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第75話「直感人員」

「あ、あの、神白、さん」


 正座していた狭山は恐る恐る視線を上に向ける。相も変わらず腕組み仁王立ちの神白が見下ろしていた。

 正座しろ、と誰かに言われたわけではない。ただ申し訳なさから出た自然な所作だ。


「どうなると思う?」


 部屋の隅で待機する寅丸は、隣にいる鹿島の横顔を見る。


「神白さんの様子がおかしくなったのは狭山くんが休んだと同時。原因は高確率で狭山くんにありますね」

「それで正座か。後ろめたいことがないと膝なんてつかないよな」


 テレビのバラエティー番組を見ているようだった。狭山は助けを求めるように顔を向ける。


「か、鹿島」

「心は狭山くんを助けたいと叫んでいるのですが、すいません。足までその思いが行かず……」


 ちくしょう。一生そこで立ってればいい。

 悪態を吐こうとした時だった。神白からため息が零れ落ちた。

 肩が上がる。小学生の頃、サッカーボールで校舎のガラスを割ったあと教師に怒られた出来事を、狭山は思い出していた。

 ただ今回は事情があるのだ。説明しようと口を開こうとした時。


「狭山くん」


 神白の端正な顔が目の前に迫った。


「は、はい」

「私は怒ってる」

「で、でしょうね」

「なんで怒ってるかわかる?」

「……黙って……」


 チラと横目で鹿島たちを見る。執事を辞めたと、事情を知らない二人に知られていいのだろうか。


「黙って私の執事を辞めたこともそう」

「ちょっ」


 だが狭山の気遣いは無意味だった。


「ん?」

「なに?」



 隅の二人が眉根を寄せた。だが神白は意に介さない。


「だけど一番怒っているのは、私の返事を聞く前に辞めて、しかも連絡もしないで学校まで休んだこと」

「いや、あの、ちょっと神白さん」


 自然と腰が浮いてしまう。


「狭山くんにわかる? 突然告白されて、勝手に思いを告げられて、答えようと思ったらさっさと逃げるようにどっか行っちゃって」

「ん、こ、こく?」

「はぁ!!?」


 隅の二人の表情が更に険しくなる。だが神白は気にも留めない。


「私がどんな思いでこの数日過ごしたと思う?」

「あ、あのですね神白さん。いったん落ち着いて────」

「呼び捨て!」

「えぇ!? 今そこ気にするの!?」

「とりあえずどうして休んでたのか説明して! さもないと────」


 あまりの剣幕にゴクリと喉を鳴らす。


「────泣く」

「泣くんかい」


 間髪入れずに寅丸がツッコミを入れた。




☆☆☆




「はぁ~……なるほどね」


 昼休み。朝に誘拐された後、話すと長くなりそうという理由でその場はお開きになった。

 教室にいた狭山は恥ずかしさと気まずさで生きた心地がしなかった。神白からフラれるだろうという覚悟だけしていたのに、まさか親友の鹿島や、彼女の友達である寅丸にも知られるとは。

 授業中もスマホが鳴って仕方なかった。


『綾香と何があったんだこの野郎』

『なんだ執事ってこの変態』

『お前本当ぶっ飛ばすぞマジで』


 と暴言を吐く寅丸はいったんブロックして無視しつつ、


『お昼が楽しみですね』

『お昼が大変楽しみでございますね』

『御昼御飯を頂戴仕る時間が大変楽しみでござりますね』


 とワクワクが隠し切れない鹿島にはスタンプ爆撃をブチかました。

 

 そうこうしているうちに昼休みになり、誰もいない中庭で四人は小さな円を作るように座っていた。父が作ってくれた弁当に手をつけず、狭山はこれまでのあらましを話し終えていた。


「まさか狭山くんに紹介した執事バイトがそんなことになるとは」

「つうか鹿島は知らなかったのかよ」

「朱雀院家に勤めていることすら。どっかの金持ちだと思ってたんです」

「あぁ~? マジで偶然なのか? 狭山」

「いや本当に偶然だったんだ。朱雀院家って言われたから神白さんがいるなんて」

「呼び捨て」

「……神白がいるなんて、考えもしなかったよ」


 疑いの視線を向けていた寅丸だったが納得したように視線を落とした。


「なんか教えてくれよ綾香ちゃ~ん」

「ごめん。狭山くんの迷惑になると思ったんだ」

「はぁ。なるほど。全部納得した。なんで狭山みたいな陰キャが綾香と仲良くなれてんのか……そういう繋がりか」

「それで告白と。執事と主の恋」


 鹿島が恋バナを楽しむ女子のような目を向けてきた。その話はやめて欲しかった。


「狭山くん」

「は、はい」


 神白の真剣な眼差しが射貫いてくる。


「辞めて休んでいたのは、美月ちゃんのためなんだね」

「……ああ。藤堂の奴、結構真剣に悩んでいてさ」

「ほっとけよそんなの!」

「大牙」


 鹿島が呼びかけると、舌打ちして視線を逸らした。


「ごめん、神白。だから俺、そっちの家に迷惑かけれないと思って」 

「怒る理由がもう一個増えた」

「え?」

「なんで相談してくれなかったの。それくらいのことで、迷惑になるとでも思った? 狭山くんはあの家にとって、いて欲しい存在なんだから」


 誰かに必要とされたことなど、正直言って生きているうちに数回となかった。

 なのにここ最近では、立て続けに二回も。脳裏に義徳の微笑みが過ぎる思いだった。


「返事よりも前にやるべきことができた」


 神白はスマートフォンを取り出し画面に指を這わせる。


「朱雀院からも手伝いを出す。秘密裏にね。美月ちゃんの誕生日をお祝いするって名目なら三人くらいは直接的なお手伝いもできるはずだから」


 狭山が何か言う前に手の平を向ける。


「私が勝手にやること。誰にも止められないから」


 氷柱のように冷たく鋭い視線、されど中身は燃えていた。

 これ以上言うことは無意味だと思い、狭山は頭を下げるしかなかった。


「……凄いですねぇ、狭山くんは」

「何がよ」

「まるでラブコメの主人公みたいじゃないですか。校内イチのアイドルみたいな存在の女子の屋敷で、執事として働くなんて」

「……コメディ要素ほとんどないけどな」


 恋愛事よりも掃除やコーヒーの淹れ方に関してかなり学んでいた気がする。というか仕事だけはしっかりこなしていたんじゃないだろうか。


「何がラブコメだよ。お前あの不良にいいように使われてるだけだって」

「大牙は不服そうですね」

「っけ。痛い目見たって私は助けねぇからな。だいたいあの藤堂って奴のこと嫌いだし」


 寅丸は手に持っていたコロッケパンに齧りつく。確かに彼女の言う通り、藤堂に対する信頼度はまだ低い。

 だが狭山は、美月を思うあの目だけは信じてみたくなった。


「うん、そういうことだから。よろしくね」


 神白が誰かに事情を簡潔に説明した。通話口の相手は快い返事をしたのだろう。神白の頬がふわりと緩んだ。




☆☆☆




 執事の休憩室に足を踏み入れた沙希は、ただ一人休憩していた男を見つける。


「マジかぁ。最初が加賀美さんか」

「人の顔を見て露骨に肩を下げるな。中々傷つくぞ」

「その図体で傷つくの? 熊みたいなのに」

「体が頑丈な物は中身が脆いんだ」


 電子タバコを咥えようとしていた加賀美は目を細める。


「なんでお前がここにいる。メイドの恰好で入ってくるな」

「それが緊急事態。綾香お嬢様の頼みが来てね。人員募集中なの」

「ああ。玄武洞の奴か」

「知ってるの?」

「三和執事長から聞いた」

「義徳さんなんでも知ってんなぁ本当に」

「狭山が急に辞めた件もこれで合点した。で、お前は俺をスカウトしに来たわけだ」

「話が早いですね。手伝ってくれますか?」


 手に持つ電子タバコを一瞥し、頭を振った。


「狭山には申し訳ないと思っていた。俺みたいな男は言葉より行動で示した方がいいだろう」

「デカくて怖いからね。ちょっと優しくしたら好感度高くなるもの」

「言ってろ」


 加賀美はハンガーにかけていたジャケットに手を伸ばした。

 廊下に出ると沙希が先導して歩く。


「ところでさっきのはどういう意味だ?」

「何がですか?」

「「最初は」って言っていただろ」

「あ~私人員募集する時、条件とかがそれほど揃ってなければ直感を信じているんですよ。それで失敗したことなくて」

「直感だと?」

「目に入った人から声をかける。それで断られたことも、一度もなくて」


 次に来たのはリビングだった。第二リビングとも呼ばれているこの部屋には、昔の映画に出てくる、貴族たちが食事をするような長テーブルが置かれている。

 扉を開け中に入ると、一人のメイドが窓拭きをしていた。


「うふふ……長いテーブルのある部屋は殺人か生存者の会議場所……幽霊とかも窓の外からこっちを見がち……」


 はぁぁ……と、長い息を吐いて丁寧に布巾を動かすメイドはなんとも不気味だった。


「……直感、信じていいのか?」

「ちょっと今回は不安かもです」


 だがそれでも自分を信じた沙希は声をかけた。


「結城さん、ちょっとお話が」

お読みいただきありがとうございます

次回もよろしくお願いします

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