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第25話「異性が気になり始めたら恋ですか?」

 雨脚は強まるばかりだった。朱雀院家こと神白の屋敷から出た時より、さらに水の量が増している。バケツをひっくり返したというより、滝の真下にいるような気分だった。義徳が傘を貸してくれなかったらと思うとゾッとする。

 地面を叩いた雨水が跳ね上がり、狭山の靴とズボンの裾を濡らす。不快感に顔をしかめつつ、ようやく自宅が見えてくる。


 平凡な一軒家。神白の家とは比べるのも失礼なくらい、なんの変哲もない小さな家だ。地下に秘密の研究所が広がっているとか、地下5階まであるとか、そんなハリウッド映画のような設定は存在しない。

 狭山はドアの前に立ち鍵を差し込む。背後から聞こえてくる雨が「早く開けろ」とはやし立てるようだった。


「ただいまー」


 雨水が入り込まないようドアを最小限に開け、体を滑り込ませる。傘を玄関の傘立てに入れてひぃひぃ言いながら狭山は靴を脱ぎ始める。靴下までぐしゃぐしゃだった。素早く脱ぎ捨てる。ひとっ風呂浴びたい気分を押し殺しながらリビングへ向かう。


 誰もいない、殺風景な光景が広がっていた。薄暗い部屋に加え、半端に開き切ったカーテンと雨の音のせいで、まるで殺人現場のようであった。ここに死体が存在しても、さして違和感はないだろう。


 誰もいない、か。


「わかってたけどさ……」


 呟いてダイニングテーブルを見る。メモが一枚貼られていた。狭山はそれを手に取り、書かれていたメッセージを読む。


『明後日まで帰りません。父より』


 狭山は冷めた目つきでメモを破り捨てると、風呂場へ向かった。




☆☆☆




 親が家にいない時間が増えたのはここ最近のことではない。小学5年生の時からずっとこうだった。

 夕食は基本的に狭山一人。狭山は父の笑顔を覚えていない。


 半ば育児放棄しているようではあるが、食費も学費も入れているし、悩みがあったら素直に相談できるくらいの仲ではある。ただ一緒にいる時間が短いだけ。

 それだけで家族の絆が薄まるなど、狭山は微塵も思っていない。


『庶民が』


 不意に狭山の、いや、狭山の母親である純の言葉が頭の中に浮かび上がった。

 確かに彼女の言う通り、庶民だ。両親が共に、夜通し働きに出なければならないほどの庶民。

 そして自分は、凡人以下の才能しか持っていない、面白味のない人間だ。


 狭山は雑念を振り払うように熱いシャワーを頭にかける。風呂場のタイルに流れていく水を見て気持ちを落ち着けようとする。


 すると別のことを思い出し始めた。

 神白の顔と、表情と、姿だ。

 遠い存在だと思っていた彼女。話すことなどおこがましいとすら思っていた異性。

 だというのに今日、自分は彼女と話し、さらに大好きなゲームを一緒にプレイしたのだ。こんなに嬉しいことはない。


「お嬢様、か」


 不意に、狭山は自分が神白のことをどう思っているか考えた。

 好きなのだろうか。いや、冷静に考えてあんな美人に笑顔で話しかけられたら誰だって惚れるだろう。何がおかしい。

 だがこれが恋愛感情による”好き”なのか、それとも執事と主という関係上から出てくる”好き”なのか、狭山には判断できなかった。


「神白……」

 

 ――好きなのかなぁ、俺はやっぱり、彼女のことを。だけど、こんな適当な感じで好きになっていいのだろうか。そもそも人を好きになるってどういう――


 考えがぐちゃぐちゃになってきたところで狭山はシャワーを止め、「今日の夕飯は、カップラーメンの何味を食べよう」などという、関係のないことを考え始めた。




☆☆☆




『こんばんは、狭山くん』


 夜。リビングにて、期間限定のシーフードグラタン味カップラーメンをすすりながら、ノートPCでVtuberの放送を見ていると、鹿島から電話がかかってきた。


「ふぁんふぉほうはお」

『いやぁ、ちょっとお聞きしたいことがございまして』


 何でわかんだよ、と思いながら口の中の物を飲み込む。


「なんだよ、急に。電話じゃないとダメなのか?」

『ええ、まぁ。その方が都合がいいと言いますか……』

「ふーん? で、なに?」

『単刀直入に聞きます。狭山くんって、彼女いた時ありましたっけ?』

「イタ電か。切るわ」 

『なぜ!?』

「なぜじゃねぇよ!! いたことがあるわけねぇだろこんな陰キャに!!」

『そ、そこまで卑下しなくても……』


 なんだ突然。煽り電話をされるようなことはしていないはずだ。

 狭山は舌打ちして頭をガシガシと掻く。


『じゃ、じゃあ、今気になる子とかいます?』

「女子かてめぇは。そんなもん――」


 神白の顔が、浮かんだ。


「――い……」

『い?』

「やっぱ切るわ。じゃあな、明日も仕事だから」

『え、ちょ、狭』


 相手の言葉を待たず狭山は通話を切った。

 ため息を一つ零す。


「変なこと聞くんじゃねぇよ鹿島ぁ」


 狭山はリビングに虚しく自分の声が響き渡るのを確認すると、あらためてさきほどの質問の答えを探す。

 あのままもう少し話していたら、気になる相手は、いると答えていただろう。


「っち」


 狭山は逃げるようにPCの画面に釘付けになり、音量を上げた。



お読みいただきありがとうございます!


次回もよろしくお願いします~!

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