第83話「一番星」
「たいした話じゃない。すぐに終わるわ。まずあなた、この家を見てて疑問に感じたことはある?」
「え?」
狭山は笑みを消し視線を右上に向ける。疑問を覚えることは数多くあるのだが一番気になっていたものを口に出す。
「家、というより……お嬢様に関してなのですが」
「なにかしら」
「父親って、どこにいらっしゃるんでしょうか」
この家で執事として働いて一月以上が経つが、神白の父親、いわゆるこの家の旦那様に会ったことが一度もなかった。それに加え、使用人同士の休憩中の会話や神白との雑談の中にも一切この単語は出てこなかった。
純が視線を下に向ける。口は笑みを浮かべていたが悲しさが隠しきれていない。
「そうね。あなたの疑問は、正しい。あなたと綾香を引き離したいのはまさに、その父親が関係しているのよ」
純は腕を組む。
「結論から言うと私の夫は亡くなってるわ。自殺でね」
「自殺……?」
「どこの世界にもあるありふれた話よ。責任を感じて自殺っていうね。あの人は自暴自棄になったの」
狭山は黙って相手の言葉を待った。
「あの人との出会いは、今の綾香とあなたとそっくり」
「え?」
「夫もね、執事だったの。私専属のね」
純が鼻で笑う。
「貧乏人で金が欲しいからこの家で働かせてくれって突然転がり込んできた不審者丸出しの男だったわ。ボロボロの衣服で必死に縋って、この人生をなんとかしたいって思いが伝わってきた。生活保護を受けてたくらいの人間よ。始めは誰もが拒否した。私の前にいた先代の当主も断固として、ね」
「でも雇ったんですか?」
ええ、と純が頷く。
「18歳だった私はその男に惹かれたのよ。自分の力で必死に生きようともがいているのを見捨てることができなかった。私の願いもあって彼はここで執事兼雑用係として働き始めた」
「仕事は、できたんですか?」
「それがとても手先が器用な真面目人間でね。業務は初週で完璧になるくらいの超人。執事でありながら先代の仕事の手伝いもこなすし雑用も瞬時に終わらせる。使用人同士ですぐ仲良くなるくらいの社交性も持ち合わせていたわ」
「……なるほど」
「顔は、そうね。今風のイケメンじゃなくて、ハンサムって顔立ちかしら。あの時は28歳……髭が似合う顔だったから、私の許可が出てない時は剃らないよう指示していたわ」
昔話に花を咲かせる純の顔はほころんでいた。
「聞き上手でね。お喋りな私とは相性がよかったのよ。他愛のない会話をするのが楽しかったわ。そんな相手と一緒にいたくなる気持ちがわかるでしょう?」
「はい。とても、わかります」
「だからずっと一緒にいたいと思った。専属にしてから数年後に、私は彼に告白したわ。最初は断られた。年が離れているだのなんだの。そんなの愛には関係ないって言って。映画の見過ぎね、私」
「……俺も、そうだと思いますよ。大人と子供という関係じゃないなら10くらい年が離れていても構わないと思ってます」
「同じことを言ったわ。それから猛アタックよ。今だと古いかしら、この言い方」
純の表情は自嘲気味な笑みに変わっていた。
「それで1年後、付き合って、結婚して、綾香を産んで……何もかもが上手くいっていたわ。私はその時会社を継ぐ話も出ていてね。親の七光りだと言われないよう努力もしていた。ただ────」
表情が無に変わる。目元に影が落ちたようだ。
「あの人はどんどん変わっていったわ。身に着けるものは派手になって態度は粗暴になって夜遊びも酷くなって、酒癖も悪くなっていってね」
「それは、どうして」
「金と権力よ。あの人は貧乏な庶民だった。それがいきなり億万長者よ。しかも自分で稼いだ金じゃない。棚から牡丹餅が出てきたように、突然金が舞い込んできたの。どうなるか想像に難くないでしょう?」
自分の汗水が染み込んだ金なら多少の戸惑いが生まれるかもしれない。
しかし彼の場合は違った。家族と言えど”他人の大金”を手に入れたのだ。他人の金で食う飯が美味いように、彼にとってそれは甘美な物だったろう。
「散財に次ぐ散財。夜の街でトラブルがあれば私の家の名前や会社の名前を出して脅す始末。遂には私まで脅すようになった」
「……それでも、守ったんですか?」
「いいえ。綾香にまで被害が出そうだったから一度家から追い出した。そしたら相手は命乞いするように謝ってきてね。信じられなかった」
純の眉間に皺が寄る。
「そしたら”あいつ”は暴れ始めた。口から出てくるのは私に対する呪詛と、金のことばかり。私のことを愛していたという思いはすでに無くなっていた」
「……」
「それで警察に掴まってなんとか私が手を回して釈放した。その次の日に自殺したわ。釈放時に私の使用人が渡した離婚届を握りしめながら、家の門の前で首を切ってね」
狭山は言葉を失った。話を聞いているだけでも、この関係には怨みしか残っていないことがよくわかった。
純が狭山を睨む。
「わかる? 貧乏人が金を持つと碌なことにならない。もちろんあなたや綾香が、私と同じような道を辿るとは限らない。けれどね、親ならそうなる危険性がある道を閉ざしたくなるのが普通なのよ。おまけに私は片親……残されたたった一人の家族のために必死になるのもわかるでしょう? 綾香にはもっと相応しい男がいる」
「……それを決めるのは」
「綾香よ。けど、今決めるのは早計だと言いたいの。よく言うでしょう? 男と女は星の数ほどいるって」
「───それでも!」
言い返そうとしたが、純が頭を振って遮る。
「庶民だけど普通の、人並みに生きているあなたにも不幸になって欲しくないの。いい? 金を持つということは幸福になるわけじゃない」
「……金のことなんてどうでもいいです。だいたい、さっきの話も聞いていて思ったことがあります」
「いいわよ。話してみなさい」
一言断りを入れ、言葉を吐き出す。
「旦那様が酒と金に溺れていたというなら、なぜここから出なかったのですか。全てを捨てる覚悟だったら相手も目を覚ますかもしれなかったでしょう」
「……あなたは私が捕らわれていないと思う?」
「は?」
「あの人が金に溺れたように、私はあの人に溺れていた」
それだけで察した。立場で繋ぎ止めるしかなかったのだ。全てを捨てたら相手がいなくなるとわかっていたから。
「蛙の子は蛙。白鳥にはなれない。あの子は私そっくりよ。惚れた相手に尽くすわ」
「私は……俺は溺れませんよ。そんな物に」
「それは」
「それに!!」
狭山が声を荒げる。
「お嬢様は、神し……綾香は”あなた”じゃない!! 蛙は蛙かもしれないけど、中身は全く別に決まってる! 惚れっぽくて尽くしてくれるかもって思ったことはちょっとありますよ! だけど、メリハリは、しっかりしてます。もし俺が溺れそうになったら、冷たい視線を向けながら俺を追い出しますよ」
純が目を伏せる。
「お嬢様のことも、そして俺のことも、信じていただけませんか。星の数ほどいる男の誰よりも輝いて見せます」
「……あなた、時々臭いこと言うわね」
「申し訳ございません。これでも精一杯なんです。良くても悪くても、相手の心に残るような言葉を残すようにと、言われているんです」
「義徳から?」
「いいえ。私の、今はもうこの世にいない母からです」
純が目を見開き、狭山を見た。
「私の両親も一人です。母は交通事故で亡くなりました。それでもこの言葉は覚えてます」
狭山は頭を下げる。
「お嬢様が、私の中では一番星なんです。私は普通じゃない。人並みに歩めてません。私は”人並み”に憧れてます。遠い目標だから。私が”人並みに”できることなんて何一つありません。”人並み”に誇れるものなど何一つ持っていません。けれど、今はその思いが薄れつつあります。綾香さんのお側にいる時だけ、私は”人”になれているんだ」
狭山は頭を下げ続ける。
「綾香さんとお付き合いすることを、許して────」
その時だった。部屋の扉が開けられた。
「綾香」
「え!?」
振り向くと神白が立っていた。私服で真剣な表情を浮かべている。
「狭山くん。お母さん。聞いて」
部屋に入り狭山の隣に立つ。
「私の、答え」
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