第64話「玄武の執事」
保健室の先生は血相を変え、狭山の怪我を見ていた。
「何? 喧嘩でもしたの? 大人しそうな顔して」
頬に氷嚢を押し当てられる。近くで見ると、目元の化粧が濃い先生だった。
「あなた、神白さんよね。有名人の。何があったか説明してちょうだい。まぁだいたいわかるけど」
「え?」
「あれでしょ。色恋沙汰でしょ。一人の美女と文化祭デートをめぐり熾烈な争いをする男子生徒たち!! うん、青春!! いいわよ~これ」
「いえ、ただ転んだ際に机の角で打っちゃっただけです」
狭山が言って神白が合わせるように頷く。
「あ、な~んだ。それもそうか、あなた争い事とかしないタイプの生徒っぽいし」
興味が失せたようだった。ノートに何か書くと、先生は出口へ向かう。
「私これから屋台で怪我してる子とかいないか見てくるから、落ち着くまでいてちょうだい」
「わかりました、ありがとうございます」
神白が頭を下げると出ていった。
沈黙が流れる。椅子に座る狭山は、対面にいる神白を見つめる。視線を下げていた。
相変わらず綺麗な顔だなと思う。怪我をしなくて本当によかった。
「ごめん、狭山くん。私のせいで」
「いや。別に神白さんは何も悪くないよ。あの変な連中が暴れたせいなだけで」
腿の上に載せていた神白の手に、雫が落ちる。
「ごめん、なさい……」
涙だった。
狭山は慌てて氷嚢を置くと、神白の両肩を掴む。
「謝らないでください!! 何も謝る必要なんかないです」
神白の悲しむ顔も、こんな姿も見たくはなかった。だが狭山の励ましはあまり効果がなかった。どんな言葉をかければいいのか、すぐには思いつかない。
情けなかった。喧嘩も弱ければ大切な人を元気づけることすらできないなんて。
「泣かないで、ください。お嬢様は、神白は笑顔の方が似合うから。俺に申し訳ないなんて思わないで」
涙で潤む瞳が向けられる。
けど誇らしかったこともある。
「神白は、怪我してないんだよね」
「うん」
「ならよかった」
重要なのはそこだった。
「あなたが傷つかなくて、本当によかった」
狭山は安堵の笑みを浮かべた。その笑顔に、神白は確かな胸の高鳴りを感じた。
「────ねぇ、狭山くん」
「ん?」
「狭山くんが執事になってくれてね、私本当に嬉しかったんだ」
「……え?」
脈絡もない、突然の告白に困惑する。
「どうしてかわかる?」
「いや、ちょっと、なんで、だろう」
「覚えてない? 私たち、ずっと前に会っているんだよ」
嘘を言っているようには見えなかった。だが首を傾げてしまう。狭山の記憶に彼女のような美少女の姿はなかった。一目見ていたら、忘れるわけがないのに。
「覚えてなくて当然だよ。だって私はその時……」
「……神白?」
「私ね、狭山くん。実は────」
その時だった。保健室の扉が開けられ、藤堂が入ってきた。
「どうも~。狭山くん」
「と、藤堂、くん」
「ああ、呼び捨てでいいよ。いやぁナイスファイトだったね。傍から見てて男らしくてカッコよかったよ! 聖の野郎の言葉も全然信頼できねぇな」
近場のベッドに座り足を組む。
「神白さんだっけ? 俺今から狭山くんと話したいことがあるんだわ。席外してよ」
「い、一緒にいるのはダメ、なのか?」
「ダメ。割と真面目に、重要な話だからさ」
危険な話ではなさそうだが見た目が危ない奴と二人っきりは精神的にキツい。
神白が藤堂を睨みながら狭山の手を握る。
「……神白。大丈夫だから」
心配している顔に対し、笑顔を返す。神白は渋々、頷きを返し保健室を出た。
同時に藤堂が狭山に近づく。
「俺のお嬢様か。あれってさ、役にのめり込んでいたから出た言葉じゃないよね? かなり言い慣れていた」
「い、いや、あれは」
「いいって。隠さなくていい。”だってわかるもん”」
「え?」
藤堂はニッと笑って立ち上がると。
途轍もなく、礼儀正しい所作で頭を下げた。
それは、義徳の動作を彷彿とさせた。
「初めまして、狭山執事」
声色が違う。さきほどまでのお茶らけた感じではない。
V系バンドをやっていそうな見た目のくせに、気品に溢れている。
「私。玄武洞の執事を担当しております、藤堂蛮示と申します」
藤堂が歯を見せて笑う。彼の歯並びはガタガタだった。何もかもがチグハグにしか見えない。不気味だった。
嘘を言っている風には見えない。玄武洞という名を聞いて、狭山の背に汗が伝う。
「そ、その、まさか俺のことを知って」
「神白綾香さんの執事なんだろ? うちの旦那……ああ、俺はボスって呼んでんだけどさ。あのパーティ会場で突っかかって聞いた時は馬鹿笑いしちまったぜ、ざまぁみろ」
見た目に合った話し方に戻った。
「聞いた時? 誰から聞いたんだ?」
「今の話でわからねぇかな。意外と馬鹿だなお前。美月だよ」
「美月……え、まさか」
「そう。俺は玄武洞美月の専属執事なんだよ」
狭山が絶句する。世界の狭さを痛感すると共に、まさかこんな野蛮な見た目の男が美月の執事だなんて信じられなかった。
「話を聞いた時は本当にお前だとは思わなかった。でも疑惑は確信に変わった。お前がウチのお嬢様を助けてくれた張本人だ」
「あ、あのその節は」
「ありがとよ」
「え?」
狭山の目が丸くなる。
「俺は美月のことをクソガキ呼ばわりしててな。でもそれは愛情表現みたいなもんだ。相手だって俺のことをクソ執事呼ばわりよ。ただなぁ、あの家での、クソガキの扱いは愛なんてない。目に余るものがあった。けど俺は立場的に歯向かえなかった。そんな中助けてくれたのが朱雀院の執事だって話だ。そりゃ礼の一つも言いたくなるさ」
「はぁ……」
「そこでだ。お前にはある可能性を感じてな。こんな卑怯な手を使って、鹿島を脅してようやく準備が整った」
狭山の目の色が変わる。立ち上がり相手の胸倉を掴む。
「やっぱりお前の指示だったのか!? あの二人は」
「ああ」
「ふざけるな! 神白を危険な目に合わせて、俺の友達に迷惑をかけやがって!!」
「お前の手を借りたい」
冷ややかに言い放ち、狭山の腕を掴む。途轍もない握力に、狭山は顔をしかめ手を放してしまう。
「お前は断れない。ここで受け入れて、手伝ってくれるなら、鹿島の動画は消すし非礼も詫びる」
「……俺に、何をさせたいんだ」
藤堂は嘆息する。
「美月を、喜ばせて欲しいんだよ」
その言葉だけは、とても優しげだった。
微かな優しさを感じながら狭山は眉根を寄せ、答えるまでの間、藤堂を睨み続けた。
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