第80話「夕暮れのアジュガ」
「本当に申し訳ございませんでした」
執事服から私服に着替えた狭山は美月に深々と頭を下げた。
夕暮れ時となり閑散としたパーティ会場に声が木霊する。
「謝らないで、ハルキ。顔を上げて」
美月が狭山の手を握る。
「あなたが謝るところは見たくないわ」
狭山は顔を上げる。夕焼けに照らされる金髪と端正な顔立ちは美しく、眩しかった。
「それに謝る必要なんて何もない。無事パーティも終えることができたし、楽しかったし」
「ですけど最初の目的は」
「お父様も聞いてくれたわ。きっと。それだけでいい。私はそれだけで嬉しいわ」
口を噤むしかなかった。あれだけ大口を叩いたのに、結局ちょっとしか変化をつけられなかったのか。
「ハルキ。あなた、このまま玄武洞で働かない?」
「え?」
「だって最高にいい執事なんだもの」
「おいおい。なんだよーお嬢」
床を掃除していた藤堂がため息を吐く。彼はまだ執事服だった。
「俺はお役御免かい?」
「そうね。あなたよりハルキの方が優秀だもの」
「ちょ、美月お嬢様」
「美月でいいわ」
微笑みを浮かべる。
「あなたとは友達になりたいもの」
「……タメ口で?」
「許可する」
「……なら、うん。俺も同じ気持ちだよ」
膝を折って視線を合わせる。
そんな二人を見て藤堂は頭を振った。
扉が開いた。入ってきた人物を見て、藤堂は目を丸くする。
「ぶ、文治の旦那」
全員の視線が注がれる。スーツ姿で大きな袋を抱えた文治は、ゆっくりと狭山と美月に近づく。
慌てて頭を下げようとした狭山に手のひらを向ける。
「そのままでいい。狭山くん。君に話がある」
テーブルに袋を置く。
「は、はい」
「本日限りで君は玄武洞の執事ではなくなる。君は、朱雀院の執事なのだからね」
「……え?」
「義徳と……純にも話は通してある。朱雀院の執事として働きなさい。給料に関しては後日改めて連絡しよう」
困惑する狭山は視線を逡巡させる。
「あ、えっと、どういう」
「そのままの意味だ。君は、しっかりと仕事を果たしたんだよ。君の誠意と願いに応えよう。美月のことは私たちに任せて貰って大丈夫だ」
文治を除く全員が目を丸くした。車に乗ろうとしていた時の彼とは表情も違う。
どこか憑き物が落ちたような、スッキリとした顔をしている。
「美月に話があるんだ。出て行きたまえ」
「は、はい!」
狭山は駆け出そうとし、慌てて美月に向き直る。
「そうだ、言い忘れてた! 美月」
「え、うん? なに?」
「誕生日、おめでとう!」
笑顔で告げた。
「……ありがとう、ハルキ」
美月も笑顔で答えた。
☆☆☆
「頭下げ損だったな」
玄武洞の正門まで続く道を歩いていると藤堂が意地の悪い笑みを浮かべた。
「美月は大満足。お前は見事俺の依頼を果たしてくれたよ」
「ああ。よかったよ本当に」
「それよりお前忘れてないか?」
何が、と聞こうとした瞬間思い出し、声を上げた。
「動画!!」
「わかってるって。ほら、見てろ」
藤堂はスマートフォンを取り出すと、鹿島の暴行した瞬間が映った動画をゴミ箱に入れた。さらに完全に削除する手順まで見せた。
「もしかしたらPCにデータが~とか、USBにデータが残って~とかクラウド上に~とか思うかもしれないが、誓ってデータはこれだけだ。信じてもらうしかない」
「いや、そこまで疑ってないけどさ」
「誓うよ」
藤堂は狭山を見つめた。
「本当に今まで悪かった。美月を笑顔にしてくれた礼だ。これ以上悪行重ねるほど俺もクズじゃない。金輪際、お前にも、鹿島たちにも俺は関わらない。それでいいか」
狭山は唸り声を上げて、頭を振った。
「いや、それは困る」
「なんでだよ」
「美月が悲しむよ。彼女と遊ぶ時とかに、藤堂がいないと」
「……なんで」
「だって、どっちもいて欲しい存在なんでしょ?」
藤堂が目を開いた。頬を引きつらせている相手を見て狭山がカラカラと笑う。
なんの興味もない相手を笑顔にしたいだなんて依頼、普通はしない。あんな脅しを使ってまで。
藤堂も不良ではあるが何が大切かはわかっている人間だと狭山は信じていた。それが見事に的中した。
「生意気だなお前。つうかいつの間に呼び捨てにしてんだよ。調子乗んな」
「ご、ごめん」
「……嘘だよ」
軽く肩を小突かれた。正直激痛が走ったが狭山は叫ぶのをこらえた。
正門までたどり着くと人影が見えた。立っていたのは神白と、狭山に突っかかってきたあの太眉の使用人だった。
「あ。狭山くん」
神白が笑顔で手を振る。
使用人は深々と狭山に頭を下げた。
「迎えに来ちゃった」
「ああ、うん。ありがとう。えっと、そちらの方は」
「狭山さん」
相手は顔を上げずに言った。
「本当に申し訳ございませんでした。色々と失礼な態度を取ってしまい。私は、いや、私たちは過去にとらわれ過ぎてました。本当は美月様を大事にするべきなのに。今回の件で、目が覚めました」
顔を上げる。
「私たち使用人が美月様と文治様、そしてお屋敷を守ります。もし機会があれば、いつでも遊びにいらしてください。その時は、どうか私に、ちゃんとしたもてなしをさせてください」
「……はい。こちらこそよろしくお願いします。あ、あと本当すいません。色々と好き勝手やっちゃって」
狭山は両手を振ってあたふたする。執事をしていた時の堂々とした態度とはまったく違う相手に、使用人も、藤堂も神白も笑みを浮かべる。
「あんたあれに惚れてんの?」
藤堂が神白に近づき横目で見る。
「ええ。面白いでしょ、彼」
「そうだな」
「カッコいいでしょ、狭山くんは」
「……だな。カッコいいよ。狭山は」
藤堂は神白の方を向くと、頭を下げる。
「悪かった。文化祭の時。あの二人は俺の指示で動いていたんだ」
「うん。知ってる。深く反省して。美月ちゃん悲しませたら許さないから」
「ああ。ありがたいよ、本当に」
最初は執事なんて業務、柄じゃないと思っていた。すぐに辞めてやると誓っていた。
『あなたは立派な執事になれると思うんだけどな』
美月をそのまま大人にしたような、女性の微笑みが思い浮かぶ。
もう少し続けてみるよ。
藤堂は唇だけ動かした。
☆☆☆
沈黙が流れる。広い部屋に親子二人。居心地が悪いわけではないがどちらも動けずにいた。
「……その、な」
「は、はい」
「敬語じゃなくていい」
「うん」
文治は照れくさそうに後頭部を掻くと、置いていた袋を取り美月に渡した。
「プレゼントだ」
「……わぁ! 開けてもいい!?」
「もちろん」
袋を両手で受け取り、中からある物を取り出す。
大きなクマのぬいぐるみだった。ピンク色のファンシーな見た目をしている。
「かわいい」
「すまん。何を買って来ればいいかわからなかったから、無難な物を探していたらこうなって。バイオリンがあったじゃないかと思った時は遅くてな」
「これでいい」
美月はぬいぐるみを抱きしめた。必死に考えて買って来たプレゼントだということは、言葉無くとも伝わってきた。
「これがいい。ありがとう!」
「……ああ。よかった」
「ねぇお父さん」
「ん?」
「バイオリン、聞いてくれる?」
文治は一瞬驚いたがすぐに頷いた。
「もう一度聞かせてくれるか」
「もちろん」
美月はステージに上がり、裏方に隠してあるバイオリンを取りに行く。
『泣かないで』。
昔、美月に言われた言葉が一瞬よみがえり、文治は目尻に涙を浮かべた。
胸ポケットにある花を取り出した。桜月が好きな花だ。
アジュガ。彼女は見た目よりも、その花言葉が好きだった。
花言葉は"強い友情"。そして。
「お父さん!!」
"心休まる家庭"。
「美月。誕生日、おめでとう」
自分の愛娘の幸せそうな笑みを見て、一滴の涙が文治の頬を伝った。
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