第30話「服は黒とかネイビーが無難です」
「う~ん……とりあえずこれでいいかな」
ハンガーに吊るされた適当な服を手に取り、狭山の体に当てる。
狭山は鏡に映る自信なさげな自分の顔と、汚れが一つもない服と、渋い顔をする沙希に視線を動かし続けた。
「あ、あの泉先輩」
呼びかけるが、沙希は唸り声をあげるだけだった。唸り声を聞くのはこれで3度目だ。
「駄目だなぁ。もうちょい身長があれば……体細いからダボっとした方がいいかな。シュッとした方が印象はいいか。うん。ちょっと足が長く見えるように――」
「泉先輩」
少しだけ語気を強めると沙希は眉根を寄せ狭山を見た。
「何?」
「あの、なんでしょうかこれは」
「見てわかんない? 服買いにきてんの。キミのね」
「いやそれはわかるんですけど……いや正直なんでこんな状況になったのか、よくわかってないんですけど!」
二人は中目黒にある服屋にきていた。メンズファッションを主に取り扱っている店であり、沙希は仲のいい男の後輩や友人とこの店を訪れたことが何度かある。
木の匂いが漂うこじゃれた広い空間に、高そうな服がズラリと並んでいるが、これはあくまで陳列によって印象付けられているだけ。取り扱っている服は非常に安値で学生の財布に優しい。それでいて素材がいいため「安物」と一蹴することもできない。おまけに中性的な服が少ない。男らしさを磨く若い男にはうってつけの店だ。
結構穴場のスポットであるが、休日の明るい時間帯ということもあってか、それなりに店内は賑わっていた。
「何で俺の服なんか……」
「だってあなた、そりゃあ」
言葉を一度止める。ここで馬鹿正直に「綾香ちゃんの相手に相応しい見た目にするため」なんて言ったら、狭山に彼女の気持ちを伝えてしまうようなものだ。
沙希はため息を吐いて呆れたように頭を振った。
「朱雀院家に来ているのにその格好はねぇ……」
「うっ」
「それにお嬢様に気に入られているのにその格好はちょっと、いや、かなり野暮ったい。見た目が悪いと連れの人も低く見られるの。アルバイトとはいえ執事でしょ? 主が自分のせいで低く見られるのは避けた方がいいと思う。だから仕事を切り上げた私は、あなたを誘って服選びに誘った。ていうか連れてきた。それだけ」
上手く誤魔化しながら説明を終えると、狭山はわかりやすく口許をへの字に曲げた。
「……そこまで言わなくたって」
「むしろここまで言ったんだから、感謝して欲しいくらい。確かにイラっとする気持ちはわかるけど冷静に考えてみてよ。こういう店を知れて服を買って自分を磨けてラッキー、って思えない?」
誰もが知っているファッションブランドより、こういう店の服の方が味がある。そういう意味も込めていた。だが、狭山は不服そうに首を傾げただけだった。
可愛げのない後輩だ。自分と仲のいい後輩だったら、嬉々として服を選び始めるのに。
「ま、少なくとも純さんに嫌われない努力はした方がいいかもね。さっき他のメイドから聞いたわ。あなた「庶民」呼ばわりされたんでしょ」
「……はい」
沙希はクスクスと笑った。
「懐かしいなぁ。私も言われたっけ」
「えっ!!?」
新しい服を手に取りながら、狭山に声だけ投げる。
「私も最初の頃、庶民だ~、どぶ臭いだ~、なんだ~って言われてさ。正直速攻で辞めてやろうかと思ったけどここで逃げたら相手が勝ち逃げしてるようなものじゃん? だから何クソって思って自分を磨いたの。気付いたらあの屋敷にいてもいい存在になったわ」
新しい服を持ってきた沙希は狭山の体に当てる。
「うん。いいじゃん。今月から冷えてくるし、あとは無難にチェスターコートと合わせればバッチリかな。試着室行ってみよう」
「は、はい」
カゴを持った狭山は沙希の後ろに続き、店の奥にある試着室へと足を運ぶ。相手が選んでくれた服を着て鏡を見てみる。
確かに、ガラッと印象が変わった自分がそこにはいた。今まで持っていなかった服を着ているせいか、少し気持ちが浮ついている。
「着れた~?」
狭山は返事をしてカーテンを開ける。一人がけの椅子に座っていた沙希は息をもらした。
「ん~。いいんじゃない? どう? キミ的には」
「結構……かなり気に入ってます」
さきほどよりも顔が明るくなった狭山を見て沙希はクスリと微笑む。可愛げはないが素直な子は嫌いではない。
「ネイビーが強いけど、ベージュ色でシュッと見せる感じにする? あと好みの色とか」
「あ~、黒ですかね。好きな色」
「うわぁ。オタクっぽい」
「オタ……」
「違うの? ゲームとかアニメとか好きそうだなぁって思った」
「違ってないっすけど」
再び微妙な表情になった狭山を見て首を傾げる。
「そんな嫌な顔しなくてもいいじゃん~。オタクって言われるの嫌なの?」
「……馬鹿にされているような感じがするんです」
「ありゃ。繊細なんだね、キミは。ごめ~んね」
意地の悪い笑顔を見せる沙希から視線を切り、鏡に映る自分を再び見る。
悪くない。正直言って、悪くない。
「似合ってるよ」
沙希の声が背中にかかる。皮肉も込められていない、馬鹿にされてもない、正直な台詞を聞いて、狭山は少しだけ頬が熱くなった。
雰囲気が和らいだ今なら聞けるだろうか。
「あの、先輩」
「ん?」
「純さん……神白さんのお母さんって、何であんなに庶民を嫌っているんでしょうか」
「……さぁ? わかんない」
肩をすくめて沙希は言った。
「初めは、庶民と金持ちの間には大きな考え方の違いがあるんだろうなぁって思ってた」
それは狭山も同じことを思っていた。
「でも違う。あの人も、別に私たちと何も変わらないよ。ただちょっとだけ、そう。野暮ったい人が嫌いなだけだと思うよ」
「そんなもんなんすかね?」
「そんなもんだよ。少なくとも酷い人じゃないと思う」
そこまで言って沙希は手を叩いた。
「ねぇ私も聞きたいんだけど。綾香ちゃんとはどんな関係なの?」
「あ、綾香ちゃ……!?」
「なによ。主がいないところだったらどう呼んでも勝手でしょ。で、どうなの?」
「どんな関係もなにも。ただの、クラスメイトです」
「ははぁ~なぁるほど~。クラスメイトなのか」
頷いて、首を傾げた。
クラスメイトであの距離感だとすると、友達未満ではないか。つまり学校で仲良くなって惚れたわけではなく、何かきっかけがあって、話しかける手段を考えていたのだろうか。
――乙女かよ、綾香ちゃん。
「キミはさ、綾香ちゃんのことどう思ってるの?」
「どうって」
「クラスメイトにあんな綺麗な子いたら、こう、見惚れちゃうんじゃない?」
「……高嶺の花って感じがします。正直言って、あまりにも違いすぎて、どういう感情があるのか自分でもわからないっす」
「あら~……好きとかそういう感情ない?」
「な、ないっすよ!! ……あ、いや」
きっぱりと言い放った狭山だったが、その後言い淀むように視線を動かした。
「どう、なんすかね。なんか、顔が綺麗だから好きだとかそういう気持ちはあまりないっす。自分じゃ釣り合わないなぁとか思ってました。だけど……」
「けど?」
「仲良くできたら、楽しい人かも、とか。友達になりたいなぁって気持ちは確かに、はい、あります」
たどたどしい言葉を聞き終える。中々に面倒くさいというか、ヘタレな男だと思った。
「そっか」
だが、真面目でいい男でもあると思った。
沙希は狭山の背中を見つめる。
「そのコートいいよね」
「え? あ、はい……結構値段も、7000円くらいですし。給料入ったら買おうかな」
「それかご両親に頼んでみたら? 出世払いってことにしてさ」
沙希が笑いながら言う。軽い返事が来ると思っていた。
だがすぐに返事がこない。動きを止めている狭山に、沙希は首を傾げる。
「どうしたの?」
「……なんでもないっす。そうですね。親に、頼んでみますよ」
狭山は力のない笑みを浮かべて、カーテンを閉めた。
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