第68話「氷柱姫、荒ぶる」
後部座席に座る純は脚を組みなおす。これで何度目かもわからない。
ドアアームレストに肘をつき、ため息を吐く。何度も蘇るのは先日の義徳の言葉だ。
『狭山さんが辞めました』
聞いた瞬間純は目を丸くした。行動原理が意味不明だからだ。
綾香が何度も、ほぼ毎日狭山を復帰させるよう抗議しに来たのは、よく覚えている。だから文化祭に顔を出したのだ。綾香が楽しんでいるのかの確認と、狭山がまともに動いているかどうか、逆恨みで娘に危害を加えていないか、その確認をするために。
だが両者共に和気あいあいとした雰囲気であり、特に問題はなさそうだった。
それに加えて文化祭2日目が終わった後の綾香の言葉は信じられない物だった。
『狭山くんが私を守ってくれた。殴られて蹴られても、私を守ってくれたの』
作り話だとは思えなかった。体を張って娘を守ってくれたのは事実なのだろう。
だから純は戻すことを約束したのだ。また問題を起こしたら即クビ、二度と復帰させないことを条件に。
だが、狭山はすぐに辞めた。
狭山は辞める際、純にも挨拶をした。何の変哲もないお世話になったという礼だけだった。
「はぁ……」
ため息を吐く。脳裏に過ぎるのは、娘の今日の様子だった。
狭山が辞めたせいだろうか。もっと悲しむと思っていた。
ただ、今日は一段と様子がおかしかった。
それを見て察すことができない純ではない。
「告白して辞めたってこと? 何考えているのかしらあの庶民は」
説明不足という言葉がぴったりだ。さっさと辞めて欲しいと思っていた相手だが、こうなると意地でも辞めた理由を聞きたい。
「どうかされましたか? 純様」
運転手がバックミラー越しに言葉を投げる。
「何でもないわ。気にしないで頂戴」
吐き捨てるように答えて窓の外に目を向ける。雲一つない青空が広がる、空気が澄んだ月曜日に情景が広がっていた。
もう一つ気になる点がある。暴漢に襲われたという点だ。このまま彼女一人で登下校をさせるのは些か不安だ。そのため純は、"彼女"に陰ながら護衛を頼んだ。
「……はぁ」
ため息が止まらない。これ以上ないほど、娘のことが心配だった。
☆☆☆
「おい、綾香」
学校の中庭のベンチに座る寅丸は、隣にいる神白の横顔を見る。
ボーっと虚空を見つめていた。心ここにあらずといった様子だ。
「神白さーん?」
神白の隣にいる鹿島も声をかける。二人に挟まれる形にいる神白から、返答はない。
「綾香!!」
寅丸が平手で肩を叩くと、肩を大きく揺らし持っていたペットボトルが膝に落ちた。
神白はワタワタとした様子でそれを拾う。表情も焦りが隠せていない。
「……ごめん、トラちゃん、鹿島くん」
「いや謝らなくていいけどよぉ」
後頭部を掻く。休みが明け、メッセージの内容が気になった寅丸は朝から屋敷に行き神白を待っていた。そこで出会った彼女は若干放心状態だった。話しかけても生返事しかしなく、明らかに様子がおかしかった。
「神白さん、なんか疲れてるんですかね?」
苦笑いを浮かべながら鹿島が頬を掻く。
「教室でもヤバかったの?」
「いやぁ、それが」
鹿島が声のボリュームを落として喋る。
授業中も、神白は常にボーっとしていたらしい。教科書すら開いていない始末。先生に当てられても────
『き、聞いてませんでした』
────と言って慌ただしく席に座ってしまった。
他にも女子と一緒に話している時も表情がコロコロと変わったり、恋愛の話になると顔を真っ赤にしてトイレに逃げる始末。
クリスマスに向けてなのか、文化祭前よりも増えた男子の告白に対しては────
『こ、来ないで!! 今それどころじゃないの!!』
顔真っ赤で吠えたり。
『なんで私に告白しようとしたの? 私を好きってどういう感情?』
必死の形相で相手の気持ちを汲み取ろうとしたり。
『えへへ~……好きって……えへへ……好きって……』
頬が砕ける勢いのにやけ面でひとりでに悶えたり。
『心は決まっているのに、答えられなくてぇ……! だってずっと……でもあの告白は嬉しいけどなんでぇ……!! 何で来てくれないのっ!! なんでぇ……うえぇぇ……』
ガチ泣きして先生、生徒総動員で対応に当たったりと、他にも報告多数。
「こんな感じです」
「なんだそりゃ……」
どれもこれも、氷柱姫の渾名からは程遠い対応ばかりだった。明らかに異常だ。
「原因は、今日来てない奴だよなぁ。明らかに」
二人の視線が神白に集まる。頬がピクピクと動いていた。にやけるのを必死にこらえているのは、明白だった。
「まぁなんとなく察したけどよ、マジか」
「え……わかる?」
「やりますねぇ狭山くん」
神白の顔が赤くなる。満足そうな鹿島に対し寅丸は疑問符を浮かべる。
「あいつ意外と大胆だよな。ほぼ接点なかったくせにちょっと話す程度の中で告白するなんて。ちょっと軽いんじゃねぇか?」
「ち、違う! 実は理由がある……というか……」
「なんだよ理由って」
神白は言い淀む。そこで会話が途切れた。寅丸は首を傾げるばかり。
そこで鹿島が「あ」と声を出した。
「まさか、狭山くんの「執事バイト」って……!!」
鹿島が驚きの眼を向けると、頷きが返された。
鹿島は額を叩いて天を仰ぐ。
「ま、マジかぁ。すごいなぁ狭山くん。映画の主人公みたいだ」
「なんだよタケ。どういうことだ? 説明しろよ」
鹿島は寅丸にできるだけ簡潔に伝えた。狭山は執事として、神代綾香の家で働いているということを。
寅丸が口をあんぐりと開ける。
「あんまこういう陳腐な言葉使いたくねぇけど、運命だな。そら告るわ」
神白の顔が真っ赤になる。
「で、とりあえず付き合うことになったんだろ? おめでとおめでと。じゃあ狭山の野郎はあれか? 緊張が解けた安心から風邪でも引いたか?」
神白が頭を振った。
「付き合ってない」
「あ?」
「狭山くん、私に告白した後、返事も聞かずに執事も辞めるって言って、今日も来てないから」
目尻が潤んでいるのが見えた。
寅丸が大きな舌打ちをする。
「タケ。狭山の家教えろ。釘バット持ってカチコムわ」
「半グレじゃないんですから……いや、半グレみたいなものでしたね」
「ざけんなよあの野郎。勝手に自分の思いだけ伝えてあとは知らんぷりか? 自分勝手すぎるだろ」
鹿島は唇を結ぶ。寅丸のいうことは一理ある。
ただ狭山がそれほど不義理な男でないことも親友であるためよく知っている。
「まずは理由を知るべきですね。それが判明してしょうもないことだったら俺が殴りますよ」
「二人共、暴力はやめて」
神白が睨みつけた。
「甘々だな、狭山には」
「神白さん、そんなに狭山くんのことが好きだったんですね」
睨みつけている顔が一気に赤くなり、地面に向けられた。そして小さく首が縦に振られる。
「わかった。暴力は無しだ。ただ理由は知るべきだ。綾香もそう思うだろ?」
「うん」
「ならやることはひとつだ。タケ、お前が頼りだぜ」
「なんですかやることって」
「決まってんだろ。尾行だよ」
鼻で笑い自信満々な寅丸に対し、神白と鹿島は顔を見合わせ肩をすくめた。
お読みいただきありがとうございます!
次回もよろしくお願いします




