第84話「あなたが好きです」
狭山の目が左右に動く。このタイミングで答えを言うのか、と顔が口ほどに物を言っていた。
「答え? 綾香。いったいなんの話をしているの?」
「告白の答え」
純が驚愕に塗れた声を上げた。狭山は口をあんぐりと開けたまま黙ったまま。
「ちょ、ちょっと待ってちょうだい。百歩譲って答えるのはいいけど何もこんな場所で」
意に介さず。神白の瞳はじっと狭山に向けられていた。
その目はふざけていないことを物語っていた。狭山は口を閉じ喉を鳴らす。
「申し訳ございません、純様。少々お時間をいただければと思います」
相手は混乱しているのか答えなかった。狭山は体ごと神白の方を向く。
「お嬢様、お答えいただけるのは大変嬉しいのですが今は間が悪いというか」
「ううん。今だから言える。今言わないと、また狭山くんがいなくなりそうだから」
そんなつもりは毛頭ないと言おうとした。横目で純を見る。
いまだ困惑しているが娘の覚悟を感じ取ったのか、口を挟むことに二の足を踏んでいるらしい。
「純様。よろしいでしょうか」
純は答えなかった。それを肯定と取ったのか、神白は口を開く。
「初めて狭山くんを見たのは、去年の春だったかな」
「え? 本当ですか? 俺と話したことなんて」
「うん。その時は無いよ。正確には名前と絵を見たの」
絵というワードに合点がいく。美術の先生が二人いるのだが内一人は、まず最初の授業で校内にある物をスケッチして来いという課題を出す。描いた絵は上手い下手問わず美術室前の廊下に全クラス合同で張り出される。それを見て他クラス同士で交流を深めつつ評価し合って技術力を高めていくという授業が展開されるのだ。
狭山の絵もそこに張り出されていた。何を描いていたのかは鮮明に覚えている。
幼いころからずっと、絵といえばそれしか描いてなかったからだ。
「桜の木の絵。学校にある大きな桜の木を描いてたよね」
「はい。絵心はないのですが、幼い頃両親に褒められたこともあって。それしか描けなかったんです」
「いい絵だと思ったんだ」
神白が両手の指先だけを合わせ、視線を下に向ける。
「確かにすごい上手ってわけじゃないし、あまり見ている人もいなかったよ。けど私は凄い印象に残った。それで描いた人の名前を見たら、春樹って描いてあって」
「おかしいですよね。春樹だから桜かよって自分でも思っちゃいました」
「ううん。おかしくないよ」
頭を横に振って否定する。楽しげな表情を浮かべていた。
「そこから気になって、どんな人か探したんだ。同じ学校で同じ学年。すぐに見つかった」
「……ガッカリでしたか? こんなんで」
両手を広げて見せる。
「イケメンかどうかなんて気にしたことなかったけど、初めて見た印象言ってもいい?」
「お手柔らかに」
「野暮ったい」
「傷つくなぁ」
狭山が右胸をわざとらしく握ると、神白はクスクスと笑った。
「どんな人なんだろうと思って話しかけようと思ってたんだけどね。駄目だった。私は氷柱姫って言われてるくらい冷たい人間でしょ? 狭山くんに話しかけたら絶対迷惑になるなと思って」
「いやぁ、正直言って話しかけられなくてよかったです」
「そ、そう、なの?」
「だって神白から話しかけられたら男連中から何を言われるか」
クラスどころか学年をまたいで男子生徒が見に来るだろう。仮面不良もいる学校なのだ。イジメのターゲットにされたらたまったものではない。
「それで、ずっと話しかけようと思っていたってことですか?」
「うん。1年以上経っちゃったけど。また今年の4月に絵を見たらちょっと満足しちゃった」
「あれ毎年やるのかって思っちゃいましたね」
「それで狭山くんと同じ教室だから、チャンスだと思ったの。気付いてた? ずっと私、狭山くんのこと見ていたの」
「……全然。気付きませんでした」
狭山は息を吐いて肩を落とした。
「恥ずかしいな。カッコいいところなんて一つも見せられなかった。ずっと教室の隅でスマホ見てゲームばっかりやってる陰キャっぷりを見られてて」
「確かにカッコよくはなかったかも。でもね、ここに来てくれた」
懐かしむような口調だった。神白の髪が揺れ動く。
「ここに来て、話しかけることもできて。電話もすることができた。初めて連絡を入れた時は心臓が張り裂けそうだった。一緒に食事をしてゲームもして、コーヒーも入れてくれて……。私の部屋、ずっと綺麗にし続けて……。パーティの時は、ごめんなさい。狭山くんも楽しめればと思って。軽く考えすぎてた」
「いや。今考えたらあのパーティもいい思い出です。普通に生きていたら絶対に体験できないことばかりでした。毎日楽しくなったのはこのバイトを始めて、お嬢様と話してからなんです」
「私も同じだよ。狭山くんと一緒にいるようになってから、本当に明日が楽しみになったんだ。だからね、もっと一緒にいて欲しい」
神白の手が狭山の手を掴んだ。
「私は、狭山くんのことが……春樹くんが好きです。思いが変わっていないなら、私と、付き合ってください」
狭山の心が、暖かい何かで満たされた。
唇が震える。早く答えないといけないのに言葉が出辛い。決まっているのに。
「俺で、俺でいいんですか」
だが出た言葉は不安に塗れた物だった。
「こんな平凡未満の、半人前で」
言ってから後悔した。何をいまさら日和っているのだ。
相手はキョトンとしていたが、すぐにふわりと微笑んだ。
「私も、親が一人だった。なら、私も半人前だよ。春樹くんと同じ。半分。それならさ……半分同士で、人並みになれるんじゃないかな」
狭山の頬に熱い何かが伝った。
その優しい言葉に救われた気がする。
変だ。
涙が。
「こちらこそ」
彼女のそばにいたい。楽しみも悲しみも隠したくない。
それでも背筋だけは伸ばして。
「よろしくお願いします」
頭を下げて、手を握り返した。
およそ高校生同士の告白のやり取りとは思えない。
だが構わなかった。
今は、執事とお嬢様という関係なのだから。
☆☆☆
「……完全に二人の世界ね」
手を取り合って笑い合っている二人を見て純は頭を振った。
「あなたと私も、あんな感じだったのかしら」
純の脳裏に愛しい人の横顔が映る。
微笑んでいた。いつもと変わらない優しい笑顔だった。
認めるしかないか。
二人の熱量をどうにかできるほど、氷柱は鋭くなければ冷たくもない。
「……庶民、か」
純の小さな呟きは、二人には届かなかった。
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