第71話「桜の月」
「クソガキ……美月のさ」
2階へ続く階段にさしかかったところで、藤堂が立ち止まり、口を開いた。
美月は依頼内容を聞いた後、狭山からの返事を聞くことなく二人を部屋から追い出した。
手持ち無沙汰になったため、藤堂が屋敷を案内をするといって1階の紹介を行っていたのだが、今の声色はそれまでとは少し違っていた。
「母親」
「うん」
「死んじまってんだわ。去年」
狭山が目を見開く。藤堂は後頭部を掻いた。
「美月の誕生日が来週に控えていてさ。すげぇ子煩悩な人で。気合入れてプレゼント買って車で帰っている途中、事故に遭ってさ。交通事故だ。横っ腹……運転席側から突っ込まれてよ。治療施したけど駄目だった」
狭山は視線を逸らした。心臓の音が、うるさかった。
「そう、なんだ」
「それからだよ。この屋敷がおかしくなったの」
藤堂は天を仰ぐ。
「親父である文治さんは以前から仕事命の人間でね。母親の方は代わりに屋敷の使用人や美月に優しかった。使用人と一緒に家事をするのが好きだったんだ」
「美月さんの、お母さんの名前は?」
「サツキ。サツキ・ライシャロット。イタリア人にしちゃあすげぇ珍しい名前だろ? 日本に来てからは、桜の月って書いて、桜月って呼ばせていた。日本人っぽい名前だって本人は喜んでてよ」
藤堂が地面に視線を向け笑みを浮かべる。心の底から出している微笑みだった。それだけで彼女がどんな人間だったのかわかる。名前通りの優雅な人だったのだろう。
「あんないい人が死んでいいわけねぇよ」
眉間に皺が寄っている。
「交通事故って言ったけど信号無視とか?」
「飲酒運転だよ。しかも無免許の大学生の3人組だった。クソ」
壁に寄りかかり、藤堂は腕を組む。
「泣くくらい反省していたが当然文治さんは許さなかった。運転していた奴の家族はもう無残な結果にされたよ。筆舌になんとやらだ。殺しちゃいねぇけど、死んだ方がマシだろうな」
「残りの二人は?」
「ひとりは怒りの収まらなかった文治さんが追い詰めた。そしてもうひとりは、俺が片をつけた」
狭山が息を呑む。
「桜月さんは俺の命の恩人なんだ。下らねぇ喧嘩して、死にかけていた時に彼女が助けてくれた。恩返しに家事手伝ったら手先が器用だなんだいって執事にしやがって」
「でも亡くなってしまったから」
「そうだ。この家はこんな冷え切っちまった。使用人もどんどん辞めてな。文治さんや美月よりも、桜月さんがいたからここにいた人がほとんどだったからよ」
狭山は納得するしかなかった。この冷えた空気の理由も理解できた。
同時に、心が強く、締め付けられる。美月のあの強がりの笑みは、見たことがある。
自分だ。
自分も、あの顔をしていた。いや、今だってたまにしている。
「俺が何か入って変わるのか?」
「さぁ。ただの俺の勘さ。何か変わるかもしれねぇってだけだ。少なくともお前は行動を起こさない馬鹿じゃないってことだけは確かだしよ」
「他力本願だな」
「俺じゃああの子の心は開かねぇんだ」
藤堂は自嘲気味に笑った。同い年のはずなのに、彼はどうやら年齢以上に苦労しているようだった。派手な見た目をしているのは、その苦労を隠すためだろうか、それとも発散するためだろうか。
「なぁ。望み薄だよ。正直。俺はただでさえ、文治って人からいい印象受けてないんだから」
「依頼を断るつもりか?」
「そうは言ってない。けど俺以上にもっと使えそうな人がいるだろ。もっと吟味してから」
突然、藤堂が鼻で笑った。狭山が驚いている間にスマホを取り出し、画面に指を滑らせるとそれを投げ渡した。
そこに映っていたのは、鹿島がナンパ男を痛めつけている動画だった。
「どういうことだ!?」
「お前には意地でもやってもらうぜ、狭山。何、気にするな。上手く行こうが行かまいが、この動画は必ず消す。だが断ることは許さねぇし途中で投げ出すことも許さねぇ。意地でも受けてもらう」
「ふざけんな。消したはずだろ!」
「あそこで消すくらいなら、不良なんて名乗ってないさ」
胸倉を掴みそうになった。だがそんなことはできない。返り討ちが関の山だ。
ただ怒りで満ちる頭の片隅には、藤堂の必死さを理解している部分もあった。狭山は怒りを鎮めるように長く息を吐き出すと、藤堂にスマホを投げ返す。
「やるにしても、重要なことを知る必要がある」
「文治さんのことか。任せろ。スケジュール帳やらはすぐに把握できる。ただ仕事で忙しくてプライベートの時間なんてまともに取れない」
「それもそうだけど、思いもだよ」
狭山は悲しげに、呟くように言った。
「父親の方の思いだ。ただ押しつけがましく、娘のことを思えなんて言って聞く人じゃないだろ?」
「まぁな。お固い人間って奴だ」
「奥さんを亡くして仕事に忙殺される父親か」
独り言のように呟く。酷く親近感が湧くワードだった。
「どちらにせよ準備が必要だ」
「何か策でもあるのかよ」
「まぁね。俺は父親っていうのになった経験もないから気持ちはわからない。だから聞く」
自分の父親に。
もしかしたら、同じ境遇にいる親父なら、文治の心に響くようなワードを出してくれるかもしれない。
ただそれは、忘れたがっていた過去の記憶と向き直ることだった。
だがあの動画が藤堂の元にある以上、狭山に選択肢はなかった。当然美月のこともある。
狭山は覚悟を決めるしかなかった。
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