第55話「会いたい・会いたい」
文化祭まで1週間を切っていた。この学校では文化祭の準備は早めに行われる。
体育館を貸し切って行われる演劇や軽音部、吹奏楽部の公演の準備は、夏休みの頃から始まっている。特に演劇で使われる大道具小道具の数々を揃えるのは時間がかかるらしい。
だが準備期間が長いおかげか、毎年クオリティが高い。今年は校内でトップクラスの不良である寅丸大河がいるクラスが行うため不安視されていたが、例年通り問題なさそうだ。
教室を使って行われるお化け屋敷や喫茶店などのクラスも、今月の頭からすでに準備に取り掛かっている場所もあるらしい。すでに看板もできあがっている所もある。
「で、看板のデザインはこれね! 下書きは金曜日に終わってるから――」
デザイン担当の女子の声が木霊する。このクラスは準備が一際遅れていたはずだが、どうやら土日も動いて準備を進めていたらしい。
「衣装届いたよー」
男子が足で扉を開け、段ボールを抱えて入ってきた。クラスメイトが群がり衣装を確認する。
「え!? 何これ、ハロウィン衣装とかあるけど」
「もう終わったよね、ハロウィン」
学園の文化祭は11月の下旬に行われる。この時期なら、どちらかというとクリスマスコスチュームの方が季節にあっている。
「ん? ナース服とかあるぞ」
「なんだよごった煮のコスプレ喫茶やるしかねぇなぁ」
「とりあえずメイド服数枚あるけど、1枚は神白さんだべ」
「うわぁ見てぇ。超見てぇ」
声高に言う男子を横目で女子たちが睨みつけている。邪な気持ちがあろうが、全員がそれなりに文化祭を楽しみにしていることが見て取れる。
「食品の買い出しとかはまだいいとしてさ、余ったダンボールとかスーパーで貰いに行った方がいいんじゃないの?」
「え? 料理の練習しておいた方がいいんじゃねぇの? ふかし芋提供するんじゃないだろ」
「買い出し班こっち~!!」
看板の下書きを見ていた女子が「あ」と声を上げる。
「準備室から看板書くのに必要な道具とってこないと」
「あれ地味に重いよ? 数も多いから手が空いてる男子行かせればいいじゃん」
女子は頷いて視線を動かす。そしてある人物を呼んだ。
「あ、ねぇ。狭山くん暇そうだから、ちょっと手伝ってよ!」
曇天を見ていた狭山は振り返って、
「……わかった」
ぎこちない笑みを浮かべた。
その様子を見ていた神白が訝しむが、狭山はその視線に気づかなかった。
★★★
「よかったじゃないですか、狭山くん」
準備室に向かう途中、手伝いを申し出た鹿島がそう言った。足止めずに声だけ投げる。
「何が?」
「イメチェン成功ですよ。クラスの女子たちも、狭山くんの名前と顔を覚え始めてますし、男子からも結構――」
「どうせこの一週間だけだよ。またいつもの陰キャに逆戻りさ」
自嘲的な笑みを浮かべた。鹿島は目を細める。
「何か、ありました?」
「なんだよ。突然」
「いえ、どこか様子がおかしいというか。土日が終わった後、狭山くん毎回楽しそうにしてたので」
「……お気に入りのゲームやってたんだけど、もうクリアしちまってよ。面白かったのに」
「え? バイトは?」
「ん? あ、ああ。バイトね」
言い淀んでいたようだが、狭山は鼻で笑った。
「クビだってさ」
お手上げだ、というように肩をすくめた。
「仕事中にやらかしてご主人にどやされて終わり」
「……そう、ですか」
「まぁ俺には向いてなかったってことだな。執事は」
へらへらと笑いながら歩いていると、鹿島が足を止めた。
「本当に思ってます? どこか悔しそうに聞こえるんですけど」
狭山の足が止まる。
「……悔しい? なんでさ」
「だって頑張ったんでしょ? 仕事」
「頑張ったからって褒められるわけじゃねぇだろ。仕事も、勉強もさ」
ぶっきらぼうに言い放つと狭山は再び歩き始めた。
明らかに友の様子がおかしかったが、これ以上の詮索は無意味に等しい。
「相談があるなら、のりますよ」
「いらね。とりあえず今は文化祭だろ? 俺コーヒーくらいしか淹れられないぜ」
「充分じゃないでしょうか。見せてくださいよ、バイトの成果」
「だな」
肩越しに見えた狭山の口角は、微かに上がっていた。
★★★
「ただいま」
返事はない。どうやら今日は父がいないらしい。また数週間留守にする気だろう。
狭山の眼前に薄暗い廊下が広がる。靴を脱いで2階にある自室に向かい扉を開ける。
床には本が散らばっていた。片付けられない人間だと自覚しているが、ちょっと汚すぎる。
「土日で掃除しとけばよかった」
掃除の技術は義徳さんと沙希さんから教わっているから、いつもより早く綺麗になるかもなと思い、フッと笑う。
荷物を置いて制服姿のまま、本を拾い上げる。
『美味しい珈琲の淹れ方、初心者でも安心、豆の挽き方まで徹底レクチャー』
「あんた言われてたわよね? 誰にも干渉するなって」
新しい本を手に取る。
『コミュニケーション能力を身に着ける! 一流はこうして喋る』
「高校生にもなって自分の感情を押し殺せないわけ? どこで騒いだらいけないか判断できないの?」
新しい本を手に取る。
『綺麗な喋り方と日本語の書き方~バイトだからって手を抜かない!全ての仕事で活用できる完全版~』
「ならしっかりと決め事を守れ!! 金払ってんだよこっちは!」
本を学習机の上に置くと、視界の隅に別の本のタイトルが飛び込んだ。
『人に好かれるとはこうする。変わるのは、あなた自身』
「お前の謝罪なんて聞いても何の得にもならない。意味もない。時間の無駄よ」
また、違う本のタイトルが映る。
『努力は報われる、嫌いな者に認められて、ようやく半人前である』
『ストレートな恋愛心理学』
狭山の眉間に皺が寄る。歯を噛み締め、腕を上にあげると、手に持った本を叩きつける勢いで振り下ろした。
本が散らばる。それでも怒りは収まらなかった。机の上の物を腕でどかし、床に落としていく。本だけでなく文房具や無理を言って買ってもらったノートパソコンも充電器ごと落ちる。
激しい呼吸を繰り返しながら、ふと、ある本が目に入った。それだけは机から落ちずにいた。
いつか見たファッション雑誌だった。自分もこうやってカッコよくなれるだろうか思った本だ。
結局、そうはなれなかった。
頑張った。俺は頑張っていた。至らぬ所は多かったかもしれないがそれでも努力したつもりだった。間違っていたかもしれないが自分の力を出して、本気で執事の業務をこなそうとした。動画もいくつも見たりした。それが楽しかった。
執事の仕事は、楽しかった。自分を変えるきっかけをくれたあの仕事が好きだった。
「貧乏なくせに片親だからこういう不出来な子ができちゃうのかしらね」
あんなことを言われるために。
「俺は、頑張ってきたんじゃない」
学習机の上に一粒の水が落ちた。
もう神白の執事じゃない。その事実が蛇のように動き、頭と心に絡まっていた。
★★★
「え……狭山の奴、クビになっちゃったんですか?」
夜、廊下にてサービスワゴンを押していた沙希は一緒に歩く義徳に聞いた。
ワゴンの上は空になった皿ばかりが乗せられていた。食堂で行われた純主催の会社関交友パーティは終わりを迎えようとしていた。
「ええ。力及ばず、純様の怒りが勝ってしまって」
「まぁ玄武洞だから……いやでもそこまで怒ることかなぁ」
沙希は口許をへの字に曲げた。
「確かに純さんは高圧的で厳しい人ですけど、そんな失敗でクビにまでしますかね? 玄武洞と仲が悪いとはいえ、美月ちゃんを庇ったという事実とバイトの子が相手だって知ったら、相手も水に流してくれるくらいの度量はあると思います」
「ええ。仰る通りです。どうやら純様は、これ幸いにと狭山さんを切ったらしいですね」
沙希は目を丸くする。
「何のために、ですか?」
「さぁ。そこまでわかっていれば、私が狭山さんのクビを阻止しております」
義徳が嘆息する。
「沙希さん。どうかこの件は御内密に。特に綾香お嬢様には知られないように」
「今週の土日になったらわかってしまうことでは?」
「今週は文化祭です。学校の行事の際はいつも仮病を使ったりまともに参加しなかったお嬢様が、今年は異様にやる気を出しております。せめて純粋に、楽しんで欲しいのです」
「なるほど。承知いたしました。とりあえず狭山のクビに関しては私と義徳さんの秘密――」
廊下の角から人影が姿を見せた。
「どういうこと?」
その人物を見て、沙希は顔を引きつらせ、義徳は諦めたように視線を切った。
「なんとタイミングの悪い」
「ごめん義徳さん。つけてた。どこか様子がおかしかったから」
「これはこれは」
情けない、というように頭を振る。
「年だけ無駄にとっているようですね。まだまだのようです、私は」
「義徳さん。沙希さん。責める気はないけど教えて。今の話は、どういうこと?」
義徳と沙希は顔を見合わせ、仕方ないというように、義徳が頷いた。
事情を全て話し、狭山のクビが正式に決まっていることを話すと、神白の表情が怒りに染まった。
「母さんは」
「すでに屋敷から出ております。今度は友人宅で――」
言葉を聞き終える前に踵を返し、神白は走り去った。
廊下を走らないようにといつも小言をいう義徳だったが、今だけは声が出なかった。
「いいんですか?」
「……ふむ」
「何か、いい案でも?」
期待を込めたその言葉に微笑みを返す。
「爺に若い二人の愛を繋ぐ力はないのかもしれません」
今までにない力のない笑みを、義徳は浮かべた。
★★★
部屋に戻るとルインが出迎えてくれた。主の気配を察知してか、小さな鳴き声を出しながらすり寄ってくる。シェパードだというのに、甘え方は小型犬を彷彿とさせる。
「大丈夫だよ、ルイン。ありがとう」
神白はその頭を撫でる。
「ごめんね、ご飯。義徳さんから貰ってね」
★★★
翌日は大雨だった。滝のような雨は風が無いのが幸運だったが、電車を遅延させるほどの容赦のない降り方をしていた。だからといって学校が休みになるわけでもない。台風でもないのだから。
今日は授業も2限分潰れるため、文化祭準備が主になるだろう。
「で、今日休みは?」
「狭山くんがいません」
鹿島が言った。担任は教室内を見渡す。
「狭山~。あれ、本当にいないのか今日。あいつ勿体ないなぁ皆勤賞だったのに」
そう言いながら生徒名簿に何かを書いた。
神白の心がざわつく。外から聞こえる雨の音が、そのざわつきを大きくさせているようだった。
★★★
「ぶえっくしょい!!!」
親父のようなクシャミを吐き出し、狭山は身震いした。
脇に挟んだ体温計が鳴る。手に取ってみると電子数字は「38.5」と表示されていた。
「あかん死ぬわこれ」
体温計をしまってベッドに倒れる。
先日の大暴れのせいか、それとも身体的な疲れのせいか、昨日風呂上りに髪の毛も乾かさずパンツ一丁で寝てしまったせいか、風邪を急に引いてしまった。
父にはすでに連絡したが、異常に心配していた。無理やりにもいったん帰宅するといっていたが、今日は帰ってこれないだろう。
また文化祭準備参加できないなと思いながら、心の片隅で安堵していた。
神白に、会わなくて済む。今神白を見たら、純の言葉が思い返される気がした。
だから会えなくていいのだ。そう自分を説得し目を閉じる。
見えてくるのは、笑顔の神白だった。
「会いてぇなぁ」
右腕を目元に被せる。解熱剤を飲み冷却材も額に這ってあるが一向に良くなる気がしなかった。
ため息を吐く。ひとりで病気になると、急に心細くなる。この現象に名前はあるのだろうか。
「あるのかなぁ」
ひとりごとが室内に木霊する。
虚しかった。掠れた声で笑うと咳が出た。
その時だった。玄関のチャイムが鳴った。セールスだろう、こんな雨の中ご苦労様だと心の中で悪態を吐いて布団をかぶる。
再び鳴った。
「うるせぇなぁ。こちとら病人だぞ」
狭山は不機嫌さを隠さずベッドから起き上がる。文句を言ってやると誓い、ふらつく足取りで玄関まで行って扉を開ける。
「セールスならお断――」
言葉が止まった。
なぜなら。
「狭山くん」
傘を差して立っている、神白がそこにはいたからだ。
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