にまで飛ばすとは望外だったけれど。
「申し訳ありませんメル……判断が半歩、遅れてしまいました」
「いいえ、むしろ良い判断だったわ。それに、あれだけあなたに油断するなと言っておいた私が、今の初撃を受けていたら笑えないわよ」
「しかしまさか、薬売りの正体が妖魔、だったとは……」
「相手が人間でないと判った以上、加減の必要はないわ。むしろそんなことをしていては私たち自身の命が危うい。気を引き締めていくわよ」
リゼの放った一撃は、常人の想像では及びも付かないほど、重い。
相手が仮に生身の人間であれば、ただそれだけでも致命的になり得る。
ましてや彼女が私を護るべく体得した武術――魔克明鏡拳は、対妖獣の格闘術。
――ならば私も、エーデルベルタの剣技で応えなくてはならない。
この宝剣に施した魔錠の解号を口にする時が、もう来るとはね。
けれど、今の私が臆することなど、何もない。
お母様を救えなかったあの時の私は、置いてきた。
だから私は、この手に光を燈して、道を切り拓くの。
「閃け、犀利の眩耀……賽は投げられた」
――この輝きこそが、私の力。
我が道を阻む者よ、心するがいい。
抜かれた刃が与えるものは、ただ一つ。
無慈悲、のみ。




