第43話「お嬢様は優しい(?)」
先日の夜間警備から朝のメイド業務を終えるまでが、結城の基本的な勤務内容となっている。この大豪邸に盗みを働きに来る者など皆無であるため、夜間は適当に歩いているだけで金が稼げる、割りのいい仕事だ。
結城もまた、狭山と同じく「メイドアルバイト」の広告を見てバイトの面接を受けた。高卒の彼女だが、担当者が彼女の”特殊な経歴”を見てメイド兼警備員として雇い、以降結城は朱雀院家に仕えている。
それなりに長い期間をここで過ごしている彼女は、朱雀院のご令嬢でもある神代綾香の部屋の前で立ち止まった。
ドアを鳴らそうと握り拳を掲げた時だった。
『あの、お嬢様。ベッドメイキングなどは私たちの仕事で――』
『仕事を奪ってごめん。でもいらないから。出てって』
『え、ええっと……それなら着替えのお手伝いを』
『たかが制服を着るのに手伝いなんていらない。早く出てって』
『し、しかし……』
会話の後、沈黙が流れた。結城は拳を下げてドアから離れ、物陰に隠れる。
すると直後、ドアが開かれ中からメイドが出てきた。メイドは頭を下げてからドアを閉めた。
「なんなのあの子本当……顔がいいと性格が悪いって本当ね――」
小さな呟きのような愚痴は廊下に響かない。しかし耳のいい結城には届いていた。
すんと鼻を鳴らしながら、背を向けて遠ざかるメイドを見る。
「お嬢様の悪口言っちゃ……おしまいだね」
愚痴なら飲み屋か家で、仲のいい友達や家族に対して呟くべきなのだ。
そんなアドバイスを胸中で呟いてから、結城は再びドアに向かいノックをした。
『誰?』
「結城です。綾香お嬢様、朝食の準備が整っておりますが、お持ちいたしましょうか?」
『いい。行くよ』
答えるや否やドアが開かれた。学生服姿の綾香は年相応にも見えるが、酷く大人びているようにも見える。とりあえず自分が到底叶いそうにない美人だということを結城は再確認した。
「ねぇ」
綾香は腰に手を当てた。
「邪魔」
「……失礼しました」
一礼して少し下がると、綾香は甘栗色の髪の毛を靡かせながら廊下を歩いて行った。
氷のような冷たい視線に声は、体を抉られる気分だった。
「怖いなぁ」
笑みを浮かべながら、結城はその背中に、3歩間をおいて着いていった。
★★★
綾香の朝食は1階にあるメインリビングか、自室で済ます。大抵は自室だが今回はメインリビングだった。
中に入ると白と青を特徴とした広々とした空間が広がる。中にはキッチンで珈琲を作っている執事長の義徳と、ダイニングテーブルの隣に立つ執事がいた。執事の傍らには料理がのせられたサービスワゴンがある。
「おはようございます。お嬢様、結城さん」
絵に描いたような老執事は結城の目の抱擁でもあった。笑顔を浮かべてお辞儀をする。
「三和執事長、おはようございます」
「ん、おはよう」
短く挨拶を終えると綾香は椅子に座った。
その前に執事がキビキビとした動作で皿を並べていく。
「ねぇ」
綾香が細目で執事を見た。
「は、はい!」
執事は顔を赤らめて背筋を伸ばした。年は20を超えていそうだが、綾香のような美人に話しかけられたせいか緊張しているようだ。浮かべた小さな笑みからは、どことなく嬉しさが滲み出ている。
「さっきから動きが鬱陶しい」
「へ……」
執事は一瞬で真顔になった。
「義徳さんに教わらなかった? 音を鳴らして皿を並べるなって」
「え、えっと……」
「いいよ別に。教わっているならそれが実践できなかったんだし、教わっていないなら義徳さんの落ち度だから」
綾香は手前のフォークを手に取り執事に先端を向けた。
「ただ、ネクタイが曲がってる。あとシャツも皺があるし……手袋は。何でしてないの?」
「え、えっと手袋はその、さきほど掃除をしたせいで」
「新しいのを付けなかったの?」
義徳に視線が向けられる。老執事は口許を歪めて肩をすくめた。
「さきほど支給したのですが、お嬢様に奉仕したい一心が逸らせたのか、リビングに急行してしまったのかと」
「しっかりと準備してから来てよ」
ため息を吐いて柳眉を逆立てると、綾香は執事を睨み上げた。
「自分の世話もできてないのに、私の世話ができるの?」
「……」
「答えてよ」
「い、いえ」
「下がっていいよ。結城さん、お願い」
綾香は興味が失せたように視線を前に戻した。結城は短く返事をしてからワゴンに近づく。
「お、お待ちくださいお嬢様。これには訳が」
「聞く必要がない。あなたは執事でしょう。義徳さんから教わらなかった? 主の命令は絶対。下がれと言われたらすぐに下がることが重要。なのに、あなたは問題点を指摘されたのにも関わらず、言い訳をして謝ろうともしない」
短く息を吐き出し、結城が並べていく皿を見続ける。
「相手が”純さん”だったら、クビは確実だね。義徳さんと一緒に」
義徳は何も言わず、ただ黙って後ろで手を組んでいた。
「……も、申し訳ございませんでした」
執事は力無く言うと、頭を下げてから部屋を出ていった。
「ふむ。彼には後で私から言っておきましょう」
「わざとでしょ」
綾香が義徳を睨む。
「はて?」
「あの人、最近態度が悪かった。仕事も雑なのは気づいていたよ。だから私に注意させたんでしょ。義徳さんが言うよりも効果的だし、”純さん”が注意すれば確実にクビにされるから」
「そうですな」
悪びれもしない義徳にため息を吐く。
「やめてよ。人に注意したり怒ったりするの苦手なんだから」
あれでですか、と結城は思った。正直怒り慣れているとしか思えない。
「お嬢様は本当に優しいですな」
「……主を使うのってどうなの?」
「いえいえ。何も「注意してくれ」などと申してませんよ。優しいお嬢様が優しく教えて下さったことに、感謝しかありません。ありがとうございます」
義徳が頭を下げる。
「お詫びと言っては何ですが、今日の朝食は私が作りました」
「へぇ。何?」
「一般的な和食です」
テーブルに並べられたものを見て綾香は口許を歪めた。
「……どうせ玉子焼きしか作ってないんでしょ」
「甘めで作っております」
綾香は肩を震わせて笑った。
それを見て、バレないように結城は肩をすくめた。普段から柔らかく笑って接していれば、無駄に敵を作ることもないのに。
金持ちのお嬢様だからこうなるのではないと思う。きっと、母親である純の影響だろう。
親子揃って”氷柱”の愛称を持っていることに、最近は疑問を感じなくなっていた。
「そうだ、結城さん」
「はい。どうされましたか、お嬢様」
「今日の夜、時間あるかな? ちょっと私の部屋に来て欲しい」
「かしこまりました」
それからというもの、綾香は黙々と食事を終えて身支度を整えると、さっさと朱雀院家を出ていった。
多くの執事とメイドが見送りを終えるとそれぞれの持ち場に戻っていく。
「結城さん」
義徳が結城の背に声をかけた。振り向いた結城はこれ見よがしに伸びをする。
「はい、なんでしょうか」
「……執事長が話しているのにそんな態度はないでしょう」
「ふふふ。綾香お嬢様の代わりに仕返しだよ」
「タメ口もその一言だけ、大目に見ましょう。夜の件、よろしくお願いします」
「承知です。何をするのか謎ですが尽力します」
「おや、聞かされてない? まぁ問題はないでしょう」
首を傾げると同時だった。
玄関のドアが開いた。そこからヌッと、大きな影が姿を見せた。
執事服を着ているが、その身長はゆうに2メートルを超えていた。体も厚みがあり全体的に太く、プロレスラーと紹介しても誰も疑わない風体だった。熊が服を着て歩いているといっても過言ではない。
天然パーマの黒髪が特徴的な加賀美寧はゆっくりとした足取りでふたりに近づく。距離が縮まるたびに、義徳と結城の首が上を向いていった。
「お嬢を見送った。俺は純の会社に向かう」
ビール瓶が割れそうな重低音だった。腹にまで響く声に結城は渋面になる。
義徳は瞼を閉じた鉄面皮の状態で頷く。
「ええ。純様の方はよろしくお願いしますね、加賀美執事」
「ああ」
短い会話を終え、加賀美は廊下の奥へと消えていった。
あまりにも存在感のある男性に対し結城は。
「……ズタ袋被ってチェーンソー持ってほしいなぁ」
ホラー好きの血を湧き起こしていた。
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