第45話「暖房か、夕陽か、心のせいか」
号令が木霊すると、生徒たちが一斉に動き、騒ぎ始めた。今日は掃除がないため教室に残って文化祭の準備を行う者、男女集まって雑談を始める者がチラホラと出ていた。
狭山が通う高校は月、水、金曜日は生徒による掃除を行わない。代わりに清掃業者が学内で活動する。廊下の方を見るとすでに業者の者が廊下に落ちていたゴミを拾う姿が見えた。
「毎日あの人たちが掃除すればいいのにな」
「金があるのかないのか、よくわからないですね。うちの学校」
狭山と鹿島も文化祭実行委員の指示に従って机をどかし、床にスペースを作っていた。
雑談を交えながら視線を動かしているとあることに気づく。神白がいない。今日の昼休みに、寅丸からの警告を聞いていた狭山は一瞬不安になる。
「金持ちかぁ」
「はい?」
「いや。金持ちってそういうトラブルに巻き込まれやすいよなぁって思って」
「ドラマや映画でもよく被害に遭ってますよね。家族が人質に取られて身代金を要求されたり。お金は誰もが手に入れることができますが、その差が人によって大きい、平等に見せかけた危ない物ですから。黒い感情が生まれやすいんでしょう。だから危険に晒されやすいんです」
なら、神白もそういった危ない目に遭ったことがあるのだろうか。
狭山の脳裏に、西条に襲われていた時の光景が蘇る。ハサミを持った相手に対し表情を崩さずクールに対応する神白の風体。威風堂々というより、慣れていそうだった。
「……ちょっと神白さん探してこようかな」
「どうしたんですか突然」
「いや、クラスにいないからさ」
「心当たりは?」
「ない……けど」
適当に歩いていれば目立つだろ、ちょっと鹿島も手伝ってくれ。
そう言葉を紡ごうとした時だった。
「あ、狭山くん!」
視線を向けると文化祭実行委員である男子がいた。分厚い本を数冊持っている。
「狭山くん今時間あるかな?」
「え、俺? なに。どうしたの」
「頼みがあるんだ。この本、図書室に返してきてくれないかな。借りっぱなしで……この後委員会があってさ」
両手を合わせて懇願する。
委員会が終わってから自分で返しに行けよ、と狭山は言いたかった。だがそれを言って変な空気になったり、面倒なことになるのはごめんだった。
視界の端には作業も行わず黒板に落書きをしている者や、スマートフォンをいじって遊んでいる生徒が見える。彼らに頼まない時点で、狭山は自分が”舐められている”ことを自覚した。
「委員会終わってから返しに行ったらいいんじゃないですか?」
鹿島が狭山の代わりに疑問を投げる。
一瞬、相手の表情が歪んだのを狭山は見逃さなかった。
「いやぁ。何時ごろに終わるのかわからなくてさ。夕方になったら図書室閉まるじゃん? だから頼む! この通り!!」
男子は頭を下げた。なんともわざとらしい懇願に対し鹿島は呆れた。
これ以上話すと険悪になりそうなのは目に見えていた。
「……わかったよ。図書委員には事情説明しておくよ」
狭山がそう答えると男子はまったく心のこもっていない感謝の言葉を口にした。
☆☆☆
持っていた本のタイトルを歩きながら読む。
「生体の仕組み~人間編~、体育授業を楽しませる方法、スポーツのよる怪我と障害の解説③……」
運動系というより、トレーナー教本ばかりだった。運動部に所属していないのになぜ、という疑問を浮かばせていると、図書室にたどり着いた。外の廊下を渡った先にある旧校舎の中に存在する図書室は、それなりの広さを誇っていた。2階建ての図書室は中々めずらしいだろう。
室内に入るとほのかに暖かい風が吹いた。暖房を入れているらしい。
受付には誰もいなかった。室内を見渡すが生徒はひとりも見当たらない。
仕方ないと思いつつ、本がある場所を探そうと本棚に向かう。図書館のように本棚のジャンル分けを示す看板が天井や本棚に貼られているため、狭山は「スポーツ」のコーナーへ向かう。
そしてあとひとつ先まで行った時だった。小さな声が聞こえた。視線を横に向けると、甘栗色の髪の毛が特徴的な女子が、本棚の前で背伸びをしていた。
神白だ。上にある本を取りたいらしい。
移動式脚立は近くにあるのにあえて背伸びをしているのは、身長に自信があるゆえか。
神白は背を向けている状態であるため狭山には気づいていない。狭山はゆっくりと近づき後ろまで来ると手を伸ばした。神白よりも身長があるため、難なく本のもとに手が届く。
「これ?」
相手を見ると、目を点にしていた。
そしてコクコクと頷く。
「とれなかった」
恥ずかしそうな微笑みを浮かべた神白を見て、狭山は胸が締め付けられそうだった。
グッと堪え本を手に取り、手渡す。
「ありがとう、狭山くん」
「いえいえ。お安い御用ですよ、お嬢様」
言ってから、ハッとする。バイト中でないのにこの発言は気持ちが悪すぎる。
弁明しようとすると神白が手に持った本で口許を隠した。
「ちょっと恥ずかしい」
「ご、ごめんなさい! 本当に……」
「でも嬉しい」
目元がふわりと緩んでいる。
「ちょっとだけ義徳さんみたいだった」
「……俺そんな老けて見える?」
「違うよ。執事らしかったってこと」
「そ、そっか。ありがとう」
褒められた狭山は照れくさそうに鼻下を撫でる。
「……ちょっとドキッとした」
小さな声は狭山には届かなかった。
神白の目は、狭山が手に持っている本に向けられる。
「本? 借りてたの?」
「あ~。知人の。代わりに返しに来た。図書委員とかいるの?」
神白は自分を指差した。
「私。図書委員」
「え、マジで!? 知らなかった……」
狭山はショックを受けた。そんなことすら知らなかった自分が少し恥ずかしくもあった。
「ちょっとショック」
神白が小さく頬を膨らませた。
「執事らしくない。さっきの褒め言葉没収」
「えぇ? そんな……いや、うん。そうだよな。ごめん。これからもっと知るよ。神白さんのこと」
狭山が言うと、再び神白は目を点にした。
「……お嬢様だしさ」
「……うん。わかった」
頷くと手を差し伸べる。
「狭山くん、本貸して。戻すから」
「ああ、一緒に戻すよ。どこにあるか興味あるし」
「そう。わかった」
「ていうか、やっぱ広いよなぁ、ここ」
「色んな本があるから借りてみたら?」
「ん~。小説とか小難しいの読めないかも」
「軽めに読めるライトノベルとかあるよ。あとで教えてあげる」
「マジで。助かるわ……ん? 神白さん、顔赤くない? 暑いんじゃない、この部屋」
「……狭山くんのばか」
「え!? なんで!?」
神白は歩くスピードを速めた。狭山は首を傾げながら、甘栗色が煌めく背中についていった。
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