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第61話「1位」

「ちょっとちょっと狭山くん!」


 隣のクラスから飲料を持ち運んでいた狭山は教室に入ろうとしたところで呼び止められた。さきほど接客員を集っていた女子、志摩(しま)が血相を変えて狭山の腕を掴む。


「え、志摩さん? どうしたの?」

「見てちょっとあれ。神白ちゃんが変な客入れちゃって」

「変な客って……そんな失礼な」


 苦笑いを浮かべ、扉の隙間から中を見る。件の神白と変な客は、窓際の席にいた。

 男女の二人組。男の方は老人だろうか、白髪頭で背を向けている。そして正面に座っているのは、マスクとサングラスをかけていた。そのため容姿がわからない。


「ね? 変な客でしょ」

「……うん。怪しさ全開だね」


 周囲にいた客も、接客しているクラスメイトも訝しんでいるのか、チラチラと見ている。

 狭山は志摩を見る。


「俺がちょっと様子探ってくるよ」

「おお。狭山くんって、話わかるいい人だね。全然話したことないからわからなかった」


 そりゃお互い様だと思いながら教室に入る。注文を客に運び、それとなく神白に近づき客も確認する。

「!!? よっ、義っ」


 叫びそうになったがグッと言葉を飲み込む。まさか義徳が来ているとは思わなかった。神白の顔を見に来たのだろうか。

 となると、前に座る女性は沙希さんか。いやどこか気品が溢れているし何より黒髪が美しい。となると思い当たるのは一人しかいない。


「純さんが来ているのか」


 だとすると自分の顔がバレるのはマズい。トレイで顔を隠しながら横目で様子をうかがう。

 神白の顔は明らかに不機嫌だった。


「何しに来たの」


 聞こえてくる声も鬱陶しそうだった。女性が溜息をついてサングラスを取る。予想通り純だった。


「客に対してそんな態度を取るの? この店は」

「クレームは受けてない。変に騒ぐなら帰って」


 鋭い目つきがよく似ている二人。オマケに雰囲気も喋り方もだ。そのせいで周囲に冷たい空気が漂っている。隣の席に座っているカップルが微かに身震いした。


「もう一度聞くけど何しに来たの」

「あなたがクラスの方々に迷惑かけてないか見に来たのよ」

「余計なお世話」


 だが二人はそんなことお構いなしに睨み合い、言葉少なに会話し続けている。冷たい空気は淀み始め、険悪なムードが漂う。

 どうしたものかと悩んでいる時だった。ずっと黙っていた義徳が、ジッと一点を見つめていた。

 自分を見ているのだろうか。狭山は疑問符を浮かべながら自分を指差す。

 頷きが返された。


「マジっすか」


 口許だけそう動かす。義徳はニッコリと微笑んだ。

 ため息を押し殺し、狭山が近づく。


「あの、失礼します。ご注文はお決まりでしょうか」


 純がギロリと睨んだ。


「おや。ご主人様と呼んではいただけませんか?」


 義徳ののほほんとした声が割り込む。


「し、失礼しました。ご主人様」

「ふふふ。普段絶対に言われることがないので格別ですね。狭山さん。先程からしっかりと歩けております。立派ですよ」

「あ、ありがとうございます」


 状況が状況とはいえ、やはり義徳から褒められるのは嬉しい。


「では私は狭山さんとお嬢様が入れたコーヒーを。あ、お嬢様は純様用にお作り頂ければ」

「必要ないわ」


 突然純が席を立ち、サングラスをかける。


「あ、あの。せめて一杯飲んでから」

「必要ないって言っているの。あなた、客に文句言う気?」

「え、いえ。そういうわけでは」


 狭山は純が来た理由を察していた。単純に親心で神白の様子を見に来たのだろう。神白は去年文化祭などのイベントにほとんど参加していない。娘が楽しんでいるか知りたいだけ。それがわかった狭山が言葉を紡ごうとした。

 だが、サングラスの下にある目が狭山を睨んだ。

 押し黙る。目が口ほどにものを言っていた。黙っていろと。

 純は神白に視線を向ける。少しだけ沈黙が流れたが、痺れを切らしたように神白が口を開く。


「二度と来ないで。あと狭山くんに失礼なことも言わないで」

「そうね。今度来た時用に言葉は取っておくわ」


 そう吐き捨て出口へ向かう。義徳は頭を振った。


「申し訳ございません、お嬢様。狭山さん。この埋め合わせは必ず」


 義徳が立ち上がった時には、純はすでに受付にチップを渡し終えて廊下に出ていた。義徳は二人に頭を下げるとその後を追った。

 二人は動かず、出口を見ていた。

 

「……ごめんね、狭山くん」

「何が?」

「ううん。ごめん」


 何に対しての謝罪なのかわからなかった。ただ狭山は純に少しだけ同情した。

 娘に対して何か言いたいことがあったら言えばいいのだ。いつでも言えると思ったら、間違いなのに。


「ちょっとちょっと狭山くん! あの二人組の客なんなの!? 明日の分のチップまで全部置いてっちゃったんだけど!!」


 志摩の言葉を聞きながら、狭山の脳内に、もう写真と映像でしか見ることができない母親の姿が流れた。




★★★




「いかがでしたか、純様」 


 階段を降りる純に語りかける。彼女は振り向きもしない。


「せめて一杯だけでも飲んでいけばよかったのでは。お嬢様が入れてくれる珈琲。中々ですよ。もちろん狭山さんも」

「どうでもいいわ。やっぱり来るべきじゃなかったわね。うんざりよ。五月蠅いだけ」


 周囲から聞こえてくる生徒と一般人の喧騒が校舎の壁を突き破ってくる。文化祭は賑わいを見せていた。


「純様。よかったですね。綾香お嬢様の楽しんでいる姿を見れて」


 純は一度立ち止まり、口許をゆっくり動かすと再び歩き始めた。


「そうね」


 確かにそう動いているのを確認し、義徳の顔に笑みが浮かんだ。




★★★




 夕方になり文化祭一日目が終了した。クラスでは、さきほど売上発表があった。二日間あるため中間発表といったところだ。狭山たちのクラスは、暫定1位。


「そりゃそうだよなぁ。綾香いる時点で厳しいわマジで」


 中庭に寅丸の悔しそうな声が響き渡る。彼女の言う通り狭山のクラスは神白による功績が大きい。クラスメイト全員が神白に感謝していた。


「本当に助かりましたね。今日は特に男性客が多かったです」

「ただそのせいで神白さん、全然休みなかったけどな」


 狭山はいたわりの視線を、ベンチに座る神白に向ける。


「ううん。私は楽しかったから平気」


 頭を振ってその気遣いを受け取る。寅丸の大きな溜息が零れる。


「まぁ見てろよ綾香。明日は私が舞台に出るからよ。客も大勢来るぜ」

「またあの不良たちと暴走族の連中呼ぶ気ですか……?」

「暴れねぇように制御するから平気平気~」

「そもそも入れないかもしれませんよ。あの方々」

「あ」


 物騒なことを言っているのは鹿島の方に任せて狭山は神白の隣に座る。


「楽しかったですか? ”お嬢様”」


 クスリと、微笑みが返される。


「今はお嬢様じゃないよ。みんなのメイドさん」

「み、みんなの……」

「……何か変な想像したでしょ」

「い、いいや!? そんなことないっすよ」

「もう」


 呆れた口調だがその顔には笑みが浮かんでいる。少し前からは考えられないほど距離が近い。ただ、以前よりも緊張が薄れていた。

 胸は高鳴っている。緊張ではないことは確かだ。


「なるほどね」


 自然と口から零れ落ちていた。よく漫画やドラマの表現である、「特に悪い所がないけど胸が痛い」という言葉。その意味がようやくわかった。まさか現実(リアル)で味わうとは。


「どうしたの狭山くん」

「いいや。明日も、いい日になればいいなって思っただけだよ」


 それを聞いて、私もそう思ってた、と神白は静かに言った。




★★★




「何? 私たちのクラスが学年で最下位って。全然あんたらやる気ないでしょ。神白がいるクラスなんかに負けてんじゃないわよ」


 西条は自分のクラスの中心人物である。実行委員自体はやらないが、発言権は彼女が持っている。発言力もあるせいか彼女の意見を、クラスの皆は否定できない。

 クラスの屋台の売上は散々だった、という結果に、西条はクラスメイトを一喝すると屋上へ向かった。

 不機嫌さを隠さない。そのイライラは、すでに屋上にいた男子にぶつけられる。


「藤堂! どうなっているのよ!」

「あ? 何が」


 手摺に背中を預けていた藤堂が西条を捉える。隣にいた聖も同じく視線を向けた。


「あんたの策とやらはいつ使われるの?」

「常識的に考えろよ。チャンスなんて明日しかねぇさ」

「信用していいのよね?」

「おう。任せとけ。お前の望みである神白綾香を辱めるって奴は達成できるだろうよ。だから明日を楽しみに待っとけ」

「よし。ならいいわよ。……待ってなさい、神白」


 奥歯を噛み締めるが口角を上げる西条は、何とも醜い面をしていた。

 聖はそれを冷ややかに見つつ藤堂に言葉を投げる。


「自分は勝手に動くから。好みの女を落とすのは、自分自身の力でやりたいし」

「勝手にしろよ」


 笑いながら言うと空を見上げる。雲が多くなっていた。


「明日は荒れるかな?」


 藤堂は”狭山に”期待しながら、明日は雨が降るように天に願った。


お読みいただきありがとうございます。

次回もよろしくお願いいたします。

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