第49話「会場前」
朱雀院家の門が見えてくると、門の前に誰かが立っているのが見えた。背筋を伸ばした優美な佇まいに、手を後ろで組んで立っている執事服の老紳士がいた。
「義徳さん!」
狭山が声をあげ、小走りで近づくと顔が向けられた。穏やかな笑みを浮かべていたが狭山の姿を見て、一瞬面食らったような顔になると「ほう」と息を零した。
「おはようございます、狭山さん」
「おはようございます」
「せっかくの休日に、お嬢様の我儘でお呼びしてしまい大変申し訳ございません」
「いやいや! そんなそんな、自分の意志できたので!」
頭を下げる相手に手をブンブンと振る。義徳に頭を下げられるとこれ以上ないほど後ろめたさを感じてしまう。
「それは有難いお言葉です」
顔を上げた義徳は興味深そうに狭山を見つめた。
「狭山さん、雰囲気が変わりましたね」
狭山のもっさりとした重ための髪は、毛量が少なくなっているが決して減らし過ぎていないマッシュショートヘアになっていた。襟足と耳まわりがすっきりと収まっているため爽やかな雰囲気を纏っている。加えて髪色がブラウンになっていた。限りなく黒に近い、初めて色染めしたのが丸わかりの色だった。
服装もパーカーだったり無地のシャツに地味なチノパンではなく、ライダースジャケットに黒スキニーという出で立ちだった。
「爽やかで若々しい。心なしか身長も高く見えます。どうやら見た目に力を入れているご様子。よいことです」
義徳は満足そうに頷き、人当たりのいい笑みを浮かべた。
「今日は大事な日なので、身だしなみに気を付けていただけたのは幸いですね」
「えっと、パーティでしたっけ?」
義徳は頷く。
「狭山さん、時間がないのでこちらへ。今日の業務確認並びに”予習”をしなければ」
「え、義徳さん、誰か待っていたんじゃ」
「ええ。狭山さんを出迎えようと思いまして。本日行われる狭山さんの業務は非常に大変なので、できるだけ労わなければ」
冗談とは思えない声色で頭を下げる相手を見て、乾いた笑い声が口から零れ落ちた。
屋敷に入り連れてこられたのは、小さめの会議室のような部屋だった。長机に左右3つ置かれた椅子。入口の左手側の壁は、大きめのホワイトボードがはめ込まれていた。
「お嬢様は現在、マナーの再確認中です」
「マナー?」
義徳がホワイトボードの前に立つ。狭山は机を挟んでその対面に座った。
「本日のパーティは六本木にある”グランドガーデンホテル”で開かれます。ニュースでも流れている海上カジノの開店を祝して、というのが名目です。朱雀院家は招待された形でこのパーティに参加します。いわゆる客側。立場的にはこちらの方が”上”でございます」
「えっと、それはどういう……」
「参加されるのは世間に名が通った方々ばかりです。そういった面では、朱雀院の名は下の下。つまり今回のパーティで下手なことをすると朱雀院家の地位が脅かされます」
狭山の目が丸くなり、頬が引き攣る。さまざまな疑問が混乱し始めた脳を巡る。
「さ、参加する企業というか、会社とかは」
咄嗟に質問を投げると義徳は悩むそぶりも見せず口を開いた。
「有名な企業としては、「四葉電機グループ」「レンソニック」「セントライト」「東雲銀行」。これらの重役が挨拶に来るでしょう」
「嘘だろ」
あまりの衝撃に声が出てしまった。どれも幼いころから聞いたことがある大企業の名ばかりであったからだ。とくにセントライトは、現在狭山がのめり込んでいるゲームの開発会社だ。
「あとはタレント、芸能人、スポーツ選手などでしょうか」
背に冷たい汗が伝う。一般の高校生、少なくとも中流家庭にも及ばない場所に属している子供が行っていい場所でないことを、狭山は今更ながら理解した。そこまで大きなパーティではないと、どこか高を括っていた昨日の自分を殴りたくなった。
というかこれはもはや、バイトにやらせていい仕事ではないのではないか。
「会場で狭山さんは、綾香お嬢様の専属執事として、常に隣にいなければなりません」
「ま、マジっすか!?」
「はい。マジ、でございます。なので狭山さんが粗相をすれば、綾香お嬢様の評価に関わります。それは純様に、ひいては家名に泥を塗ると言うことです」
「そ、そんな。そんな重大な役割を俺なんかが? ひ、ひとりじゃとても」
背が汗で濡れていく。狭山は息を呑み、拳を腿の上で作る。
今夜、まったく違う世界に身一つで飛び込む。例えるなら装備もチートもないのに異世界に行くのと同義。冷静に考えなくとも無理の二文字が浮かび上がってくる。
意気消沈した相手を見て、義徳はパンと手を叩いた。
「ご安心ください。狭山さん。私は純様の専属として動き回るためフォローはできませんが、お嬢様に付くのはあなただけではありません。もう一人います」
義徳の言葉が終わるタイミングを見計らったように扉が開いた。目を向けると、ぬっと巨大な人影が入ってきた。
執事服を着ているため執事ではあるのだろうが、その身長は明らかに2メートルを超えていた。分厚い体にオールバックの髪のせいで筋者のようにしか見えない。髭を蓄えているせいか、それとも色黒のせいか、熊がそのまま執事服を着ているようだ。
「お会いするのは初めてでしょう。彼は加賀美執事です。本日はお嬢様のボディガードとして常に行動を共にします。普段は庭師兼執事として働いておりますが、どちらのスキルも高いため狭山さんのフォローもできるでしょう」
紹介された加賀美は巨大な手を差し出した。
「よろしく頼む」
「よ、よろしくお願いします」
分厚い本のような手で握り返されたが、意外と優しい力だった。
「それでは本日の業務内容をお伝えします」
それから詳細な説明が始まった。いくつか疑問に思ったことがあるが、基本的に何をするのかだけはすぐに理解できた。
パーティ会場でおかしな行動を起こさない、神白綾香から離れない。
そして、自分から誰かに話しかけない。
「これはとても重要です。こういったパーティに疎い狭山さんはなるべく口数を少なくすることをオススメします。誰かに何かを尋ねるときは従業員を頼りましょう。近くに朱雀院家の息がかかった者を置いておきますので」
まるでスパイ映画の潜入作戦のようだった。少し辟易する思いだったが難しいことはしないと考えれば気は楽だ。
「加えて綾香お嬢様に挨拶をされる方は大勢いらっしゃいますが、基本挨拶止まりです。お嬢様が冷たくあしらいますのでご安心ください」
「それは安心していいのでしょうか」
「アイドルの握手会のように長居して握手を求めたり喋りに興じる楽しい方はいらっしゃいません」
「万が一不審者がいたとしても俺が傍にいる。撃退は任せろ。ただいざという時は、体を張ってお嬢様を守ってくれ」
「え、いやあの、パーティなんですよね? なんかこれから危ない所行くみたいな感じなんですけど」
仰々しい言い方に疑問を投げると、一度面食らった義徳は悲しそうに眉を下げた。
「映画のブリーフィング的な雰囲気を出していたのですが、最近の若い子はこういうの鬱陶しいのでしょうか。おじいちゃん悲しいです」
「義徳さん。あんたの老人なのにガキ臭い所は嫌いじゃないが今は控えた方がいいぞ」
「加賀美執事も似たようなものでしょう」
雰囲気が一気に柔らかくなった。強張った肩から力が抜けていく。
あまりにもポカンとした顔をしている狭山を見て、加賀美が口角を上げる。
「危険な人物なんていない。貴重な体験だと思って、お嬢と一緒にパーティを楽しんで見ろ」
「は、はい」
熊のような笑みを見た後、義徳から執事服に着替えるよう指示が出た。どうやら執事服で向かうらしい。
こんなことなら父親に何か言っておくべきだったと軽く後悔しながら更衣室に向かっていると、廊下の先から見覚えのあるメイドが姿を見せた。
「あ、沙希さん!」
「ちょ、声が大きいって」
慌てて口を閉じると沙希はため息を吐いた。それから更衣室に行くと室内で沙希が身だしなみをチェックし始めた。睨め回すように狭山を見ると、渋々頷く。
「うんまぁ、悪くないんじゃない? 頑張って整えたみたいね」
「大丈夫ですかね。今日のパーティとか」
「少なくとも奇抜な見た目じゃないわ。いきなり白い目で見られることはないでしょ」
ファッションチェックが終わるとドアがノックされた。
『狭山さん。着替え終わったらエントランスへ来てください』
義徳の声だった。
「かしこまりました!」
『それから沙希さん。サボるのもほどほどに』
「……何でバレてんの」
扉の前にいる義徳が、クスリと微笑んだような気がした。
狭山は沙希を更衣室から出すとすぐさま執事服に着替えエントランスへ向かった。
途中で複数の執事とメイドとすれ違う。屋敷は広く、メイドの姿は数多く存在するが、他の執事の姿などはあまり確認したことがない。新鮮な気持ちだったが、同時に違和感を覚える。全員が視線を向けているような気がしたのだ。
ある者は興味、ある者は嘲笑、そして嫉妬。他人の視線に敏感なのは陰キャ特有のスキルなのだろうか。
くだらないことを考えながらエントランスへ行くと、義徳と加賀美が立っていた。老執事と筋骨隆々の執事はどこか絵になっていた。
「お疲れ様です。狭山さん。あとはお嬢様の到着を――」
「もう来てるよ」
義徳が言いかけた時だった。2階から神白の声が聞こえた。
狭山が視線を向けるとそこには。
「こんばんは、狭山くん」
透き通るような青色が特徴的な、清らかで美しいドレス姿の神代綾香が階段を下りてきていた。
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