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第52話「0.84秒」

『……最善は尽くしましたが、残念ながら……』


 嗚咽が聞こえた。本能的に、その声を聞きたくないと強く思った。

 目の前に差し出されている大きな手は小刻みに震えていた。見上げると、もう片方の手で目元を隠していた。

 手を握る。それで声が止まるなら、お安い御用だった。

 手が握り返され、見下ろされる。

 泣き顔が見えた。父の泣き顔を見たのは初めてだった。


『どうして、こんな……』


 言いながら膝を折った父は、両手を広げて優しく抱きしめてくれた。

 どうして。言葉と共に嗚咽も大きくなり震えも大きくなった。

 どうすればいいのかわからなかった。

 ただ、できることは。


『泣かないで』


 そう言いながら服を掴み続けることだけだった。

 それが、1年前。

 そこから家から笑顔が消えた。あくまで、こちらに向けられる笑顔の話だが。


 いつの間にか父は笑顔が増え、周りに人が増えた気がする。

 対しこちらは笑顔も少なくなり、人が減った気がする。

 食事をするのも別々になった。会話はますますなくなっていった。学校の行事に父が来ることなどもちろんない。

 だからパーティに一緒に行くことになった時は、嬉しかったのだ。




☆☆☆




 美月(みつき)は隣に座る父親にバレないようため息を吐き、窓の外に目を向けた。

 流れていく夜景。高速道路に入っている車のスピードが緩まることはない。光の粒が流れていく光景は、見ていて楽しい。冬が近づいている秋の夜。色が付いているような澄んだ風が流れている。

 夜景は好きだ。今から向かう所と同じ煌びやかな世界が広がっているのだが、この美しさには敵わない。あちらの煌びやかさは美しくない。

 なぜかはわかっている。人間がいるかどうか。そこで評価が変わるのだ。風景というのは。


「今日は中々な面々が揃っているな」


 父はいつの間にかタブレット端末を取り出し、画面を指で擦っていた。運転席に座る父専属の執事が楽しげに喋り始めた。


「金持ちは当然、スポーツ選手やタレントも来るぞ。巷で噂のアイドルも来ている」

「ああ。今見た。金城学園(きんじょうがくえん)に通っているデュオだろう。あの学園に通えるとは余程の金持ちか……命知らずだな」

「金持ちか。お前が言うと笑えるな」


 父と執事は肩を震わせた。高校時代からの同級生という古い繋がりがあるからか、父の態度はいつもと違う。

 自分には、もっと冷たい態度なのに。美月は頬を膨らませた。


「こちらに鞍替えするか、交渉してみよう」

「思い切ったことをするな。そのまま嫁にするか。10代アイドルと40のオッサンの結婚は……まぁ中々に事件だな」

「私は楽しいがね。嫉妬の視線は大好物だ」

「言ってろ馬鹿」


 笑い声が上がる。娘が隣にいると言うのに、この馬鹿話だ。

 母が死んでまだ1年と経っていないのに、この発言だ。

 美月は自分が愛されていないことを、昨日ぶりに再確認した。思えばずっと、毎日。自分は愛されてないと思い続けている気がする。

 それからしばらくして車は高速を降りた。徐々にスピードが落ちていき情景を台無しにする高層ビルが姿を見せ始めた所で、美月は窓から視線を切った。



☆☆☆

 



 視界いっぱいに広がる煌びやかな空間。広いダンスホールを貸し切って行われているような大仰なパーティに、軽蔑するような瞳を向ける。


「うんざり」


 小さい呟きは誰にも届いていない。


「お飲み物は?」


 膝を折って聞いてきた女性のホールスタッフですら聞こえていないのだ。自身の愚痴など雑音にすらなっていない。

 トレイに載せられたグラスに視線を一瞬だけ移し、頭を振る。

 父を見上げる。彼の前には人が集まっていた。以前家にも来たことがある初老の男性を筆頭に、何か楽しげに言葉を交わしている。

 父が笑顔で話している。だが目元は笑っていなかった。父が何かを言うと男性が大喜びしている。クラスにいる男子生徒と然程変わらない笑顔をしていたのでおかしかった。


「そう言えば、今日はお子さんと一緒なんですね」

「ええ。妻に先立たれまして。家で留守番させておくのもと思いまして」

「……お辛いでしょうが、娘さんはすくすく成長なさってますね。日々成長する姿を見ると、こう、心が温まりますよね」


 父が次に発する言葉を、美月は期待した。話題は自分になっている。そこで父が喋る内容によっては自分の評価がわかるというものだ。

 だから次の言葉を期待した。


「ええ、まぁ」


 一瞬の沈黙。

 父が「あ」と声を出す。


「先日話した新規プロジェクトの件はどうなりましたか?」

「ん? あ、ああ。義手医療器具のことかい? 君がスポンサーに躍り出ていたあれか。君以外にも候補者が何人かいてね。全員ではないがこのパーティに確か来ているはずだ」

「案内してくれますか」

「もちろん」


 父と男性が歩いて行った。このホテルに入ってからずっと父の後ろをついていった美月だが、今この時だけは、足が動かなかった。

 ええ、まぁ。

 これが父の、自分の愛娘に対する評価だ。

 ええ、まぁ。

 4文字。句読点を含めれば6文字。いや5文字にもなるか。

 声に出して計測してみたところ0.84秒。評価は1秒にも満たない。

 とりあえず言えることは”短い”ということだ。


「短すぎるわ」


 頭を下げて呟いた。同時に近場で笑い声が上がった。

 自分の口から出た言葉さえ上書きされた。

 ここに自分の居場所はない。

 美月は踵を返しパーティ会場から出た。行く当てなどないがここにいたくはなかった。

 足は自然とトイレへと向かった。そこ以外馴染みのある場所がなかったからだ。

 だが個室に入ると辟易する思いだった。まさかの”キンピカ”。目が眩み、圧倒される。


「バッカじゃないの」


 キンピカの便器を蹴って個室から出る。手も洗わずに廊下に出る。

 突如、目の前に壁が現れた。当然避けることもできず鼻からぶつかる。


「キャッ!」


 本当は「ぶぇっ!」という声が出そうだったが気合でレディーらしさを保った。

 いったい何にぶつかったのだろうと思いながら見上げてみる。そこにはスーツに身を包んだ若い男性が立っていた。髪型がこのパーティに似つかわしくなく、顔が若い。自信なさげな目元を見る限り、権力者に見えない。権力を持つ者はいつも自信に満ち溢れている雰囲気を纏っているものだ。

 だとすれば彼は何者か。胸ポケットにあるハンカチを見た瞬間、彼は執事(バトラー)であると美月は気づく。


「ちょっとあなた!!」


 文句を言うと手を差し伸べられた。声も自信なさげだ。イライラする。

 それからしばらく言葉を交わして、気付く。顔色が悪かった。どうしたのか聞くと、彼は帰ろうとした。


「待ちなさい!」


 美月は男を呼び止めた。本能的に感じたからかもしれない。彼もまた、このパーティに馴染んでいないということに。

 あるいは、一人でいたくなかったのかもしれない。




☆☆☆




「な、何かご用でしょうか」


 狭山が困惑する瞳を向けると、金髪の少女は眉間に皺を寄せた。


「何かご用? それを察するのもバトラーじゃなくって?」

「えぇ?」

「何よ。口答えする気?」


 ますます困惑する。この子はいったい何がしたいのか。

 そう思っているとトイレから出てきた女性が不審そうにこちらを見ていることに気づく。


「ちょ、ちょっととりあえずこっちに」

「あら。エスコートの心得はあるようね」


 手を差し出すと、少女は顔を綻ばせその手を握り返した。

 それから二人はエレベーターホール近くにあるソファに座った。狭山が座ると少女も「よいしょ」と言って、ぴょんと座る。猫がジャンプして乗ったような動作だった。


「それで、えっと」

「私の名前? まずは自分から名乗るのが筋ではなくって?」

「……狭山春樹、です。」

「よろしい。私の名前は美月。美しい月と書くの。美しいでしょう?」

「は、はい。綺麗です」

「むふ~」


 満足げに息を吐いて美月は頷いた。


「あなたは? どう書くの?」

「狭い山に」

「ダサいわね」


 失礼だな。狭山の口が一瞬曲がる。


「春の樹って書きます」

「難しい木の方?」

「そうです」

「あら! 素敵じゃない! きっと桜のことね! じゃあハルキって呼ぶわ」

「……私は美月と呼んでも?」

「は? 呼び捨てにするの?」

「……美月ちゃん」

「生意気」

「美月様」

「堅苦しい」


 狭山の頭に面倒くさいの文字が浮かんだ。いったい何なのだこの子はと愚痴りたかったが、生憎その言葉を聞いて同情してくれる者はいない。

 頭を回転させ、ダメもとである言葉を繋げてみる。


「……美月お嬢様?」


 お嬢様。その言葉を聞いた瞬間、美月は目を見開いて、やがて頬を緩ませた。

 しっくりと来たようであり、数度頷く。


「うん、うん! いいわね! 本音を言うと様でもよかったんだけど優雅さと主従関係っぽさがなかったわ」

「様の方が結構あるような」

「こういうのは好みもあるの」

「なるほど……それで、あの、自分はどうすれば?」


 狭山はさきほど聞けなかった疑問をぶつけた。途端に、美月から楽しげな雰囲気が消える。


「迷子なの、私」

「親とはぐれた感じですか?」

「ううん、人生という道を進んでいる中で、迷子になったの」

「はぁ?」


 首を傾げる。美月はどこか遠くを見つめていた。


「人生相談ですか?」

「あなたに人生相談をしても、有意義な回答が返ってくるとは思わないわ」

「……そうですか」


 嫌気が差した。このパーティに来ただけでストレスがフルチャージされているのに、小さな女の子にまで馬鹿にされている。狭山にはソファから立ち上がるのには十分な怒りと理由ができていた。


「ま、待って! ごめんね、冗談! ひとりにしないで!」


 美月が狭山の手を掴んだ。


「本当に迷子なの。父とはぐれてしまって」

「本当に? そのお父さんって架空の存在じゃ」

「何でそんな嘘吐く必要性があるのよ。パーティ会場にいるだろうから、とりあえず一緒に探して欲しいの」


 狭山は思案する。今すぐ神白の所に戻ろなければならない。しかし少女をひとりにしておくこともできない。神白と合流して一緒に探そうか。

 いや。狭山は頭を振る。ここで彼女に迷惑をかけたらもう目も当てられない。

 大丈夫だ。幸い範囲はパーティ会場。余裕で見つかるだろう。


「わかりました。一緒に探しましょう」


 美月はパッと顔に華を咲かせた。


「ありがとう、ハルキ!」


 眩いばかりの笑顔。それは神白に匹敵する可愛らしさであり、狭山の心を跳ね上げるのには充分な効力を発揮した。


お読みいただきありがとうございます!

次回もよろしくお願いしますー!

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