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第57話「想いが心を満たした」

 こんな状況になるなら、風邪など治らず寝込んでいた方がよかった。というか熱がぶり返しそうだ。

 テレビからはニュースキャスターの声と街が荒れている映像が流れている。狭山と神白は黙ってそれを見ていた。


「……雨、凄いね」

「多分、止まないかもね」

「うん。電車も動いてないし」

「……」

「……」


 神白が”雨宿り”を開始してから早10分。こんな会話ばかりだ。

 狭山は頭をフル回転させて話題を見つける。


「き、去年も一昨年もさ、家の近くに雷落ちたんだ。しかも今と同じ冬場近くになると必ず。親父は避雷針になっているのかなぁなんて笑ってて」

「うん」

「……いや、そんだけなんだどね」


 狭山は乾いた笑い声をあげて誤魔化した。


「そう」


 じっと狭山を見つめながら、神白は頷いた。

 なぜだか無性に死にたくなった。口を開けばゲームか寝ることくらいしか話題がなく、異性との会話などほとんどしたことがないのが仇となった。こんな特殊な状況で話術が発揮されるなど、土台無理な話である。

 狭山は心の中で、早く雨が弱まるか電車が復旧して欲しいと願った。

 その時、テレビから速報を告げる音楽が流れた。カメラがスタジオを映す。


『速報です。豪雨と突風の影響により、この状況が続く場合、一部の路線で終日運転を見合わせる方針が鉄道会社から発表される事態となりました。現場から中継です』


 画面が切り替わる。会見で話している人物からは「午後9時から終日まで運転の見合わせを行う」とのこと。

 狭山は壁時計を見る。いつの間にか18時を回っていた。


「か、神白さん。これ早く帰らないとマズいんじゃ」

「……でも、電車動いてないから」


 神白はスマートフォンの画面を見ながら言った。


「まだ運転見合わせ中。目黒駅に行く手段がない」

「車とかは」


 聞こうとしたその時、神白のスマートフォンが音を出した。着信だったらしく神白は通話に出る。


「もしもし。義徳さん」


 義徳からだったらしい。狭山は自然と背筋を伸ばしてしまう。


「うん。うん。大丈夫。今は……狭山くんの家」


 それ言っていいのか。狭山は一瞬焦る。


「車はやっぱり出せない? だよね……」


 神白が口を閉じ、何度か頷くと、スマートフォンを渡された。


「義徳さんから」


 狭山は恐る恐るといった具合で受け取り、通話に出る。


「もしもし、義徳さん?」

『狭山さん。お疲れ様です。申し訳ございません、うちのお嬢様が迷惑を』

「め、迷惑だなんて思ってないです! むしろ、感謝してます。お見舞いに来てくれたおかげですっかり良くなりました」

『そうですか。それはよかった。その様子ではクビの件に関してもお話したようですね』


 狭山は口を閉じた。


『狭山さん』

「……はい」

『”本音”を語りましょう。私個人としては、狭山さんをこのまま辞めさせるつもりは毛頭ありませんよ』

「へ?」

『むしろ今週にも来て欲しいくらいです』

「え、ええぇっと?」

『このようなことを申し上げるのは、それほどお嬢様が狭山さんという執事のことを、気に入っているからです』


 小さな笑い声が届く。


『狭山さん。まだ執事でいたいですか?』

「……はい」

『よろしい。それでは本日、友人として、そして執事の心構えを忘れず、状況が変わるまでお嬢様のお世話をお願いします』

「え、え、いいんですか?」

『はい。どうか、よろしくお願いいたします』


 通話先で義徳が頭を下げている光景が見えるようだった。


「……かしこまりました。お任せください、執事長」

『いい返事です、”狭山執事”』


  別れを告げスマートフォンを返す。神白も二三言葉を交わすと通話を切った。

 狭山の胸中が熱を帯びる。やる気という炎が灯った。


「よし」


 立ち上がって体温計を手に取る。熱を測ると、平熱になっていた。


「神白さん」


 狭山は神白の前に跪いて視線を合わせる。

 緊張が走るが、義徳の言葉を思い出し思考を切り替える。

 今の俺は神白の世話をする執事である。


「義徳さんからの伝言で、電車が動くまでは俺が執事として神白さんをおもてなしします。都合のいい時に執事風ふかす感じになっちゃうけど、友人として接してくれると嬉しい」

「いや、駄目だよ。いいよ寝てて。風邪が」

「もう平熱だから大丈夫です! むしろ動きたいんだ」


 黙っていると緊張でどうにかなりそうだった。狭山は流れを変えようと次はどうするか思案する。

 その時、腹の音が鳴った。自分の腹からだった。

 だが音量が大きかった。恐る恐る神白を見ると、視線を逸らしていた。


「神白さん?」

「なに」

「お腹減って」

「違う狭山くんの音だけ」


 じっと見つめていると、神白が眉間に皺を寄せた。

 そして、再び音が鳴る。

 氷のように冷たい表情が特徴的な、神白の白い頬に朱が差し込まれた。狭山は口許を隠して顔を逸らす。


「笑ったでしょ」


 キッと睨む彼女に対し、両手を向ける。


「そうだね。俺の腹の音だよ。なんか元気になってきたらお腹減ってきたから……そうだな」


 狭山は自宅の冷蔵庫に何も入ってないのを思い出す。


「うーん、食べられる物……カップラーメンくらいかなぁ。でも神白さん、カップラーメンなんて」


 セレブなお嬢様である神白がそんなもの食べないだろ、という視線を向けると。

 神白は、瞳を輝かせていた。




☆☆☆




 テレビからはバラエティー番組の音声が流れている。芸能人やらアイドルやらが出演しているクイズ番組なのだが、やかましいだけで見る気はしない。ただ賑やかしとしては上々だった。

 ダイニングテーブルの上にはインスタントラーメンが並べられている。非常食も兼ねて、かなりの数を収納していた。神白はお粥を作っていた時には気づかなかったらしい。


「おお……」


 並べられた物を見て感嘆の声を上げた。


「めずらしいの?」

「食べたのは小学3年生が最後」

「あら~。マジでセレブってこういうの食わないのか」

「お母さんがこういうの嫌う人で」

「ああ、なんか納得。一流ならそれにふさわしいランチを食べなさい、とか言いそう」

「凄い。狭山くんの言う通り。エスパー?」


 二人は笑い合う。


「どれ食う? 俺は腹が減ってるけど胃が心配だから春雨系にしようかな」

「迷う。どれにしようかな」


 神白はカップラーメンを手に取る。


「しょうゆ、カレー、味噌、トマト、トムヤムクン、豚骨……サワークリームオニオン味に、アメリカン? ビビンバ風担々麵? ちょ、チョコレート味???」

「うん、ごめん。ゲテモノ系はスルーして。気の迷いで買っちゃったの」

「う、うん」


 そうして悩んでいるうちに一つがピックアップされた。


「これにする。地獄激辛シーフードグリーンカレーヌードル」

「神……お嬢様!? ゲテモノはスルーしてっていったでしょ!?」

「ゲテモノじゃないよ。地獄激辛なだけ」

「いや後半部分がゲテモノに……いえ、まぁ了解。作ります!」


 といってもお湯を入れるだけだ。ヤカンに水を注ぎ沸騰するのを待つ。

 お湯が沸くまでの間、神白は嬉しそうな表情でいろんなカップヌードルを見ていた。


「今度さ、また食べようよ」

「うん。隠れて食べよう」

「……こんなことしてたら義徳さんに怒られそう」

「そんなことしたら、私が義徳さんの秘密暴露する」

「何かあんの? あの人」

「よく仕事中に勝手にコーヒー飲んでる」

「ええ!? うそぉ!?」


 最初の緊張感はどこへ行ったのか。いつの間にか二人の空気は和気あいあいとしていた。

 その時だった。再び速報を告げる音が鳴り響き、視線がテレビに注がれる。


『関東路線、午後9時より終日運休の見込み』


 狭山の表情が険しくなる。


「神白さん、電車は?」

「……復旧の目途が立たないみたい。ニュースが流れる。落雷のせいで電車が途中停止しているところもあるんだって」

「踏んだり蹴ったりか……」


 言ってから、気付く。


「あれ……ちょっと待って。これどうやって神白さん帰ればいいんだ」


 狭山の家から神白の家までは歩いて帰れる距離ではない。頑張れば可能ではあるが、そんなことをさせたくはない。

 かといってタクシーなどは使えない。車の迎えが来るとしても、何時になるか。


「いてもいい?」


 神白が聞いた。


「……一緒に、いてもいい?」


 小首を傾げて聞いてくるお嬢様。

 ヤカンが沸騰し、甲高い音が鳴る。それは緊張と動揺がピークに達した狭山の脳内に鳴り響く、警告音のようであった。

 狭山はコンロのスイッチを切り、頬を叩いて気を入れ直す。


「いてもいい。その方が嬉しい。けど、神白さん。夜遅くまで一緒にいるなら、ちゃんと許可を取ろう」

「……お母さんの?」

「ああ」

「いいよ。黙っていれば絶対気づかれないし」


 神白は不満げに腕を組み視線を逸らす。


「駄目だ」


 きっぱりと言った。神白が目を丸くする。


「俺は神白さんが嘘を吐くところを見たくない。俺のために嘘を吐こうとしているなら尚更だ」


 狭山は頭を振った。


「けど、今の俺は執事でもあります。”お嬢様”が不快と思うなら、電話しなくても大丈夫です。自由にこの家を使ってください。いてくれるのは、本当嬉しいんです」


 とんでもないことを言ってしまった。しかし狭山に照れは無かった。

 お嬢様のお世話ができることに喜びを感じている。狭山の姿は立派な執事のそれであった。

 神白はその姿を見て、表情を整え頷きスマートフォンを操作する。

 画面を耳元に持っていき、通話を待つ。

 だが待てども、純が出ることはなかった。


「出ない」


 言ってから義徳に電話をかける。2コールもしないで出た。


「義徳さん」

『どうされましたか、お嬢様』


 神白は画面を操作しスピーカー状態にする。狭山にも義徳の声が聞こえるようになった。


「ニュース見た? 今日は、帰れそうにない」

『そのようですな』

「宿泊について話したいから、お母さんはいる?」

『おお。純様に申し出るとは……お嬢様、立派ですよ。そして狭山執事もです。男ですね』

「恐縮です!」

「それで、いるの?」

『それが友人宅でまだ商談中らしいです。青龍頭(せいりゅうとう)の方です。恐らく電話をかけても深夜まで、下手すれば明日まで音信不通でしょう。純様は電源を落とす方ですから』


 なら、と言って神白が言葉を遮る。


「義徳さんから許可が欲しい」

『ええ、構いませんよ』

「え、軽っ」

『狭山執事が女性をはべらかす危ない方なら是が非でも止めますが、そうではありません。狭山さんは、立派なお嬢様の執事です。共に主と従者として、ご学友として仲良くお過ごしください』

「けど義徳さん。俺と神白お嬢様は、その、男と女です」


 義徳が微かに笑った。


『私は狭山執事を信じておりますので。どうかよき思い出にしていただければと思います』

「……大丈夫なんでしょうか」

『ご安心ください。何かあればこの老骨が、狭山さんをお守りします。今度こそ。なのでお嬢様のことを、よろしくお願いいたします』


 そこまで言われてしまっては、もう了承するしかない。


「かしこまりました」

「ありがとう、義徳さん」

『お酒は飲まないように、夜更かししないように、あとは』

「大丈夫だから。うん、ありがとう」


 通話を切った。

 沈黙が流れ、二人は見つめ合う。

 とんでもないことを言った狭山の顔は真っ赤だった。


「狭山くん」

「は、はい」

「ちょっと私、ワクワクしている。狭山くんと一緒にいられるから」


 ふわりとした笑みを浮かべる神白。その笑顔に氷のような冷たさは微塵もない。

 それを見て、胸の高鳴りを抑えられそうになかった。

 狭山は自覚した。自分の思いを。




 ――ああ、そうか。俺、この子が好きなんだなぁ。




 自然と頭の中に浮かんだその言葉は喉奥に引っかかった。

 いや、何とか飲み込んだのだ。

 コーヒーを注ぐような勢いで、喋ってしまいそうだったから。


お読みいただきありがとうございます。

次回もよろしくお願いします!

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