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第82話「氷柱」

 放課後、部活動へ向かったり帰路につく学生たちを余所に、狭山は机に突っ伏していた。


「元気ないですね、狭山くん」

「憂鬱」


 前に座る鹿島は教科書を鞄にしまいながら喉奥で笑う。彼の机の中はいつも空っぽだ。


「昼食の時に話していた執事の件ですか? めでたいことだと思うんですがね」

「神白の専属だったらよかったけどさぁ」


 机に顎を乗せギリギリと歯を軋ませる。


「俺のせいで義徳さん、なんか言われたのかなぁ」

「うーん。どうかわかりませんが、神白さんのお母さんの専属ですか。たしかキツい性格なんでしたっけ?」

「キツいなんてもんじゃねぇよ」


 いつの間にか教室に入ってきた寅丸が大股で近づく。


「昼にはいませんでしたね。大牙。どこに行ってたんですか?」

「綾香に相談されてた。ちょうど狭山と同じ話題だ。純さんが何を企んでいるのか不安でしょうがないらしい」

「そんなに怖い人なんですか」

「少なくとも庶民には容赦ない」


 寅丸が適当な机に腰掛ける。短いスカートのせいで、中が見えそうになったため、狭山は視線を逸らした。


「大牙。スカート危ないですよ」

「いいだろ別に。この机に座ってるの誰?」

「男子の────」

「ならいい思いできるだろ。こんな美少女の生尻乗っけられてさ」


 鹿島は眉をひそめた。


「そんな私の絶対領域見んなって」


 ニーソックスとスカートの間にある太腿を指しながら不敵に笑う。


「で、どうすんだ狭山。また作戦会議でもするか? 小細工なんて効きそうもないけど」

「……まぁいつも通り仕事してみるしかないかなぁ」

「専属執事っていうと、またパーティみたいな場所に連れていかれるんじゃないですか?」

「俺一回やらかしてるからなぁ。いやだなぁ」


 神白の傍にいられると思ったらこれである。ままならないものだ。

 不安と不満を隠さない声色を聞き、鹿島は寅丸を見た。肩をすくめて頭を振られた。


「私がどうこうできる問題じゃねぇよ」


 狭山を悩ませている問題はもう一つあった。問題というより疑問だ。義徳のことだ。

 先日見た義徳は雰囲気が違い、流石に執事とは呼べなかった。どちらかというと、映画に出てくるヤクザやマフィアといった見た目だった。

 厳格な雰囲気を纏っていたため、あれが普段の姿なのだろうかと勘繰ってしまう。


「思い悩んでますねぇ。狭山くん」

「俺も鹿島みたいに完璧超人になれたらなぁ」

「タケが完璧だってよ」


 甲高い笑い声と手を叩く音が聞こえる。いつの間にか他のクラスメイトの足音は無くなっていた。教室内には3人しか残っていないらしい。


「お待たせ」


 そこにもう一人入ってきた。狭山は首を素早く動かし姿を捉える。


「進路相談、長かった」

「3年になる時期だからな。綾香は家のこともあるから先公も必死になるだろ」


 朱雀院家のご令嬢ということを知っていると先生方も気が気でないだろう。少しでも成績が落ちたり志望校にいけないとなると自分たちの首が飛ぶ危険性もあるわけだ。純ならやりかねない。


「とりあえず帰ろうぜ」


 寅丸の声をきっかけに狭山と鹿島は腰を上げる。


「狭山くん」


 神白が胸に手を当て、心配そうに見つめてくる。


「どうしたの?」

「義徳さんからの指示、撤回させるから安心して。突然あんなこと言い出すなんて、きっと悪い冗談のつもりだったんだよ」

「……いや、そうは思わないかな」

「でも、お母さんの専属なんて」

「神白。大丈夫だよ」


 自身の胸にトンと拳を当てる。


「復帰した俺の初仕事なんだ。上手くやってみるよ。それができたら、その、神白の専属執事になるからさ。ちょっとだけ待っててくれるか?」


 今までの経験があったからか狭山の胸中には少しだけ自信があった。

 力強さ漲る言葉に、相手の表情も柔らかくなっていく。


「ねぇ狭山くん」

「ん?」

「告白の返事」


 狭山は噴き出した。


「え、え、ここで!?」

「ううん。ちゃんと答えたいなと思っているけど今じゃない。告白の返事は、狭山くんの初仕事が終わったら言うから。期待しててね」

「……期待してていいの?」


 少しだけ頬を赤らめた神白が頷く。この表情で断られたら正直自殺を決意するレベルだ。


「なら、終わったら必ず聞くよ」

「うん。あ、そうだ。あともう一つだけお願いがあって」

「なんなりと」

「下の名前で呼んでいい?」


 再び噴き出した。


「な、なぜに」

「美月ちゃんが言ってて。羨ましいなと」

「……いいけど、こっちも下の名前で呼ぶよ?」

「……だめ」

「なんで」

「だめ。狭山くん恥ずかしがらせるのは私だけ」

「ズルいだろ」


 人差し指が目の前に差し出された。


「しっー」


 神白が悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 ズルい。こんな美少女にこんなことされたら女に免疫がないせいもあって耐えられるわけがない。


 ニヤけ面を誤魔化すように視線を下に向けると、鹿島と寅丸の呆れたため息が聞こえてくるようであった。




☆☆☆


 


 土曜日となり、二人はいつも通り白金高輪駅で合流した。美月の件以降、朱雀院家に向かう際は神白と同伴しているのが常になっている。


「今日、お母さん家にいるから」

「そっか。まぁそうだよね」


 手を繋いで歩く。自然とそういう形になっていた。

 最初は恥ずかしかったが、今ではこうしていないと落ち着かないくらい自然に手を繋いでいた。


「何かあったらすぐに言ってね」

「んー、うん。わかった」

「本当にわかってる?」

「精神的にきつくなったら泣きつくよ」


 冗談のつもりだったが相手は本気の顔をして頷いた。


「でもできるところまでは頑張るからさ、応援しといて」

「うん。わかった狭や……じゃなくて、えっと」


 神白の顔が地面の方を向く。


「は、は、ハル、キくん」


 胸のあたりが小さく締め付けられる思いだった。自分でもわかるほど火照った顔を横に向ける。


「どう、かな」


 口角を上げ目を細めている。挑発めいた表情に朱が混ざっていく。

 言葉の代わりに手に力を込めることで答える。

 相手は目を開き、すぐに腕に体を押し付けた。


 朱雀院家につくと名残惜しかったが神白と別れ執事服に着替える。

 今日は人が少なかった。いつも出迎えてくれる義徳もいなければ他の執事の姿もない。沙希の姿もなかった。

 服を着替え廊下を歩く。人が少ないとこんなにも静かなのか。古びた洋館に紛れ込んでしまったようだ。


 とりあえず何をすべきかは先日義徳から言われている。

 純の部屋に向かいドアをノックする。


「入って」


 中に入る。殺風景な部屋だった。義徳がいた部屋をモダンと評価したが、こちらは逆に生活感が無さすぎた。

 家具や大きな机などは置かれているが使われていないようにその場に佇んでいる。生活用品店に並べられている家具のようだ。


「いつもは使ってない部屋よ」

「私の考えていることが?」


 自然と喋れていることに内心驚いてしまう。執事服を着ると自身が湧いてくるようになったのはいつ頃だっただろうか。


「あなたは執事としては二流ね。そんなにすぐ表情に言葉を出してはいけないわ。常に笑顔を浮かべるべき、という理由を考えたことはあって?」

「主を不安がらせたりしないように。命令が不服でも不平不満を悟らせないように」

「そこまでわかっているのに改善しないのは無能よ」


 しっかり答えなければよかったと後悔した。狭山は一瞬口許を動かし笑顔を浮かべる。


「大変申し訳ございません。以後気を付けます」


 頭を下げる。問題があれば謝罪安定。何事もそうだ。下手な言い訳をするのは誠実な謝罪の後だ。

 純は鼻で笑い椅子に座る。


「……純様」

「名前で呼ばないで」

「では、主様。自分は何をすればよろしいでしょうか」

「それくらい自分で考えなさい」


 そう言われたら行うことは既に決まっている。義徳からさんざん叩き込まれたのだ。


「承知いたしました」


 部屋を見回す。掃除の必要はなさそうだ。

 持って来たワゴンに近づく。


「お飲み物は」

「適当に」


 食い気味に被せてきた。こちらの業務を邪魔したりはしないらしい。自信を持つコーヒーを淹れる。先日からずっと神白や父親、鹿島相手にふるまってきたのだ。淹れ方はマスターしている。


 コーヒー豆の渋い香りが狭山の鼻腔をくすぐる。気持ちが落ち着くようだ。

 カップにいれ机に置く。相手は何か本を見ていた。つまらなそうな表情を浮かべている。

 邪魔にならないよう、されど手の届く範囲に置き頭を下げて数歩下がる。ここで淹れましたよ、なんて声をかけた日には義徳に怒られる。


 純は自然とコーヒーカップに手を伸ばし口に運ぶ。唇を湿らせる程度の時間だった。

 が、それで充分だったのか。本を閉じてため息を吐く。


「意外と美味しいわね」

「ありがとうございます」

「義徳に叩き込まれた?」

「はい。自分で練習もしてます」

「そう。褒めないで貶そうと思ったけど」


 すん、と。純の目が細まる。

 狭山はこの目が苦手だった。神白とそっくりだから。興味のない男子や気に食わない人間に対して向ける、冷たさと鋭さを合わせもつ、氷柱を彷彿とさせる瞳。


「狭山執事」

「はい」

「玄武洞の、美月ちゃんのことに関しては礼を言うわ。あの一件以来、文治も気分がよくなったみたいでね。単純な男よ。あなたの舐めた態度も全部水に流すらしいわ」

「ありがとうございます」

「玄武洞とは仲良くやりたいからね。朱雀院との亀裂を自分で埋めたことは称賛に値するわ。ええ。あなたは立派よ」


 まったく心は籠ってなかった。狭山はそれでも笑顔を崩さない。


「で、ここからが本題。単刀直入に言うわ。あなた、今すぐ執事を辞めてちょうだい」


 言われることは覚悟していた。


「執事のまま、綾香と会わないでちょうだい」


 それもだ。


「できかねます」


 狭山はすぐ答えた。


「なぜここを辞めなければいけないのか、別れなければいけないのか教えてください」

「答えてもいいわ。けどここを辞めてもらうわよ」

「それならそれで、構いません。理由を聞いたうえで去りたいです。そしたらその欠点を埋められるような人間になって戻ってきます」

「言うは簡単ね。何をそこまで自信を持っているのかしら」

「舐めた口かもしれません。けど、言うだけなら、タダです。思いは口に出さないと伝わりません。雄弁は銀と言いますが、自分にとっては、銀でも貰えれば儲けものなんです」


 狭山は一歩も退かなかった。純の専属になったのには何かの理由がある。

 氷柱を溶かしてほしい。その真意を知れる気がしたからだ。


「勘違いしないでほしいのは、私はあなたと綾香の交際を認めてないわけじゃないのよ? 執事として会うなと言っているだけ」

「……でき、かねます。私は、お嬢様の……綾香様の執事でありたいとも思っているので」

「金目的で始めた業務に随分と愛着が湧いているようね」

「はい。この仕事が、意外と好きらしいです」


 笑って答えた。純は呆れて頭を振った。


「そっくりなのが腹立つわ」

「え?」

「いいわ。話してあげる。なんで引き離したいか」


 狭山は違和感を覚えた。

 今までのような、不快感のようなものが、伝わってこなかったからだ。


お読みいただきありがとうございます

次回もよろしくお願いします

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