第29話「服買いに行くぞ」
狭山を褒めてからの作業は滞りなく進んだ。昼食になるまでの間に2階の窓拭きを終え、1階の床掃除もすべて終了した。
元々汚れなどほとんどなく、子供でも行える作業内容だ。それほど時間がかかるわけもない。
その簡易的な作業を行っている中、嫌がらせを封印されていた沙希は、ずっと狭山を観察していた。なぜ自分の主である神白が、この地味な狭山という男に惚れたのか。狭山という人間を知るために。
この2時間の中でわかったことがいくつかある。まず、狭山は非常に真面目な男だということだ。ルールを破るような大胆な行いはせず、指示に素直に従う。悪く言えば指示待ちの真面目くん。よく言えば余計な手間を増やすようなことをしないタイプの大人しい人間。沙希にとっては好印象だった。
そして褒められると伸びるタイプだということ。褒めを混ぜて指示を出すと動きが途端によくなる。小さなミスはあるがそれを繰り返さないため、非常に扱いやすい。
義徳が気に入るのもわかる気がした。あの老人からしてみたら可愛らしい若者なのだろう。
だが、それだけである。何か突出した魅力などは何も感じられない。少なくとも仕事中は平凡な男といった印象だ。
だから沙希は昼食の時にそれとなく狭山とコミュニケーションを取ろうと考えていた。もしかしたら巧みな話術が持ち味なのかもしれないと。顔が悪くても言葉が上手いとモテるということを、大学生活中に学んでいた。
「もしよかったら、3人で昼食でもどう?」
突然、神白がこんなことを言って来るまでは、そう考えていた。
掃除用品の片づけが終わったと同時に、神白は狭山と沙希に突然語りかけてきた。
「え、えっと……」
狭山は突然のことに困惑していた。沙希も表情には出していないが同様の心情であった。神白から昼食の誘いなど、5年間ここに勤めている沙希でさえ初めてのこと。そんなことを知らない狭山は視線で沙希に問う。
「光栄です、お嬢様」
沙希は即座にふわりとした笑みを浮かべて会釈した。
断るわけにはいかない。何よりも大事なのは、主の笑顔と幸せである。
狭山もそれを理解したのか、背筋を伸ばしてお辞儀をした。
「よろしくお願いします」
「ごめん、突然。本当に大丈夫?」
「俺……私は大丈夫です。えっと、沙希さんとも友好を深めたいですし」
何ともたどたどしい、かしこまった喋り方だった。だが上出来だ。少なくともここで困惑顔を浮かべるような男だったら後で説教をかましていたところだ。
「それではお嬢様、来客用の食堂に? それとも1階のリビングに参りましょうか」
今日は純が朝早くからいない。世間に名の知れ渡った、大企業の社長は休日といえど仕事に忙殺されている。そのため屋敷のどこで昼食を取ろうが基本的に文句は言われない。
「私の部屋はダメかな」
だがまさかそんな言葉が出てくるとは思わなかった。沙希が笑顔を消して目を見開いてしまう。
神白が自分の部屋に友人を招き、さらには食事を運ばせるなど。純や義徳ですら見たことがないのではないだろうか。
「狭山くんは場所知ってるよね、私の部屋の」
「いや、正直覚えてないかもです。屋敷が広すぎて」
「私も小さい頃は迷子になってた」
二人が笑い合う。それを見て沙希は頬を引き攣らせた。
――マジか。
口許だけを、そう動かした。
☆☆☆
この屋敷には1階に、執事・メイド用の食堂が用意されている。来客などがない場合は広間を使用することもある。
狭山自身も利用したことはある。義徳と共に昼食をともにしたこともある。彼曰く担々麵がオススメらしい。
本来であればそこで食事をとるのが普通である。しかし今回は異例なケースだった。
「お嬢様の命令には逆らえません。私も同席するので、リラックスして、友人同士のつもりで会話を行いましょう」
「ゆ、友人ですか」
神白の部屋の前に立ち、沙希は狭山に告げた。狭山は頬を掻く。友人なんて呼べるほど、距離感は近くないのに。
困惑している狭山を、沙希は横目で見る。
もしかしたら、この男はトークスキルが神がかっているのかもしれない。それを確かめる意味でもこの昼食の時間は、ある意味貴重である。
「お嬢様、失礼します」
扉をノックしてそう告げると、中から入室を許可する神白の声が聞こえた。
二人は部屋の中に入る。広い部屋の中には、以前にはなかったテーブルと椅子が置かれており、傍らにはステンレス製のワゴンが置かれている。
すでにテーブルの上には料理が並べられていた。
「さっきメイドさんがやってくれた」
聞かれてもない疑問に答えるように神白が言った。
3人は席について、並べられた料理を見る。狭山と沙希は隣同士に。狭山の正面に、神白がいる。
「……海老がいる」
狭山の視線は大きな海老が乗っかっている皿に釘付けだった。
「とりあえず、美味しい物と思って……」
「は、はは」
渇いた笑い声が零れる。ここに来なかったら一生縁がなかった食べ物だろう。
「とりあえず、いただきましょう。二人とも食べて」
「は、はい。いただきます」
「恐縮です」
たどたどしい食事会が始まった。沙希は黙って二人のやり取りに耳を傾ける。
「あ、このスープ美味しい」
「料理長が一番得意にしてる物なんだって」
「そうなんだ……」
「うん」
「……」
「……」
食器がぶつかり合う音が響く。狭山は何を喋っていいのかわからず、ただ黙って料理の味に意識を向けていた。神白も同様に、何か喋り出そうとはしていたが、言葉に詰まっていた。
――なんだこのやり取り。中学生か。
沙希はため息を押し殺した。どうやら二人は親しい仲でもないらしい。そして狭山自身が女性に慣れていないことも充分に理解できた。
ますます二人の関係がわからなくなった。これでは警戒していた自分が馬鹿らしい。この男に害はないのではないか。
沙希はその考えを正当化するために、ある強硬策に出ようとしていた。
☆☆☆
「はぁ……」
朱雀院家を出て、庭を歩いていた狭山はため息を吐いた。今日はどっと疲れた感じがする。
給料が高いため、狭山のバイト時間は短時間であり日曜日は早ければ15時、遅くとも17時で終了する契約だった。そのためまだ外は明るい。雨も上がっており青空が姿を見せていた。
時刻は15時を少し回ったところ。スマートフォンの画面を見て時刻を確認すると、今日の出来事が脳裏に浮かびあがる。
まさか神白と昼食を共にするとは思わなかった。全然話せず高級な料理を乱雑に口に運ぶことしかできなかったが、それでも貴重な体験だった。
クラスの男子が聞いたら羨むようなことをしているのだ。狭山の心は満足感で満ち満ちていた。
「ちょっと」
門を出たところで突然声がかけられた。調子に乗っていた狭山は肩を上げ恐る恐る顔を向ける。
そこには、私服姿の沙希がいた。片手をあげ「よっ」と簡単な挨拶をする。
「い、泉先輩。お疲れ様です」
頭を下げた狭山を値踏みするように見つめた沙希は、大きく頷く。
「うん、駄目だこりゃ」
「え?」
「この後暇?」
「へ?」
「暇でしょ。ちょっと買い物付き合いなさい。服買いに行くわよ」
沙希は返事を聞かずに背を向け歩き始めた。
狭山は、三度疑問の声を上げることしかできなかった。
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