第31話「明るく暖かいのは外だけ」
店を後にした狭山と沙希は中目黒駅に来ていた。改札機にICカードを挿入した狭山の背中に、沙希が声をかけた。
「ごめんね。急に誘っちゃってさ」
「いや、俺も楽しかったんで大丈夫っす」
あの後、再び適当に服を見たり、バイトの話をしたりしながら時間を過ごしていた。他にも1軒、別の店に行って見たりもした。
だが狭山は何も購入しなかった。長居しただけに冷やかしをしたようで、狭山の胸中には申し訳なさが浮かび上がっていた。
「結構いいのあったから、買えばよかったのに」
狭山は改札機に千円札を入れながら言った。
「あはは。今銀行に預けているのは生活費なので」
「……生活費? キミ、一人暮らしなの?」
言葉に詰まる。喉に蓋がされたように言葉が出なかった。
甲高い音が鳴り響きICカードが吐き出される。狭山はそれを手に取った。
「似たようなもんです」
「そっか。ふぅん……」
沙希はそれ以上何も言わなかった。変に察してくれたのかもしれない。それはありがたいが、何か言葉をかけられたくはなかった。
沙希が口を開く前に狭山は頭を下げる。
「今日はありがとうございました。最初はあまり乗り気じゃなかったっすけど、勉強になりました」
「お、そう? 暇な時とかファッション雑誌買ってみるといいよ。実際に買わなくていいからさ、いい指標になると思うし」
「はい。帰りに買ってみます。ありがとうございました、泉先輩」
「ん。また来週?」
「土日に。ただ、土曜日は夕方からって義徳さんに言われました」
「夕方……ああ、なるほど。”あの日”か」
あの日というワードに、狭山は首を傾げる。
「ま、詳しくは来週だね。ここで詳細喋ったところでしょうがないし、キミのリアクションも見てみたいし」
「なんすかそれ」
悪戯っぽい笑みを浮かべた沙希はスマートフォンを差し出す。
「RAINやってる?」
「……一応」
「警戒しないでよ。同じバイト仲間だし、年近い子ってキミ以外ほとんどいないの。だから交換しよ。悪用なんかしないからさ」
「は、はい」
狭山もスマートフォンを出し、お互いにIDを交換する。
「それじゃあね。また来週」
「はい。今日はお疲れ様でした」
「ん。ばいばい、狭山くん」
沙希はそう言って狭山に背を向けた。狭山も踵を返し、改札口を潜り抜けた。
ふと背後を振り向くと、沙希の姿は既に人混みに紛れ見えなくなっていた。
☆☆☆
2階の窓側にあるカウンターチェアに腰掛ける。手に持っていたカップをテーブルに置き窓の外に目を向ける。
人通りが増しているようだった。この時期、中目黒は特にイベントなどやっていなかったはずだが。ちょっとした散歩には最適の街だから、これくらいの人通りは普通か。
沙希はカップを口許に持っていく。カプチーノの香りが鼻孔をくすぐる。気持ちを落ち着けながら今日の自分の行動を見つめ直す。
「何してんだよ私……」
主である神代綾香に近づく狭山を追っ払おうと、昨日の夜は計画していたのに。今では服を一緒に買いに行き連絡先を交換するまでの仲になっている。
もちろん本当に仲良くしたいわけじゃない。ただ綾香が、狭山に相当惚れているのも事実であるため、それを邪魔するのはどうしてもできなかっただけだ。
確かに狭山なら別に問題ないかと思う。女遊びもしないし真面目な男。俗に言う「優しい男」という奴だ。付き合ってみるとつまらなすぎて別れる恐れもあるが、それは別にフォローする必要はない。
だが今日の自分の行動はまるで、二人の恋を成就させようとするキューピットのようではないか。
「マジありえねぇ」
汚い言葉が出てしまう。まさかフォローする立場になってしまうとは。
これはこれで悪いことではない。義徳が聞いたら大爆笑されるだろうが。
しかし、どうにもモヤモヤとした気持ちがあった。狭山が「一人暮らしをしている」というのが、どうしても引っかかった。
嘘をついている。いや、そんな嘘をつく必要性はどこにもない。
ただのオタクではなく、何か秘密があるのかもしれない。
沙希は頭を振った。警戒しすぎて相手のことを深堀しようとしている。狭山は悪人でないということを信じようと沙希は思った。
気を紛らわせようとスマートフォンを取り出し、メッセージアプリであるRAINを起動すると、とある人物に連絡を入れる。
『よぉ』
トークルームに短い文字を打つとすぐに既読マークが付き、返事が来た。
『お疲れ様です先輩。どうしたんすか?』
『ん? お前と同い年の子が私のバイト先にいてさ。私が指導した』
『うわぁ。可哀想ですね』
『どういう意味だよ。言っとくが優しく指導したぞ』
最初は嫌がらせしようとしたが。それは伏せ、結果だけ伝えた。
『どんな相手だったんですか?』
『オタク』
『ははは……沙希さんの嫌いなタイプっすね』
『そ。オドオドしててさ、ありゃ女友達どころか男友達も少ないね。絶対』
『まぁまぁ。そう言わなくても。俺もどっちかというとオタクですし』
『ただの空手オタクでしょ、お前は』
『ですね』
誤魔化すように、舌を出してウィンクする可愛らしい熊のスタンプメッセージが送られてきた。
『スタンプとか送るなよ。キモいわぁ』
『うっわ。そういうこと言います? 先輩のお気に入りの「ベニ鮭ちゃん」だってキモイですよ』
『ベニザケちゃん可愛いでしょ!! ほら!!』
『やめて! スタンプ大量に送らないで!! だいたい「皮が真っ黒に焦げちゃった」ってどういうシチュエーションで使うんですか!』
『今まさに使い道があるでしょ!!』
馬鹿な会話をしていると気が紛れる。沙希は相手に聞きたいことがあったことを思い出し、メッセージを打った。
『なぁ。お前さ、一人暮らしだっけ?』
『いいえ。ただ両親共働きなんで、夜遅くまで一人のことが多いですけど。どうしたんですか?』
『後輩君がさ。高校生だけど一人暮らししてるっぽくて』
『へ~。よっぽどの金持ちなんですかね?』
『どうだろうね』
『まぁ今の世の中なら、高校生の一人暮らしくらい、めずらしくないですよ』
『そっか』
そんなもんかな、と思いながら、沙希は画面に当てた指を滑らせる。
『ごめんね、タケ。変なメッセ送って』
『いつも変なメッセージばかりじゃないですか』
『はぁ? 殴るぞ』
『殴るなら試合でお願いします。あ、今度試合なんで応援来てくださいよ』
『わかったよ。場所だけ教えて』
スマートフォンが連続で振動して、画像が数枚送られてくる。会場の場所とトーナメント表まで送られてきた。一応同じ道場所属であるため送っても何ら問題はない。
沙希はトーナメント表を見つめながら、後輩である「鹿島武彦」の文字を探し始めた。
☆☆☆
最寄り駅に着いた頃には日が完全に沈んでしまっていた。
狭山は帰り道を歩きながら本日のことを思い出す。
最初は怖かったが、泉沙希は最高の先輩だ。あの屋敷には基本的に優しい人しかいないのかもしれない。
普段は優しく時に厳しく。理想的なカッコいい人間があそこには大勢いる。自分があそこでバイトできているのは、本当に運がいいのかもしれない。0.27パーセントのSSRキャラを当てるよりも難しいことをしているような気がした。
狭山は駅の本屋で買ったファッション雑誌が入ってる袋を振りながら歩く。ファッションなんて、今まで見向きもしなかった。
『アルバイトしてお金を稼いだら、もっと別のことに使った方がいいのでは? 服を買ったり、髪を染めたり――』
鹿島の言葉を思い出す。あの時は鼻で笑ったが、今はそっちの使い方が正しいかもしれないと思い始めている。
自分も磨けば光るかなと思っていると自宅が見えてくる。
同時に、沙希の言葉が脳裏をよぎった。
『ご両親に頼んでみたら?』
ご両親、か。
狭山は沈んだ表情で家の扉に鍵を差し込み、ロックを解除する。
中に入り、真っ暗闇が広がる自宅に向かって声をかけた。
「……ただいま」
返ってきたのは、冷え切った空気だけであった。
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