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第26話「神白大好きメイドさん」

 朱雀院邸は非常に大きな屋敷である。周囲の家々と比べたらその大きさは一目瞭然。庭は一軒家がいくつか入るくらい広く、建物も3階建て、おまけに1階1階間取りが広く部屋も多い。某遊園地やハリウッド映画に登場してもおかしくないくらいの、立派な屋敷である。


 泉沙希(いずみさき)はようやく最後の窓掃除を終え、ふぅと息を吐いた。メイドとして掃除を行っていると、あらためてその広さを認識してしまう。

 沙希がメイドとして朱雀院に仕えて5年。仕事が早くなりできることが増えたとはいえ、屋敷の大きさが変わるわけではない。未だに窓掃除だけで半日が潰れそうだった。


 さきほど3階の窓拭きを終え、今2階も終わりを迎えた。1階はすでにメイド長と先々月に入った見習いが終えている。

 今日の仕事を終えたため、あとはメイド長に報告するだけとなった。掃除用品一式が入ったバケツを持って、沙希はレストルームへ向かう。

 足音を立てず廊下を歩く。見習いの時はよく歩き方で注意されたものだ。


 そう、今、曲がり角から姿を見せたこの人物に。


「お疲れ様です、義徳さん」


 廊下の端に寄りバケツを置いて、背筋を伸ばし頭を下げた。執事長である義徳は、40人近くいる使用人たちの統括でもある。義徳に頭を下げるのは沙希にとって当たり前のことだった。


「お疲れ様です、泉さん」


 ぴしっとした執事服を着た老紳士が頭を下げる。所作がいちいちかっこよく、色気がたっぷりである。まだ19歳である若輩者が”色気”などと思うのはおこがましいかもしれないが。


「窓拭きはすべて終えたようですね」

「はい。汚れはほとんどありませんでした」

「泉さんを含む、メイドの方々が優秀なのでしょう。頭が下がります」


 また優しいことを言ってくれる。本心から言っているような感じだから、変に照れそうになる。


「いえ。義徳さんの指導あってこそです」


 沙希はなるべく平常心で答えた。次いで義徳に尋ねる。


「何か他に仕事はありますか?」

「いいえ、今日は特にありませんね。奥様のお相手は私とメイド長だけで事足りますので」

「かしこまりました。それでは――」


 失礼します。と言いかけた時だった。廊下の先からある人物が姿を見せた。

 神白綾香だ。この屋敷に住む奥様の一人娘であり――。


 沙希の、”天使”である。


「あ、沙希さん」


 寝間着姿の神白がふわりと微笑む。


「お嬢様。どうされましたか?」

 ――ほ、ほぁぁぁああああ!! わ、私の天使ちゃんきたぁああああ!!!


 内なる感情を抑えるように慌てて声を出して笑みを浮かべる。正直言って叫び出しそうだったがグッと堪える。


「実はちょっと、手伝ってほしいことがありまして」

「はい、なんなりと」

「泉さん、よろしいので? あなたの業務は」


 沙希が素早く義徳に視線を向ける。


「お嬢様の頼み事です。断るなんてできません」

 ――ちょっと黙っててください義徳さん……!!!!


 口元に笑みを浮かべていたが、目元はまったく笑っていない。

 明るいブラウンの瞳の奥から狂気に近い感情を読み取った義徳は、上体を少し反らした。


「それで、頼み事とは?」

「ええっと、部屋の掃除を手伝ってほしくて」


 神白に視線を戻すと相手はそう答えた。


「お掃除、でございますか。かしこまりました……けど」

「うん、わかってる。先週もやったことでしょ?」

「はい。何か不備でもありましたか?」

「そうじゃなくて、その……」


 神白は言いづらそうに視線を右往左往させた。クールな見た目と相まって普通に可愛らしい。

 正直抱きしめたい。これで自分より3歳も年下だと言うのだから驚きだ。

 その時、義徳が喉を鳴らした。


「ある人を招きたいのですよね?」

「ちょ、ちょっと義徳さん」


 神白が慌てて義徳の口を塞ごうとするが、義徳は自分の手で口許を隠した。


「これは失敬」

「もう……!」

「へ? お招きしたい?」


 首を傾げて聞くと観念したように神白の口が開く。


「執事アルバイトの、狭山くんって、いるでしょ?」

「ああ、あの……」


 庶民呼ばわりされていた奴、とは言わなかった。顔はあまり覚えていない。クラスにひとりはいるオタクっぽい雰囲気だったのは覚えているが。


「その方が何か?」

「……ちょっと、こう、お茶とか、したくて」


 神白の頬に、朱が差し込む。



 ――……えぇ???????



 沙希の顔に疑問符が浮かぶ。”え、マジでお嬢様”とか”恋しちゃってんですか綾香ちゃん”とか言いたかったがグッと堪える。


「あ、ああ。そういうことですか。なるほど」

「……お願いできますか」 


 不安げに、そして恥ずかしそうに聞く神白に笑顔で応える。


「そういうことでしたら、お任せください!! お嬢様の頼みなら、リフォーム直後かと見まがうほどの見事な掃除をしてみせます!」


 胸を張って言った。敬愛するお嬢様の顔に明るい笑みが浮かぶ。

 まさに天使である。


「ありがとう! 後で来てね」


 そう言って神白は背を向けて自室へ戻っていった。

 沈黙が流れ、義徳が沙希を見る。沙希は笑顔のまま凍り付いていた。


「……恋、ですね」


 小さな声だったが、義徳の耳には届いていた。周囲の空気が冷えていくようだった。


「の、ようですね」

「なるほど、へぇ、あの狭山くんだかなんだかが。へぇ」

「泉さん?」

「私のお嬢様を……天使ちゃんを……たぶらかして……」

「あの、泉さん」

「ふぅぅぅぅぅうううう……」

「あの……」


 沙希は肉食獣のそれに似た瞳をしていた。

 その目がバッと義徳に向けられる。


「義徳さん」

「はい」

「狭山くんって、明日何する予定ですか?」

「窓拭きの実習ですね」

「なるほど? では、私が指導しましょうか」

「……泉さん。彼は執事です。なのでここは私が――」

「私が指導しましょうか。窓拭きは、一番得意なの、義徳さん、知ってますよね?」

「いえ、そうですが」

「私ご指導しましょう」

「……」

「私が。指導します」

「……わかりました。ですがどうか、くれぐれも、優しくお願いします」


 沙希はニッと笑った。


「もちろん。”優しく指導”しますよ」

 ――絶対容赦しない。


 そう告げて義徳に頭を下げると、沙希はバケツを置きにレストルームへ向かった。

 誰もいなくなり静かになった廊下にて、義徳はフッと笑ってしまう。いつもは大人しい泉の、とてつもない気迫に気圧されてしまったからだ。

 義徳は視線を窓の外に向けた。


「狭山さん。頑張ってください」


 決して届かない応援の言葉を呟いた。

 空は暗雲が立ち込めている。

 まるで沙希の心情のようだと、義徳は思ってしまった。



お読みいただきありがとうございます。


次回もよろしくお願いします~。

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