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第81話「お嬢様の氷柱を溶かしたい」

 白金高輪駅で降り改札を出ると、狭山は大きく伸びをした。


「はぁ~~! よかった!」


 肩の荷が降りたようだった。安堵の息をつくと、隣にいた神白の顔に華が咲く。


「お疲れ様、狭山くん」

「ああ。そっちもお疲れ様」

「ううん。私は特に何も。あまり役に立ってなかったかも」

「いやいや。凄く力になってくれたよ。ありがとう」

「そっか。でもよかった。狭山くんがまた執事に戻ってきてくれて」

「あ、うん」


 電車内で神白には事の顛末を話していた。再び朱雀院家の執事になると告げると、神白は嬉しそうに笑みを浮かべてくれた。

 今も、可愛らしい表情を浮かべている。狭山はつい視線を逸らしてしまった。

 神白は疑問符を浮かべる。


「どうしたの狭山くん。疲れた?」

「いや、その。あのですね」

「うん」

「か、神白が可愛くて」


 言ってからしまったと思った。顔を上げる。

 キョトンとしていた神白の表情が一気に赤くなっていった。今度は神白が視線を切る番だった。


「ちょ、神白!?」

「な、なんでもない」


 無表情になっているが耳まで赤くなっている。


「いやすげぇ顔真っ赤だけど」

「赤くない! 赤くなってたとしても狭山くんのせいだから!」

「わ、悪かったよ。さっきの言葉はその、取り消すから聞かなかったことに────」

「え!? や、やだ。取り消さないで」


 潤んだ瞳を向けられ頷くしかなかった。今すぐに抱きしめたい衝動に駆られた狭山は、ふと周囲を見る。

 周りにいた老若男女がこちらを見ていた。狭山はともかく、立っているだけでも人の目を引く美貌を持つ神白が一緒なのだ。


「と、とりあえず移動しよう」


 恥ずかしくなった狭山は神白の手を取りその場から離れた。冷やかしのような視線を背中に感じる。


「さ、狭山くん」

「いいから。ちょっと我慢して」


 相手のペースを考えず大股で歩く相手を見て、神白の頬が緩む。

 握られた手を見つめ、指を動かす。自身の指を、相手の指の間に絡める。

 いわゆる"恋人つなぎ"という形になった。


 神白の細い指の感触と、初めての手のつなぎ方に狭山はいっぱいいっぱいだった。鼓動が早くなり、耳の奥から血液が沸騰する音が聞こえてくるようだ。

 

 閑静な高級住宅街に行くまで二人の間に会話はなかった。

 しかしその沈黙が心地よかった。太陽が沈み辺りが暗くなる時間帯。静かに吹く冬の風が、両者の火照った頬を撫でる。


「風、気持ちいいね」

「そうだね。そろそろ手、いいか」


 離そうと手の平を広げる。

 神白の握力が少し強まった。


「神白?」

「このままでいい」

「いいの?」

「このままがいい」


 歌うような声だった。指を絡め直すと、神白は腕に抱き着いた。


「うぉう!?」

「しっかりエスコートして。狭山くんは私の執事でしょ?」

「でも、俺まだそうと決まったわけじゃ」

「嫌なの?」

「もちろん神白の専属がいいけどさ」

「じゃあこれでいい」


 二の腕に体を密着させる。甘い香りが鼻腔をくすぐり、おそらく錯覚だろうが、柔らかい感触が伝わってくる。


「神白……ちょっと」

「やだ。離れない」

「ダサいと思ってくれてもいいけどさ、マジで鼻血出そうなんだけど」

「出しちゃえ」


 グイグイと腕を引っ張る。やられっぱなしで視線を右往左往させる狭山に対し、神白は悪戯っぽい微笑みを浮かべていた。

 

 朱雀院家の門が見えてくると神白は自然と腕から離れた。


「ごめんね狭山くん。あの人の前だとあまり」

「あの子?」


 正面を見ると門の前に人影が微かに見えた。近づくとその人物が手を振る。


「パーティ大成功おめでとうございます。そしてお帰りなさい。お嬢様、狭山様」


 片目を隠す美しい黒髪が特徴的な結城が、メイド姿で出迎えた。薄着に見えるが寒くないのだろうかと狭山は思ってしまう。


「では狭山様はこちらへ」

「えっと?」

「三和執事長のところまでご案内いたします」

「私は着いていっちゃいけない?」

「はい。"義徳様"直々のお呼び出しなので」


 神白は口を閉ざした。結城が口角を上げる。


「では、私についてきてください」




☆☆☆




 案内されたのは狭山が義徳の面接を受けた部屋だった。埃一つ見当たらない赤い絨毯とモダンな空間はなんら変わりない。

 変わっているのは窓際に立っている義徳だった。


「こんばんは、狭山さん」


 いつもの燕尾服ではない。黒色のスーツを着ている。髪型もオールバックからフラットトップの短髪に変わっていた。


「こんばんは……」


 義徳の口許が曲がる。


「元気がないですね。せっかくお嬢様の傍に戻れたというのに」

「いや嬉しいんですけど、その」


 義徳の雰囲気がガラッと変わっていたことに動揺してしまう。


「私がいつもの優しいおじいちゃんではなくなったことがショックですか?」


 見透かされたような気がして狭山は反射的に頷いてしまった。


「正直ですね」

「あの、イメチェン、ってやつですか?」

「そうですね。執事の姿のままではいられないので」


 ワインレッドのワイシャツの襟元を触り、義徳は手招きする。


「どうぞお座りください」


 案内された椅子に座るとテーブルを挟んで正面に義徳が腰掛ける。


「狭山さん。あなたには執事に戻ってきてほしいと思っております」

「は、はい。そのつもりです。辞めると言った手前ちょっと恥ずかしいというか、情けないというか」

「いえいえ。どちらでもありませんよ。あなたは職務を全うしただけです。あなたの執事としての心意気、技術は素晴らしい。是非とも朱雀院家で働き続けて欲しいです」

「は、はぁ。では、また神白……お嬢様の専属ということで」

「いえ」


 義徳は頭を振った。


「ここからが本題です。狭山さん。私は、あなたにあるお願いをしたいのです」

「……それは?」

「狭山さん。あなたには、純様の専属執事になってもらいたい」


 義徳は頭を下げた。




「どうか、お嬢様の氷柱を溶かして欲しいのです」




お読みいただきありがとうございます

次回もよろしくお願いします

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