第74話「紳士と誘拐」
入店を告げるベルの音が鳴り響く。客席に案内しようとした店員を手で制し周囲を見渡す。
目的の人物はすぐに見つかった。喫茶店の奥にあるボックス席に向かい対面に座る。
「暇じゃないんだがな、俺も」
文治はため息を吐くように呟いた。
「ここでコーヒーを飲んでから会社に向かうくらいの余裕はあるはずです」
カップをクイと傾けた老紳士が微笑む。
「突然の連絡、申し訳ございません。本音を言うと来てくれるとは思いませんでしたよ」
「突然の連絡だったからここに来たんだ。あなたはウチの使用人を鍛えてくれた先生だからな。恩に報いるちょうどいい機会だった。それだけだ」
義徳が鼻を鳴らす。男の義理堅い性根が変わっていないことに若干の安堵を覚える。桜月が亡くなってから彼は荒れていたため少し心配だったが、精神的にはそれなりに落ち着いているらしい。
もっとも、美月が関わっていないからそう見えるだけかもしれないが。それもすぐにわかる。
「要件は。まさか世間話をしにきたわけじゃないだろう」
「ええ。5分、いえ、2分ほどで終わりますよ」
「ならさっさと話せ」
「私が話すわけではありません」
義徳の視線が入口に向けられる。つられて、文治もその視線の先を追う。
そこにいたのは扉を開ける藤堂と狭山の姿だった。
「なに?」
疑問符を浮かべると二人がこちらに気づいた。一度礼をしてから向かってくる狭山を、文治は鋭く睨む。
「義徳さん」
「来てくれたんですね、狭山さん」
「三和執事。これはどういうことだ」
「文治さん。要件は彼から伝えられるので」
文治は目に角を立て席を立ちあがった。
「こちらから話すことなどありません。不愉快だ」
「まぁまぁ。話だけでも聞いてください」
静かに言うと文治は立ったまま狭山を見下ろす。黙っていた彼は震える唇を動かし始めた。
「あの、一つだけお願いがあってきました」
「お願いだと?」
「美月さんのお誕生日会に、出ていただけませんか。お時間を作っていただきたく」
「なぜキミにそんなことを言われなければならない。おい、文句は朱雀院の純に入れればいいのか?」
「自分は朱雀院の執事を辞めました」
文字の目が見開かれる。
「今は玄武洞の体験執事です」
「なに!?」
「お願いです。出席してください。自分が二度と来ないことを条件に出ていただけるようであれば、それでも構いません。お願いします」
「君は、いったいなんだ? 突然そんなことを言い出して。だいたい体験執事だろうが私と美月の間に口を挟むな」
「わかります」
首を垂れる狭山は静かに言った。
「私には、美月さんの気持ちもわかります。一人しか親がいないということがどういうことかも」
文治は一瞬迷う素振りを見せたが歯を剥き出しにした。
「いい加減にしろ!! 朝っぱらからこんな場所でおかしなことを囀るな!! 時と場所を考えろ!」
テーブルを叩き激昂しながら告げる。狭山は頭を下げたままだった。
荒れた呼吸を正し、文治は狭山の隣をすり抜ける。
「旦那! 無視するのはどうなんすか?」
隣に立っていた藤堂が横目で睨む。
「……やかましい。他の客に迷惑だ」
吐き捨てるように言うと店の外に出ていった。
まだ頭を下げ続ける狭山の肩に、藤堂は手を置く。
「まぁ、ナイスファイトじゃねぇの?」
狭山は顔を上げた。長い息を吐き出す。
「おはようございます、狭山さん」
微笑む義徳に頭を下げ正面に座る。藤堂は狭山の隣に腰かけた。
「突然辞めると言い出した時はどうしたことかと思ったら、こういうことだったんですね」
「はい。また問題起こしたら、朱雀院に迷惑がかかると思って」
「かけてくれればいい」
驚く狭山に対し義徳は表情を崩さない。
「あなたは大事な、いや。優秀な執事です。迷惑をかけられても私たちは笑ってそれを受け止められます。それに、誰かのために動いている狭山さんを見捨てるような、そんな心の狭い者たちばかりだと思いますか?」
義徳の優しい言葉が、すっと心に落ちる。
「少なくとも私とお嬢様は寂しいです。狭山さんがいないと面白くない。なので頼まれていなくても協力します。もしこれが終わったら、また屋敷に来てください。”お話はいくらでも聞きますので”」
「……あ、ありがとう、ございます」
泣きそうだった。狭山は顔を隠すように頭を下げた。
義徳の視線は藤堂に向けられる。
「パーティの段取りはあなたが?」
「まぁみんなで考えるのが例年ですね」
「よろしければ私含め、朱雀院の者たち数人が手伝いましょう」
「それはありがたいっすけど、来てくれますかねぇ。文治の旦那、めっちゃキレてましたし」
「大丈夫です。意外と、あの人もわかりやすいので」
何の不安もないように義徳はいうと、二人の前にメニュー表を差し出す。
「私の奢りです。どうぞ、お好きな物を」
☆☆☆
水曜日となった。昨日はあの後、義徳と共に玄武洞に戻りパーティ会場の下見をした。
小さな会場と美月は言っていたが、金持ちの小さいと平民の小さいの認識は乖離していた。
「普通に広かったなぁ」
駅のホームで電車を待ちながら、スマートフォンの画面を見て呟く。写真を撮ってもいいと言われたため会場や中庭の画像を見返してみる。この広さを埋め尽くすほどの人が集まるだろう。
「だったら絶対顔だけは見せるよな……文治さん」
家族ぐるみの付き合いをしている人だっているはずだ。関連会社の重鎮も挨拶に来るかもしれない。
となると、パーティが始まって最初の方は絶対にいるはずなのだ。
ただ演奏会までいる保証がない。挨拶したらそれで終わりの可能性の方が高い。
「本当に、美月さんと関わりたくないのかな」
電車が来た。目の前を流れるように動く銀色の車体を見ながら、狭山は父の言葉を思い出す。
「面影が残りすぎているのかもしれないな」
「面影?」
「母親に先立たれてしかも娘だ。娘の顔が母とそっくり、いや、一部でも似ていたら思い出してしまうのかもしれない。辛い過去というのは、本当にちょっとした、些細なことで思い出されて深く根付くんだ」
「それはさ、気にしないとかそういうレベルじゃなくて?」
「無理だな。愛する人だったんだ。陳腐な言い方かもしれないが、血よりも濃く太い絆で繋がった者に先立たれた気持ちは……筆舌に尽くしがたいよ」
電車に揺られながら、狭山は窓の外を見る。ちょうどトンネルに入った。
窓に映るのは自分の顔ではなく、文治の顔だった。
美月の名を呼ぶごとに辛そうに歪むあの顔だった。
愛する誰かを失うか。狭山の脳裏に神白の姿が浮かぶ。きっと自分が同じ立場なら耐えられない。
女なんて星の数ほどいるんだ。恋なんて金がかかるだけ。愛なんて陳腐だ。デートするよりゲームをしていた方がいい。家で遊ぶだけなのに着飾る必要がどこにある。
金と時間の無駄だ。
昔の、”陰キャ”のままの自分だったら、こんなことに気づかなかっただろう。
いや今も陰キャのままか。
それでもこんな自分を頼ってくれる人がいるのだ。なんとかしたい。
決意とは裏腹に、いい考えなど思いつくはずもなく電車は目的地に着いた。
狭山は歩いて学校に向かう。朝早いせいか制服姿の学生は極わずかだった。そして校門が見えて来た時。
「おはようございます狭山くん」
「おっす! さやまぁ!」
両脇を固められた。両腕がホールドされる。
顔を強張らせて視線を左右に動かすと、鹿島と寅丸がニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「ちょっと顔かしてくださいね~!」
「ちょ、ちょ!! やめ、いてぇいてぇいてぇ!! 力強いって!! 指が食い込んでんだ腕に!!」
「鹿島! ガムテープ持ってるか!? こいつの口塞げ!」
「いやこれ完全に誘拐じゃないかぁああ!」
騒いでいたせいか周囲から注目を集めつつ、3人は校内に入っていく。慌てる狭山は抵抗するがビクともしない。鹿島はわかるが寅丸の方は、その小さな体のどこにそんなパワーがあるのかと疑問に思う。
「はい到着!」
寅丸が楽しげに言った。連れて来られたのはいつぞやの空き教室だった。
扉を開け中に入ると。
「……」
腕組をしながら仁王立ちし、狭山を睨む神白が立っていた。
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