第32話「告白は静かなところで」
鹿島は箸を動かす手を止めた。
時刻は昼時。10分ほど前、「超が付くほど面白くない歴史の授業」が終わり、昼食の時間が始まった。教室には半分ほどの生徒がいる。残りは全員食堂や中庭など、思い思いの場所で優雅なひと時を過ごしているだろう。ただ、もう11月であるため外は寒い。
だが、こんな寒い時期なのに外で飯を食べようと言い出した男がいた。それが鹿島の目の前にいる狭山だ。
狭山は肩肘を付き、どこか物憂げな表情を浮かべて窓の外を眺めている。コンビニ弁当を広げてはいるが箸は置かれたままだ。
「なぁ、鹿島」
「何でしょうか、狭山くん」
「……俺、陰キャ卒業するかも」
何言ってんだこいつ、という言葉を寸でのところで堪える。友人にそんな無礼な言葉は使えない。だから別の言葉を投げかけるべきだと言葉を選定し直した。
「何言ってんですか狭山くん」
さほど変わってない言葉が出てしまった。だが狭山の表情は崩れず目線は相変わらず遠くを見ている。
「いやぁ、あれなのよ。あれ」
「あれとは」
「もしかしたら俺、結構リア充ムーブしているかもしれん。いわゆる陽キャムーブ」
「……何ですか。その頭の悪そうな単語は」
「まぁまぁ聞けって」
視線を鹿島に合わせ、片手を突き出す。
「まず休日に友達や女子と遊んだり、バイト先の同世代や、特に年上の先輩方とイチャコラすることができる奴は陽キャに分類されるんだ」
「え? そうなんですか、陽キャって。別にそんなの普通にできそうですが」
鹿島の前に人差し指を出し、チッチッチッ、と舌を鳴らしながら横に振る。
「いいかい? そういう一般的に普通と言える行動や出来事がないから陰キャというワードが生まれるのだよ」
「何ですかその喋り方」
「いいか!? 陰キャっていうのは俺にはできないオシャンティーな店に行ったり、こう、ゲームの話とかで盛り上がりそうもない連中のことを指すの! あと髪染めてる。高確率で」
「それはちょっとした偏見じゃ……まぁいいや」
このままでは話が進まないと思い、鹿島は喉を鳴らした。
「それで? 狭山くんもその陽キャの仲間入りができそうなんですか?」
「おう! いやぁ聞いてよ! バイト先の先輩が……それも女性がさ! 一緒に服選んでくれて! わかる? ファションだぜ、この俺が!!」
「お~とうとう人並みに身だしなみを整える頭になったんですね。狭山くん」
「……なんか棘ない?」
「いいえ。それで?」
狭山は破顔した。
「いやぁもうそれが嬉しくって嬉しくって。しかも結構可愛い、いや美人さんでさ! やっべぇ惚れちゃいそう。つうかもう、惚れられたらどうしよう! ねぇ、どう思う?」
「我が友達ながら、非常に気持ち悪いなぁって思います」
「褒めんなって!」
「テンションが上がるとポジティブになる狭山くんは、いいと思いますよ」
馬鹿な会話はそこで終わり、とりあえず天狗になっている友人から視線を切り食事に集中しようとする。
その時だった。教室の扉が勢いよく開けられた。
入ってきたのは同じクラスの男子だった。
「おい! 神白さんがまた告られてるぜ! 先月と合わせてもう何十回目だよ!」
「またぁ? 中庭とか屋上でされてんの?」
女子生徒が高い声で聞くと、男子は頭を振った。
「すぐそこ! 廊下! 相手は飯島孝だ!」
告白の行動を起こした者の名を告げると、女子生徒が顔を見合わせ、一斉に廊下に飛び出した。
「飯島……って」
「行ってみますか?」
狭山は頷きを返した。野次馬根性が約4割、そして執事としての性根6割の感情で、狭山は動き始めた。
☆☆☆
飯島孝は生徒会副会長を務める人気の――主に女子から人気の――男子生徒だ。小顔で整った顔立ちはどこぞのアイドルグループに所属していてもおかしくないほどの美男子であり、雑誌のファッションモデルを何度か行った実績を持っている。
街中を歩けばテレビクルーに掴まることがほとんど。生徒会役員演説の時、彼が冗談交じりにそう言ったのを、狭山と鹿島は覚えている。
自他共に認めるイケメン。狭山にとっては無条件で”ウザイ”と評価してしまう相手だ。
そんな狭山と同じ2年生の彼は、廊下で神白と相対していた。
「神白さん、ごめんね。いきなり呼び出して」
「いいからさっさと要件を言って」
神白はムッとした表情で飯島を睨んでいた。だが彼はその冷たい視線も言葉も意に介さず鼻で笑った。
「単刀直入に言うと……俺と付き合ってほしい」
瞬間、近くの教室から、そして周囲から歓声が上がる。口笛にも似た「ヒュー」という声や、驚きが混じる声が混じる。
飯島の表情は自信満々だった。周囲の目線のせいで、神白が無下に断る可能性が低くなったと思っているに違いなかった。
だが狭山は甘いなと思う。
「絶対やだ」
氷柱姫の渾名は、伊達ではない。
「まず貴方の名前を知らない」
「え、え? いや、俺生徒会の」
「興味が無いから」
「いやいや! あれ? 神白さん俺の噂とか聞かない?」
「さぁ? 聞いたことがあっても覚えてないと思う。だってあなたの噂を覚えていても、一文の得にもならないから……」
一瞬、飯島は呆けたように目を見開き、口を開いた。徐々に口が閉じていくと顔に朱が入る。
「もういい? ご飯食べたいから。それじゃあ」
神白は言い終える前に視線を切りその場を去った。群がっていた野次馬が彼女に道を開ける。視線を気にしない神白が教室に入ると、廊下に大きな笑い声と困惑した声、さらに歓声が上がった。
「よっしゃフラれたぁ!! 神白さんの連勝記録また伸びるぅ!!」
「うわぁ、だっさぁ……飯島くん」
「あいつで無理ならもう誰も行けねぇよ」
思い思いの言葉が飛び交い始めると、顔を真っ赤にした飯島がその場を立ち去り始める。集団の前で校内一の美少女に告白した彼に、生温かい視線と慰めの言葉が降りかかる。
「いやぁ。相変わらず凄いですねぇ。あのクールな断り方」
廊下の物陰から見ていた鹿島は教室に戻った神白の背中を見て片眉を上げる。
「心折れますよ。狭山くん、あんなの耐えられませんよね?」
同意を求めて視線を隣に向ける。狭山のことだから高笑いするかと思っていた。
だが言葉はなかった。代わりに不服そうな、怒りのような、複雑な表情を浮かべていた。
「なに、どうしたんですか?」
「……なんか、ムカついた」
「は?」
「神白が他の男と話しているのも、何も知らねぇ野郎が易々と神白に告白しているのがさ……」
そこまで言って、狭山は目を開き、慌てて口を塞いだ。
「わ、わりぃ。何でもない」
「……いや、何でもなくないでしょう。え? 何ですか? どうしたんですか本当に。狭山くん、そんなに神白さんのこと思ってましたっけ?」
「え、い、いや、そうじゃなくてよ」
一瞬、神白の家で行っている執事バイトのことが口から滑り落ちそうだった。だがそれは言えない。隠しているわけではないが、言えば面倒になるのは目に見えていたからだ。
「と、とにかく、気に食わねぇの!! いいから教室戻ろうぜ」
誤魔化すように声を荒げると物陰から姿を見せる。狭山は歩きながら、神白が他の男とつるんでいるのを見るのがいやになっている、自分の感情に気づき始めていた。
しかしこのようなイベントが終わったのだから、今日はもう神白に何かが降りかかることはないだろうと狭山は安堵していた。
だが放課後、神白は再び別の生徒に絡まれてしまった。
それも好意ではなく、明らかな敵意を向ける相手に。
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